野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

楽譜を書く


今日は、音楽療法士石村真紀ちゃんに頼まれて、相愛大学の石村研究室に行く。以前、彼女の原稿を読んで、その事例のビデオを見た時に、
「これは丁寧に譜面に書き起こさないと、やる意味がない。」
と、主張してしまって、手伝うことになった。まぁ、楽譜を書く音楽と、楽譜に書かない音楽の両方を知る者として、ついつい主張してしまったけど、経験上は書くと何かが見えてくる。

で、女の子がピアノで、シとドを交互に弾いている場面を再生。

シドシド〜、シドシド〜、シドシド〜、シドシド〜、

ぱっと聴くと、単純に2音を繰り返しているだけ。しかし、そんな大雑把な見方ではいけない。それを徹底的に細かな違いまで楽譜化しないと、書く意味がない。
「もう1回巻き戻して!」
少なく見積もって、ここだけで30回はビデオを再生してもらった。
「今の一つ目と二つ目、どこが違う?」
「こっちのリズムが若干転んでいるかな?」
「この最後のドが若干長めかな?」
その違いを5連符にしてみたり、少しアクセントをつけてみたり、ほとんど同じだけど若干違う部分を全部、書き表そうとしてみた。

続いて、気紛れに弾いたようなトリルを、それぞれ何回トレトレトレトレとやったか、全部数えて書きあげる。こうやって数えてみると、それぞれのトリルには明らかに違いがある。

そして、子どもの傍らでハンドベルを微かに鳴らしているお母さんの演奏も書き出そうとした。聞こえるか聞こえないくらいの音量なので、ビデオから書き起こすのは、非常に面倒だけど、やってみた。すると、驚くべきことが見えてきたのだ。

偶然かもしれないが、お母さんが一度だけ、拍っぽくハンドベルを鳴らしたところがある。そして、その時に子どもの拍が揺らいだ(お母さんの微かな音のビートに翻弄されたかのように)。そして、その直後、お母さんは拍のない演奏に戻った時、子どもは直前に演奏したお母さんの拍を受け継ぐかのように、テンポを明確に演奏している。さらに、お母さんがハンドベルを微かにトレモロのように演奏したら、すぐに、鍵盤でトレモロを演奏、そして、お母さんが演奏をストップした直後に、2拍休止をしているのだ。

この間、約10秒程度の間に、ものすごく微細なやりとりがあったことが、発見できた。ぼくは自分で、相当細かいところまで気にするタイプだと思っているけど、このやりとりに関しては、書き起こすまで分からなかった。微かな音で、シとドをぼそぼそと弾いている子どもの横で、ためらいながら、微かにハンドベルを動かしているお母さん。ところが、その演奏の中身をじっくり分析してみると、お母さんの本当に微かな演奏の変化を、子どもが逐一、音で反応している。そして、多分、そのことにお母さんは気づいていない。そういう状況が、譜面として明確に表れてきたのだ。

この場面を大雑把に譜面にすれば、シとドをランダムに演奏していて、周囲に無関心な自閉症児という虚像が浮かび上がる。でも、丁寧に譜面にすると、お母さんの出す音に、逐一返答しているのに、お母さんに気づいてもらえない自閉症児という構造が浮き彫りになった。ということは?(以下は、まきちゃんと話してないけど、ぼくの自問自答です)

この音楽療法によって変わるべきなのは、本当に自閉症児なのだろうか?それともお母さんの方なのだろうか?

ちなみに、このセッションの後半では、石村真紀のピアノ伴奏で音楽がハイテンションになっていった後、子どもの動きに誘発されて、お母さんがハンドベルを大胆に鳴らすような場面が出てきた。最初、微かなお母さんのハンドベルに子どもが微かに合わせるだけの一方通行だったやりとりが、子どもの動きにお母さんが合わせることで双方向に変わった。セラピーによって変化を見せていたのは、お母さんなのだ。