野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

あなたとわたしの間に、1日目


詩人の上田假奈代さんとライブ。

本番前、楽屋に三味線弾きの男の子がやってきて、ピアノをぽろぽろと弾いた。その音は、耳に素直に入って来て、ぼくは自然に鍵ハモで合わせた。

本番が始まった。最初かなちゃんの朗読が、耳から入ってこなかった。言葉にイメージがある時は、意味を聴こうとしなくてもイメージがど〜んと伝わってくる。朗読のイメージが弱まると、急に一生懸命聴かなくてはいけなくなる。でも、聴いていてはいけない。ぼくがイメージを作ればいいのだから、言葉を刺激すべくピアノを弾くしかないのだ。

1曲目が終わって、かなちゃんは、今日は朗読したい詩がほとんどない、と告白した。入場料をとっている公演でお客さんの前で今の気持ちに正直になれるのは、すごいことだ。ぼくは、
「読みたくない詩は読まなくていいよ」
と答えた。それから、かなちゃんは未完成の詩、炊飯器の詩を即興で読み始めた。すると断然言葉が耳から入ってくる。

この後、「うた」という書かれた詩を読み始めたが、さっきの即興の詩ほど、言葉が生きていない。ぼくは、ピアノをやめて傍らに行って、一緒に朗読をした。「うた」をつかまえようと声を出した。

そして、前半の最後に、即興の朗読は、詩作について、表現することについて、何故朗読をするのか、言葉について、など。上田假奈代の言葉が、リアルに生きていて、すっと耳に入ってきて、心の奥まで届くようだった。

休憩中、嶋本昭三さん(美術家、具体美術という40年以上前に関西であった前衛美術運動のメンバー)がかなちゃんと挨拶。何でも、高校生の頃、ほとんど家出状態のかなちゃんは嶋本さんの家に入り浸っていたらしい。

後半、いろいろあったが、やはり即興詩が生きていた。即興で読んだ詩の
「野村くんが乗っていた電車は、」
という下りの部分は、すごくイメージがあった。絵が見えるのだ。

明日は、もっともっと不定形のまま意識の奥底まで入っていって、恐怖のどん底まで見るくらいのところまで、上田假奈代に付き合ってもらおうかな、と思いながら、帰り道。楽しみになってきた。