野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

世界関西

京都駅でエイブルアート・ジャパンの太田さんと打ち合わせ。8月のエイブルアート・オンステージの東京公演のことで。まずは、昼食を食べながら雑談。
「野村さんの本、順調に売れていますか?」
と「即興演奏ってどうやるの」の話になる。もともとフリーの編集者だった北島京子さんが、自分が作りたい本、現存する出版社が作れない本を実現するために作った出版社が「あおぞら音楽社」で、その初の単行本がぼくらの本だ、という説明をする。
「すごいですねぇ。今、出版社始めるっていうのは、並大抵の覚悟でできることじゃないですよね。」
と太田さんは感心しきり。本が売れない今、自分の出したい本を実現するために出版社を始めるというリスクを、太田さんはすぐに想像できたようだ。
「ある意味、その人がアーティストですね。」
と太田さん。で、ぼくと片岡さんが9月に音楽療法学会に講師で呼ばれて、初日に書店が用意した150冊が完売し、翌日も用意した本が午前中で完売、翌々日も午後2時には完売した話を伝えると、
「えっ?音楽療法学会って、一体何人くらいの人が来るんですか?」
と太田さん。
「何千人と来てましたよ。」
と言うと、おったまげていた。
「絵画療法なんか、そんなに人が集まらないのに、どうして音楽療法はそんなに多いんでしょう?」
「多分、ピアノの先生が少子化で新しい活路を求めてという部分が多いんじゃないですかね?」
話は進む。ぼくは、戦争状況など続けば、戦地で精神障害になった自衛隊員などに対する音楽療法のニーズも出るだろうし、そうなった時に、遊びに近いようなセラピーより、とにかく形だけでもいいから精神障害が治癒したように見える方法が主流になり、といった形で、音楽療法のニーズが増える社会が来るとして、それを未然に防ぐことこそ、やるべきだ、という話をした。戦争で心が傷ついた人の心のケアをすることと同時に、まず、戦争を避けるべき、という話。すると、太田さんが
「というか、この現実社会が戦争状態なんですよ。交通戦争、受験戦争、・・・・。そういう戦争状況で負け組になった人が、自殺したり、引きこもったり、する現状に対して、何も手立てを講じようとしない。で、そういう状況だからこそ、障害者の人たちの存在がヒントになる、と思うんです。」
「つまり、アンチテーゼってことですか。」
「そう。みんなチャリティって発想まではいくんですけど、障害者の人たちの生き方を手本にした社会を作ろう、という発想には、なかなかいかないんですよね。」
つまり、それができれば、戦争状態から脱出できる、ってこと。そして、子どものころから、教育という名のもとにすり込まれた戦争状態から脱出することができれば、負け組なんてそもそも存在しなくなるのに。

なんて、雑談しているうちに、2時。改札口で木方さんに鍵を渡さねばならない。東京のぼくのアパートに宿泊するので。
「その方は、どんな人ですか?」
「以前、彼が名古屋市美術館学芸員をしていた時、コンサートを企画してくれました。10年以上前のことですね。今は、大学で非常勤講師とかもしてますが、基本的には専業主夫をしている人です。それで、時々、電話してきて、最近どうしてますか?って、いろいろ雑談をするんですよ。ある意味、主夫だから雑談する時間があるんです。それで、雑談しているうちに、それは、もう少しこうしたらいいんじゃないですか?なんて、アドバイスをくれるんです。そうやって、色んな人に電話して、近況を聞いてアドバイスして、結構、知らないところで色んな影響を与えている人なんですよ。」
「はぁ〜。出版社を始めて世界を変える人もいれば、家で電話して世界を変える人もいるんですねぇ。」
と太田さん。それで、それからは木方さんと太田さんと3人で話す。木方さんは、思ったことを率直に言う。
「それは、舞台でやるんですか?だったら、ワークショップでやるのと違ったことができるところが面白いですね。でも、発表会みたいになったら、つまんないですね。」
とか、
平田オリザさんは、10年以上前にアートスケープで会ったけど、まっとうなこと言ってましたね。演劇はもっと社会化すべきみたいな。でも、彼の作品は、あんまり面白くなかったですね。ある意味、正統派前衛っていうか、前衛の枠組みを出ていないというか。」
などと、話しているうちに、時間になったので、初対面の二人を残して、平盛小学校へ。

ヒュー、加奈ちゃん、昌代(京都女子大2回生)、ユイちゃん(京都女子大2回生)の4人で平盛小学校へ。昌代は、大学1回生の時に、ぼくの授業に抽選ではずれて、受けられなかった人で、そのまま、ぼくが辞めちゃうことになった。で、やらないつもりだったけど、補講して欲しいという要望があって、補講したら、その日だけ授業に潜り込んで参加。そこが出会いで、そのまま平盛小学校に来れた。かなり、際どいスレスレのところで出会った人だ。

今日は、子どもの数が増えていて15人強の子どもが参加した。最終日になって、メンバーが増えて、いい感じ。曲づくりは、進み、後半の部分は、歌うのではなく、一人ずつで喋ることになった。また、「世界完成」をヒューが「世界関西」といい間違えたので、「世界関西、関西バンザイ」というのが、曲の最後に付け加わった。

夕食後、ぼくはカイロプラクティックに行って、昨日グキっといったところをみてもらった。たいしたことない感じ。よかった。

帰ったら、ヒューが「ホエールトーンオペラ」の吹奏楽アレンジの清書をしていた。ぼくよりも、さらに遅れてるね