野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

石村真紀さんと片岡祐介さんの違いに思うこと

それから、岐阜から片岡祐介さんが来た。今日は、音楽療法士で即興演奏が大好きな石村真紀さんと遊ぶので、片岡さんも誘ってみたのだ。京都音楽院へ。

石村真紀さんと会うのは、2度目。前回、初対面の時は、2時間以上お喋りした後、30分くらい即興でピアノを弾いた。その時の演奏が良かったので、その後、いっぱいメールのやりとりをして、また遊ぶことになったり、石村さんの授業にゲストで行くことになったり(来週)して、今日に到る。

17時すぎ。京都音楽院8階の2台ピアノ+エレクトーン(EL90)がある部屋に行くと、夜景がすごく綺麗。
「電気消そうよ。」
と石村さん。真っ暗な部屋から、京都の街、比叡山大文字山、東山が、見える。

それから、3人の即興セッションが始まった。
演奏していって、気づいたことは、ぼくと石村さんの息が驚くほどよく合う、ということだ。相手の出方を伺ってすばやく反応するから合うのではなく、自然にやっていたら、同時にクレッシェンドしたり、同時に曲調が変わったり、同時に止まったりする。即興なのに、楽譜の曲をやっているように、二人が同時に展開する。会って2回目なのにねぇ。だから、相手に注意を払う必要がない。相手に集中する必要がない。自分の演奏に没頭していても、相手の演奏に注意を払っていなくても、相手と同時に変化していくのだ。

ぼくと片岡さんの演奏での息の合い方とは、かなり質が違う。片岡さんとの即興の場合は、長年培った信頼関係があるから、お互いに出し抜き合いを楽しむことになる。わざと、相手の意表を突いたり、予想に反することをしたりする。しかし、片岡さんは反応速度が異常に速いので、ほぼ同時に変化している感じになる。まあ、ボケとツッコミのような感じだ。石村さんとの演奏では、そうしたやり合いではなく、共感/共有といった感じ。彼女の音楽的感性は、かなりぼくに近いところにあるように感じた。もちろん、こうした即興を続けていけば、いずれ、お互いの違いや個性の部分が見えてくる時期も訪れるだろう。ただ、今日は、合う部分が目立った。

京都音楽院の北田さんがクラリネットで合流したカルテットは、相当、脳天気な曲で、ぼくはエレクトーンのサックスの音色で演奏。石村+片岡の2台ピアノは、ガンガン弾いて、汗かいて、風邪の治らぬ石村さんには、汗をかくことは、風邪にも良かったのかも。それで、片岡さんは、神戸で待ち合わせがあるから帰って行った(19時20分)。で、その後、もうちょっとだけ、石村+野村で即興演奏を続けた。北田さんが一人の観客。

2時間演奏して、随分ほぐれてきていたこともあってここからの演奏一番しなやかに自然に流れたんじゃないか、と思う。そして、この時間だけ、録音がとれていなかった。不思議なことに、一番いい演奏っていうのに限って、録音が残らないことが多い。

石村さんとのデュオでは、「無理がない」、「自然」、こういった流れで音楽が進んでいく。フォルティッシモで、ガンガンに演奏する場面は何度も訪れるけれど、そこに無理がない。気がついたら、フォルティッシモということだ。それは、彼女が目指している音楽が、そうなのだろう。結局、20時20分まで続いた。つまり、3時間演奏し続け、二人になってからも一時間演奏したっていうこと。

その後、北田さんと3人で夕食。北田さんは、ぼくらの即興コンサートみたいなのを企画したい、と言う。これは、準備が要らない。ぼくと石村さんが同じ場所に存在しさえすればできることだから、近い未来には実現すると思う。

あと、講習会での石村さんと、今日の石村さんでは、随分違うみたいで、講習会の石村さんを知っている人が、今日の石村さんを見たら、かなり驚くだろう、と北田さんが言っていた。それで、最初、ぼくにはよく分からなかったのだけど、帰り道に歩いていたら、なんとなく分かった。

ぼくは片岡さんの即興のやり方について、「即興演奏ってどうやるの」という本にまとめた。片岡さんの即興は、極端に言えば、「当てはめる」即興だ。サンプラーターンテーブルの演奏者のように、様々な音楽が彼のカラダの中にストックされていて、それを瞬時に引っ張り出してくる感じだ。
「無調だな。」
と思えば、無調で応じるし、ハードロックだと思えば、それなりの引き出しから引き出してくる。状況を見立てて、彼の知っている色んな音楽をその場に当てはめていくのだ。だから、片岡さんに音楽療法セッションのエピソードを書いてもらうと、様々な音楽ジャンルや音楽語法が列挙されることになる。そういう意味で、彼が音楽でやっていることを、言語化して説明することは比較的可能だ。

ところが、石村さんは片岡さんのように色んな音楽を知っていて、それを当てはめるタイプの音楽家ではない。色んな音楽を知っていて、引き出しから次々出す能力では、明らかに片岡さんが秀でているし、石村さんは、多分、そんなこととは無縁なのだ。彼女は、多分、音楽を複数形として捉えていない。ジャンルとかカテゴリーとかを飛び越えて、ただ一つの音楽があるのだ。その音楽に、できるだけ自然に、近づくこと。できるだけ自由に、音楽をすること。ただ、その一点を指向しているように見える。

とすると、彼女の即興演奏の方法を、他人に教えることは、非常に難しくなる。片岡さんの方法が、具体的に音楽語法やスタイルなどに基づいて語れるのに対して、石村さんの即興は、如何にして自然になれるか、自由になれるか、が主眼で、これを言語化することは困難を極めることは容易に想像がつく。

石村さんが(所詮講習会なんだからと)割り切ることなく、自分の指向する音楽を講習会で伝えようとすれば、大きな困難が待ち受けていることは間違いない。敢えてやるなら、どうなるか。それは、音楽とは何か?、自然とは何か?、無理しないとは何か?といった問いに向き合うこと。そんなことが短時間で伝えられるのか?

彼女が指向する講習会が実現すれば、受講生は、「カラダがどちらに動きたいか」自分の気持ちに素直に指を動かすことができるようになり、「響きに関するイメージを持つ」ことができ、直感が働き、そう言ったことから、一人一人の音楽性が成長し、結果できあがる音楽性は、個々バラバラな個性的な人材が育つはず。

これは、かなりの難題で、でも石村さんは、この問題を解決しない限り、ずっと講習会をやる度に、すっきりしない気分を味わい続けることになるだろう。だから、この問題を解決できるのは、石村さんしかいない。また、自然に自由に音楽をすることに向き合っている人でなければ、石村さんの苦悩を体感できない。だから、石村さんは、このことをぼくに語ったのだ、ということが、帰り道を歩きながら、やっと分かった。でも、これって、大変だよなぁ〜〜。

ま、、一緒したり遊んだりしながら、答えを探していくってことで、、、。
今日は楽しかったけど、最後に難しい宿題をもらっちゃいました。