野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

たまごをもって家出する


三重県の津に佐藤信子さんのピアノリサイタルを聴きに行く。ぼくが2000年に作曲したピアノ曲「Away From Home With Eggs たまごをもって家出する」の演奏を聴きに行く。実は、この曲のタイトルの
「Away From Home」っていう部分には、「家出する」という意味合いとともに、「自国を離れて(外国に行く)」という意味合いも含めて付けたタイトルだ。その曲を、ドイツに留学して帰国したピアニストが弾くのだ。ドイツに持って行った卵はどう育ったのだろう?それを聴きに、地元の人を中心にホールには数百人の観客が集まっていた。

コンサートの話の前に、春、秋、春、秋、とこの2年を回想する。

2003年の3月、ぼくは第1回アサヒビール芸術賞を受賞した。その受賞会場で、ぼくは「たまごをもって家出する」を技術的に難しいところがあるけど、何とかかんとか弾いた。この時に、この曲の楽譜を欲しいと頼まれていたピアニストのゲオルク・フリードリッヒ・シェンクさんに渡した。シャンクさんは、ドイツの音大で自分の生徒に弾かせる、と言っていた。それが佐藤さんだった。

2003年の9月、ぼくは2台ピアノの「パニック青二才」を作曲の最中に、アコーディオン奏者の御喜美江さんのたんぽぽ畑コンサートシリーズの公開練習に参加するために、門仲天井ホールに行った。シュトックハウゼンの曲を、御喜さんやアサヒビールの社員の人と演奏するという企画。公開練習の後、近所の居酒屋に行った。そこで、シェンクさんにビデオカメラを向けられて、佐藤信子さんという人が演奏するから、何かメッセージをこのビデオに向かって喋るように言われた。ぼくは、その時、譜面をちゃんと読んで下さい、みたいな当たり前のことを言ったような記憶がある。同じ日に、御喜さんから翌春のリサイタルのためのアコーディオンのソロ曲を書いて欲しいと言われた。書きたいけど、スケジュールが苦しい、と言ったら、短い曲でいいから、と言われて、迷ったけど引き受けた。

2004年の4月、約束通り書いたぼくのアコーディオンの短い曲は、御喜美江さんによって初めて音になった。「ロシアンたんぽぽ」という曲だ。この曲の続編は、秋に書く約束になっていた。コンサートの打ち上げで、佐藤信子さんに初めて会った。ドイツの卒業試験で、ぼくの曲を演奏し、最優秀の成績で卒業したのだそうだ。

2004年11月、ぼくは、アコーディオンの短い曲の続きを書き始めていた。スケッチを書きながら、さあ、どうしようか、ぼんやり考えている時に、佐藤信子さんのリサイタルに行った。自分の曲を聴きながら、迂闊にも泣いてしまった。この曲と、この演奏の力に、かなり刺激を受けてしまった。アコーディオンの短い曲の続き、書きたい衝動が強まってしまった。

2005年4月、ぼくのアコーディオンの新曲が初演されるだろう。次のステップに向けて動き始めた佐藤信子さんも、きっと聴きに来ていることだろう。それは、どんな曲になるのだろう?少しずつ姿がイメージできてきそうだ。

佐藤信子さんの演奏会は、ベートーヴェン、バッハ、プーランク野村誠シューマン、というプログラムだった。今まで、ぼくのこのピアノ曲は、現代音楽と一緒のプログラムに入ることが多く、このようなクラシックの曲目に並べてもらう形で聴くのは初めてだった。並べて聴いて、もう作曲して4年も経ったし、この曲もクラシックだな、と自然に聴けた。

演奏会の前半は、ベートーヴェンで、なんとなく観客も演奏者もウォーミングアップ。演奏にも事故があったりしながら、まぁ気持ちよく突っ走って、2曲目で落ち着けると思ったら、バッハが始まるや、客席では度々アラーム音が鳴り響き、集中して聴くことが難しく、会場内が落ち着かない。不穏な空気。プーランクの主題が美しく響いても、また、アラーム音がピーピー何度も鳴る。舞台と客席の一体感が出にくいので、演奏者も集中力を奪われ、プーランクの変奏では、気持ちや表現がやや単調になってしまい、変奏一つひとつの違いを、お客さんと演奏家が味わう空気が出現しなかった。最初は、すごく危うい立ち上がりをした演奏会だった。

そんな不穏な空気の中、ぼくの曲の演奏が始まった。その危うい気分を残して演奏が始まったのに、曲が進んでいくにつれて、何だか、その様々なトラブルが、消化/昇華されていくような気分になる。ぼくの曲の最中にもアラーム音が聞こえたのだが、それが気にならず、音楽に溶けていった。客席の空気も次第に落ち着いていき、いつの間にか舞台との一体感を共有している空気が生まれていた。それとともに、ピアニストの出す音が、どんどん美しくなっていく。ピアノが前よりも響き出す。ぼくは聴いているうちに引き込まれていき、途中、気づいたら、目が潤んできて、泣いてしまった。

佐藤さんによると、
「野村さんの曲の演奏は、自分的には不満足でした。もっと、できます。」
とのことだった。彼女の演奏を、今後も聴いていきたい。

コンサート後半のシューマンは、危うさがなく安定したよい演奏だった。ただ、この日の一番の演奏は、ぼくの曲だったと思う。それは、危うさと安定感がギリギリのところで同居しながら、形作られた演奏だったからだ、と思う。とにかく、すごく感動しました。

危うさと安定感のギリギリのところで作曲していこうと思う。