野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

六甲山から天使突抜へ


6時すぎに寝たのに、いつも通り7時45分の朝食。1時間睡眠で起こされる。初めて食パン以外の和食メニュー。ごはんに味噌汁。感激。

メインファイヤー場に行って、エンジェルを丁寧に掃除する。鍵盤を取り外し、アクションの燃え残りを丁寧に薪の上に陳列していく。できるだけ、すべての形が美しく見えるように。

弦を弾いてみる。やはり、昨夜同様に、音がよく響く。やはり、響板が炭化したのがいいのか?しかも、よく見ると、駒も炭化している。ピアノを作る工程で、少し火であぶるのは、ひょっとしたら有効なのかもしれない。

そのままピアノを横に寝かせる。すると、縦に走っていた弦が横になる。アップライトピアノが、コタツのようなお箏のようになる。室内で椅子に座って演奏する楽器「ピアノ」が、野外で地べたに座って演奏する「エンジェル」になる。

子どもたちに、もう一度、説明する。
「そもそも、エンジェルは廃棄処分のピアノでした。捨てられるピアノをキャンプに持って来て、ゴミになる前に燃やしてもいいだろう、と考えていたのです。でも、ぼくはこのピアノを捨ててはいけない、と思いました。ピアノっていうのは、いつも室内にいるんです。でも、このピアノは森の中までやって来て、そして、火に演奏されたことがあるピアノなんです。人間で言えば、月にロケットで行った人みたいなものです。」
さらに、続けて、
「ピアノっていうのは、鍵盤があることで、すごく操作性がいい楽器なんですね。オーケストラを一人でやっちゃうような便利な楽器なんです。でも、今、エンジェルには、鍵盤もアクションもなくなって、そういう操作性の良さはなくなりました。でも、失うものもあれば、得るものもあるんです。鍵盤がなくなったことで、直接、発音体である弦に触ることができるようになりました。木の枝で演奏することもできますし、まつぼっくりで演奏することもできるし、周りから囲んで、何人もで演奏することもできます。」
などなど、説明。そして、
「ぼくの言ってることって、おかしいかな?」
と聞いてみる。
「そんなことないよ。」
という子どもが多かったが、
「おかしい気がする。」
という子どももいた。そういう反応をされるのは、前衛の宿命なのだろう、ということも軽く言う。

それから、子どもたちにはピアノの部品を使って工作をしてもらった。また、グループごとに、エンジェルを演奏してもらった。この演奏が本当に多様な音色を生み出し、ぼくは救われた思いがした。エンジェルから出てくる音色の幅広さは、燃やす前には得られなかった音色だ。

昼食後、グループごとに曲の発表をした後、エンジェルに向かって子どもたちと叫んだ。
「エンジェル〜〜!」
別の子どもは、
「青春のバカやろう。」
と叫んだ。男の子たちが次々に叫んだ。女の子たちは、それを見ていた。工作の写真を撮影し、終わりの集い。

音響スタッフの中島さんが、昨日の「火の音楽会」の録音音源だけを素材にループさせて、ビートのある曲を作ってくれたので、子どもたちに聞いてもらった。
「きれい。」
と子ども。
「つまり、昨日の火の出した音楽は、きれいだったんだね。」

最後のあいさつ。1時間しか寝ていないぼくは、論理的な思考は全くできず、また、この2日間の出来事をどう総括して子どもたちに伝えていいか分からず、
「ぼくは言葉にできないことを、音楽で伝えている仕事をしているので、今の気持ちを3秒間で歌います。」
と言って、歌うことにした。鍵盤ハーモニカとかピアノとかではなく、自分の声だけで歌おうと思った。3秒間より少し長かったと思うが、その一瞬にぐわっと凝縮した奇声のような叫びのような祈りのような声が広い音域をダイナミックに飛行し、すっと着陸したところで、ささやくように
「ありがとう」
と言って、ぼくの挨拶は終わった。

子どもたちは、バスに乗って帰って行くのを、20代前半のサポートスタッフ達が走って追い掛ける。ぼくも、一緒に走った。睡眠1時間で疲れた36歳には、坂道が厳しい。そして、バスは遠くに見えなくなった。

その後、記録ビデオのためのインタビュー。論理的な思考が全くできず、客観視も全くできず、インタビューに答えられない。こんな酷いインタビューの回答をしたのも初めてだ。サポートスタッフのみんな、iopの永田さん、自然の家の方々にも別れを告げ、でも、
「このメンバーで、何かを始めよう。」
と言い残して、エンジェルとともに、京都へ。京都でコミュニティFMをやっている太田さんの運転で、京都の自宅まで。こうして、我が家にエンジェルが来た。天使突抜3丁目の我が家に。