野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

音楽療法、足洗う

 今日は、音楽療法士のコリン・リ−と会うことになった。コリンは、カナダの大学の音楽療法の教授で、倉敷での音楽療法学会に招聘されていた。ぼくも、同じ学会で講師をしていたので、講師控え室に謝礼をもらうためにハンコを押しに行った時、一人で退屈そうにしていたのがコリンだった。

 2時に洗足学園音大で会い、会話を楽しむ。
 「作曲家が音楽療法に関心を示す例は、非常に珍しい。君はどういう経緯で音楽療法に関心を示すようになったのか?」
 「君は作曲家として、どんな音楽家に影響を受けているのか?」
ぼくは10代の頃は、メシアンやブレーズ、クセナキス、ケージといった現代音楽の影響が強く、その後ジャズやロックや実験音楽民族音楽など様々な音楽に影響を受けるようになった、と答えると、彼も、
 「ぼくもそうだ。」
と嬉しそうに応えた。それに、続けて、ぼくは、
 「その後、子どもの悪戯演奏などに興味が移った。」
と答えると、彼は驚いた表情をした。飛躍を感じたのだろう。ぼくは、ピエール・ブレーズの知的に構築された音楽と、子どもがデタラメに弾くピアノは、ある意味、非常に類似しているが、非常に異なる、と話した時、彼は大いに興奮した。
 「君の主張は、ブレーズの知的に構築された音楽と、自閉症の子どもの演奏を、同一レベルに置いてしまうことになるのか?ブレーズは、それを嫌がるだろう。非常に過激な意見だ。しかし、ある意味、正しい部分もあるかもしれない。」
彼は、知的に構築されたアカデミックな音楽と、子どもの即興を並列に扱っていること自体に、衝撃を感じたようだった。そこで、ぼくは、今年1月に初演した「どこ行くの?(しょうぎ交響曲第2番)」の話をした。この曲は、音楽的な素人(小学生から40代まで20人ほど)でオモチャや身の回りの音の出るものなどで共同作曲した作品を、オーケストラにアレンジしたものだ。
 「素人が共同で適当に作ったもののはずなのに、指揮者としてスコアを眺めているうちに、何か作者の意図とかが解釈できることに、本当にびっくりしたんだ。あたかも、全てが計算され尽しているように見えてしまう。」
というぼくの話に、コリンは惹き付けられたようだ。彼自身も、音楽療法のセッション自体をオーケストラ編曲して作品化することに関心があるらしい。是非、録音が聞きたいというので、スコアと録音を送ることにした。
 
 3時半〜8時まで、コリンは講義をしなければいけない、と言う。
 「ハードだね。」
 「日本に来てから、ずっと忙しいんだ。北海道にも行ったし、ほとんど休みがない。今日は君がコリンになって、ぼくは今からビールを飲みに行こうかな?」
なんて、冗談を言う。
 それで、この後の講義の話を聞くと、なんと岡崎香奈さんと一緒らしい。岡崎さんは、7年前に岐阜での「長良川セミナー」で一緒にパネルディスカッションをしたりした友人で、イギリスやアメリカで音楽療法を勉強してきた人で、最近は大学の先生や音楽療法学会の理事とかをやっている人だが、穏やかな振舞いをしつつ、情熱のある人だ。
 「なんだ、岡崎さんの授業だったんだ」
と、ぼく。
 「なんだ、コリンが作曲家と会うって言ってたの、野村さんのことだったんだ。」
ということで、ぼくも授業のオブザーバーになる。

 大学院生二人だけの贅沢な授業で、そこにコリン、岡崎、野村の3人が加わる5人による90分。コリンとそれぞれの学生が即興演奏をして、それについて感想を言う。
 「では、作曲家の意見を聞いてみよう。」
と毎回、コリンがぼくにコメントを求めてくる。多分、マコトという名前が覚えられなくって、「作曲家の意見を聞こう」と言って、名前を覚えていないことをやり過ごしているつもりだが、そんなことは、もちろんお見通し。でも、ま、いいか。
 だいたい、音を聞くと、戸惑い、模索、没頭、挑戦などといった演奏者の心理は、手に取るように分かる(と、ぼくは感じる)。その通りに言ってみた。だいたい、当っていたと思うので、本人たちにとっては、嬉しい部分、ドキっとくる部分、なるほどと思う部分などがあっただろう。ちょっとは講義に貢献できた!

 コリンに質問。
 「仮に、ぼくがカナダに住んでいたなら、君はぼくと何をしたい?」
これに対して、彼は宙を見つめしばらく考えて、
 「ぼくのセッションをずっと見てもらって、それを作曲家の目で分析、指摘して欲しいな。」
と言った。意外な答えだったが、なるほどと思った。彼は、自分の音楽療法セッションを一つの芸術行為として見ることが可能かどうか?そのことに、意識があるのだろう。もし、セラピストとクライアントの間で、驚くべき音楽的交流が起こり、関係が発展していくのならば、そのプロセス自体が美しいストーリーになるのではないか?彼には、そういう実感があるのだろう。そして、そのことを音楽療法以外の一般の音楽家に伝えたい、という意志が極めて強い。
 「今いる大学には、作曲の教授もいるんだけど、交換授業をしていて、ぼくが作曲の授業を教えて、彼に音楽療法の授業をやってもらったりもしてるんだ。」
とか、
 「フランク・ザッパ知ってる?」
と話しかけてきたり、
 「マイケル・ティペットをどう思う?」
と話しかけてきたり、この人は音楽の話に飢えているのかも、と思った。そして、授業の間は、本当に別人のように立派な先生で、とっても分かりやすく教えていた。

 洗足学園は、彼の日本での最後の仕事で、これが終わると、彼は1年間のサバティカルが待っているらしく、音楽療法の仕事をしなくていいらしい。
 「音楽療法をしないで、しばらく作曲するか、のんびりするか、しようと思う。」
「足を洗う」という不思議なネーミングの洗足学園を最後に、音楽療法から足を洗い、しばらくは音楽家として生活しようということか。ま、1年経てば、もとの仕事に戻るのだろうが、たまには足を洗うのはいいだろう。

 洗足学園から世田谷美術館に行く。学芸員の塚田美紀さんに会う。まだ全然決まっていない未来のプロジェクトに向けての雑談に近い打ち合わせをする。ここで、ぼくは、昨日古田彩さんから聞いたDavid Deutschの多世界観に基づく計算理論の話を、延々と語ってしまった。物理学の理論にも美があるのだから、美の術を扱う美術館で取り上げてもいいはずだ。なんとなく、彩さんを誘って、世田谷美術館で何かするアイディアが浮かんだ。なんだか分からないけど面白そうな多世界観を、どうやって美術館でプレゼンしていくのか、考えると楽しみになってきた。