野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

徹夜の音楽会2

「徹夜の音楽会2」を今年開催する。第1弾にもご登場いただいた作家のいしいしんじさんと打ち合わせをする。2年前の「徹夜の音楽会」では、襖に直接小説を書き、寝る前に寝付き小説を書き、朝には目覚まし小説を書き、大活躍だった。いしいさんとセッションをした。深夜2時の小説とのセッションは、意識が朦朧としながら、本当に特別な体験だった。今回は、また違ったアプローチで何かをやりたいと、様々なアイディアを交換。音楽会と言うが、2年前は、出演者の多くが音楽家以外の方々だった。今度も、面白いラインナップになりそう。

 

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自宅にて作曲。アコーディオンとピアノの曲。3月に、ベートーヴェン交響曲第7番をやるコンサートのプレイベントで初演される。で、ベートーヴェンと対峙して作曲している。

 

1996年に「踊れ!ベートーヴェン」というガムランと児童合唱のための曲を作曲した。「踊れ!ベートーヴェン」には、ベートーヴェンのフレーズは全く出てこない。どうして、このタイトルをつけたのか、はっきりとは覚えていない。インドネシアの伝統音楽に、日本の作曲家として向き合って、作った音楽。いろいろ試行錯誤して作った音楽。最後に、「踊れ!ベートーヴェン」というタイトルが舞い降りてきた。18世紀末ー19世紀前半に生きたドイツの作曲家を踊らせてしまおうという音楽。

 

1999年に「路上日記」という本を書いたことがあり、付属CDに、鍵盤ハーモニカの路上演奏によるベートーヴェンが2曲入っている。「テンペスト」の第3楽章と「熱情」の第2楽章。路上で演奏してみて、「サザエさん」とベートーヴェンでは、お客さんとのコミュニケーションが全く違った。ぼくの数少ないベートーヴェンの思い出。

 

今書いている音楽は、「Beethoven 250」と呼んでいるが、ベートーヴェンを別世界への旅に誘う音楽になる。どんどん上書きしながら、どんどん音楽が変身していく。ベートーヴェンが変身する。今日は、水戸芸術館で砂連尾さんが、「変身」していたらしい。水戸は見とかんとと、駆けつけた人もいる。ベートーヴェンも変身する。今日は、ベートーヴェンが鐘になった。

 

 

 

 

 

 

ベートーヴェンの呪縛

本日は、自宅にて、作曲。「Beethoven 250」というアコーディオンとピアノの新曲。2017年に、ルー・ハリソンの生誕100年に、「Homage to Lou Harrison」というヴァイオリンとバリガムランの曲を書いた。2018年には、ドビュッシー没後100年だったので、「Debussy 100」という鍵盤ハーモニカ二重奏の100小節の曲を書いて、これは、すべてドビュッシーの「前奏曲集」からのコラージュでできている曲で、作曲作業はドビュッシーと対話しているようで、楽しんだ。さて、ベートーヴェン生誕250年なので、「Beethoven 250」という曲を書くことにして、交響曲7番を題材に作曲を始めた。

 

実際にやってみると、佐久間さんと砂連尾さんが作った「カエルとヘビの歌」を題材に作曲するのに比べると、ベートーヴェンのメロディーを題材にするのは、なかなか大変だ。なぜなら、佐久間さんと砂連尾さんが作ったメロディーの方が、断然変で面白く、触発されるからだ。ベートーヴェンは、ぼくにも苦悩を強いてくる。面白いなぁ。ベートーヴェンみたいに、こねくりまわして、道を探すことを推奨されているような感覚。

 

3月末が本番なので、1月、2月の空いている時間に、少しずつ手直しをし続けて、推敲し続けて、上書きし続けて、ベートーヴェンと色々な角度から向き合ってみたいと思う。ベートーヴェンを起点に、どこまでベートーヴェンを拡張できるか。どこまでベートーヴェンから自由になれるか。どこまでベートーヴェンを忘れられるか。そういうことをやってみようと思う。多分、ベートーヴェンは、そうやって音楽に向き合っていたのだと思う。ベートーヴェンだったはずだったのに、だじゃれ音楽になるとか。ベートーヴェンだったはずが、相撲聞芸術になっているとか。ベートーヴェンだったはずが、カエルとヘビになっているとか。ベートーヴェンだったはずが、香港のi-dArtになっているとか。ベートーヴェンの呪縛から自由になるために、いろいろやってみよう。

 

とやっているうちに、少しずつ、ベートーヴェンの呪縛が、ほどけ始める。もっともっと、ほどいて、ほどいて、ほどきまくって、作曲したい。ベートーヴェンが縛ってくれたことに感謝。ほどいてやる!

 

 

 

勝部の火祭り

昨年、十和田のピアノを巡るツアーをした。映像記録は、YouTubeで公開されていて、その後、個人的にこの体験を、「十和田十景」というピアノ曲集にした。10曲のピアノ曲から、どう展開するかで、「ワルシャワ十景」を作曲しようか、と漠然と考えていた。そこから、京都のピアノを巡るツアーの構想が浮かび上がり、その打ち合わせ。十和田のツアーを企画した里村さん、写真家だけど映像で関わろうという草本さん、新聞記者でテキストで関わろうという岡本さん。待ち合わせ場所は、Solというカフェ。東九条マダン実行委員長で、研究者でもあり朝鮮楽器奏者でもあるヤンソルさんのお店。

 

東九条マダン劇は、30年近く前に見たことがある。マダン劇は、韓国で60年代に若者たちが農村の古典仮面劇をリサーチし、それを民主化運動の現代劇として広場(マダン)で行ったもの。京都の東九条では、マダン劇が続いている。そのマダン劇の話だけでなく、ヤンソルさんとの濃密な話があって、打ち合わせはピアノの話というよりも、東九条の話、崇仁地区の話、マダン劇の話、在日コミュニティの話、様々な話に及ぶ。そのことが、ピアノのツアーと結びついてきそうな予感。

 

続いて、滋賀県守山市に行く。今日は、日本有数の奇祭と知られる勝部の火祭りを見に行きたい、と岡本さんから提案があった。実は、ぼくは30年近く前に、勝部の火祭りを見たことがある。守山市勝部町にあるスティーマーザールは、調律師の上野さんがピアノと音の実験場として1988年につくった私設ホール。1992年頃に、勝部の火祭りを題材にしたコンサートを企画し、野村も新曲を作曲する予定だったので、この火祭りを見にいった(企画は実現していない)。

 

せっかく勝部に行くので、まずはスティマーザールを訪れる。上野夫妻と語り合うのは楽しい。そして、ピアノについて、火祭りについて、様々な情報を教えていただく。スティマーザールのピアノは、本当に生きた楽器で、演奏しがいのある楽器。CD「ノムラノピアノ」も、ここで録音した。

 

そして、夜、ついに27年ぶりに勝部の火祭り。27年経っても、古い街並みは残っていて、大規模な祭りは縮小することなく行われていて、数多くの若者が裸にふんどし姿で、太鼓をかつぎ、巨大な5メートルもあるカリフラワーのような松明をかつぐ。そして、予想通り、様々な儀式ののち、点火するとあっと言う間に終わった。滋賀県は、本当に色々な奇祭がある。火祭りも多い。相撲神事もいろいろあるので、また、少しずつリサーチしていきたい。

 

ということで、火祭りに触発されて、ピアノツアー計画も面白い打ち合わせになった。そして、作曲に着手した「 Beethoven 250」も、火祭りや相撲など、ベートーヴェンが考えもしなかったものを、いっぱい盛り込んでいきたい、と思った。

 

 

「Beethoven 250」作曲開始

アコーディオンとピアノのための新曲「Beethoven 250」の作曲に着手。そもそも、ベートーヴェンを題材に作曲する予定ではなかった。そもそも当初は、3月28日の日本センチュリー交響楽団の演奏会で、ベートーヴェンの「田園」を演奏する予定だったらしく、柿塚さんからコンサートのプレイベントで、野村の「新潟組曲ー水と土のこどもたち」が新潟の福島潟の風景を題材にしているので、ベートーヴェンの「田園」と比較して面白いのでは、との依頼があったのだ。

 

ところが、その後、オーケストラのコンサートが「田園」ではなく、ベートーヴェンの「交響曲7番」に変更になったため、「新潟組曲」をやる意味がなくなってしまった。そこで、「交響曲7番」を題材にした新曲をつくる羽目に陥り、ベートーヴェン生誕250年なので、「Beethoven 250」という新曲を作曲することになった。

 

というわけで、「交響曲7番」の主題に基づく変奏曲を作ろうと作業を始めるが、だか気が乗らない。そもそも、ベートーヴェンの7番に、そこまで思い入れもなく、気持ちが入らない。なんでベートーヴェンの生誕250年を祝す曲を作曲するのか。交響曲7番に関する曲を作曲するのか。なかなか納得できる方向性が見出せないまま、作曲は始まらず。

 

ということで、机に向かったり、ピアノに向かったりしているうちに、何時間もすぎる。いい加減、方向性も定まらないのにも飽きてきたので、とりあえず、なんでもいいから書くか、と書き始めたら、変奏曲でもなんでもなく、交響曲第7番の第1楽章のメロディーをアレンジしていくうちに、だんだんベートーヴェンの音楽じゃなく、野村誠の音楽になり始めた。そんな風に、「 Beethoven 250」は始まった。せっかくベートーヴェンを題材にするので、いろいろ遊ぼうと思った。

 

 

 

輪島VS北の湖

日帰りで名古屋の実家へ。坂の上の家。久しぶりの坂道。父や母の昔話を聞く。

 

京都に戻る。JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)が、2016年12月にさいたまトリエンナーレで行った一ノ矢さんとの対談のテープ起こし原稿を読み、相撲への熱が盛り上がり、気がつくと、輪島vs北の湖の名勝負動画を見入ってしまう。横綱同士の取組で、水入りの大一番が何度もある。それにしても、何度も同じ体勢になって、大相撲になる。型の違うライバルの共演。

 

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乱舞の中世

引越から2ヶ月弱、徐々に本棚に本が並べられるようになってきている。沖本幸子著「乱舞の中世」という本も、ようやく段ボール箱から本棚に移動。パラパラとめくり、180ページの以下の一節が目に止まる。

 

 そもそも乱舞がとても中世的だと感じるのは、「乱」という言葉やその熱狂性ばかりではない。即興というものに大きな力点を置いていたことも重要だ。決まった振りをなぞるのではなく、どこかに、その人その場の個性が投入され、その場限りの高揚感を生み出していく‥‥‥。白拍子舞のセメや宗徒たちの乱舞にはそれが象徴的に現れていたが、そうした瞬間的な力の凝縮は、能をはじめ、中世文化がもっとも得意にしたところである。

 

182ページには、

 

 乱舞の前の今様の時代には声、しかも、天に澄みのぼってゆくような細く高い美声が重視されていた。乱舞の時代になると、天から地へと、その到達点が180度転換し、しかも強く高らかに足を踏み鳴らすことに力点が置かれていく。

 思えば、あらゆる価値が転倒し乱れてゆく時代の中で、大地の荒ぶるエネルギーを自らの身体を通して転換させていくような舞が好まれたのも当然かもしれない。

 

その時代に生きたわけではないのに、まるでタイムマシーンで見てきたかのような文章だ。そして、なんだか現代の、ぼくたちがやっている現場のことを描いているかのような文章でもある。

 

1月15日に、ファリャの「7つのスペイン民謡より」について解説するために、ファリャの譜面を読んでいる。フラメンコのリズムが出てきて、昔、インドネシアでスペイン人のアンヘラからフラメンコを教えてもらったことを思い出す。

 

5月31日に開催する「千住の1010人 in 2020年」が、2020年の乱舞になる予感。

 

 

 

世界のしょうない音楽、今年は筑前琵琶も!

本日は、今年度の「世界のしょうない音楽ワークショップ」の第1回。もともと、豊中市と日本センチュリー交響楽団で2014年度に開始したコミュニティ音楽プログラムで、地元NPOのしょうないREKが尽力して実現。2年目の2015年から、大阪音大民族音楽学の井口淳子先生の協力を得て以来、大阪音大の先生方が次々にボランティアで関わってくださるようになった奇跡の企画。今では、邦楽の菊武先生、バリガムランの小林先生、シタールの田中先生、ヴィオラ・ダ・ガンバの上田先生、音楽教育の長谷川先生などが参加されている。今回は、縁あって、筑前琵琶の川村旭芳さんも参加。

 

筑前琵琶奏者・川村旭芳オフィシャルサイト

 

日本センチュリー交響楽団からは、ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」に出演した巌埼さん(ヴァイオリン)、吉岡さん(クラリネット)、ヒューとノムラの「ホエールトーン・オペラ」で大活躍の森さん(ヴィオラ)、末永さん(チェロ)、そして、リサイタルでJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の相撲に関する新作を世界初演した小川さん(ヴァイオリン)というメンバーが結集。

 

ワークショップ参加者は40名で、そのうちの18名が子ども。1歳から67歳までのメンバー。本日は楽器体験。箏、三味線、尺八、琵琶、シタールガムラン、打楽器、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバクラリネットが体験できる。三味線を触ってみた直後に、チェロをやってみるなんて、ワークショップなかなかない。

 

そして、今日の最後には、全員で音を出した。筑前琵琶の川村さんに「祇園精舎」を歌ってもらい、それと楽器演奏を交互にやる合奏。歌と楽器が交互に出ると、なかなか味わい深い。

 

これからどんな音楽に発展していくか、非常に楽しみ。

 

ちなみに、過去の「世界のしょうない音楽祭」の動画はこちら。

 

2018年度の「青少年のためのバリバリ管弦楽入門」は、ブリテンの「管弦楽入門」とバリガムランを特集

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2017年度の「越後獅子コンチェルト」は、地歌の「越後獅子」とのコラボ

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2016年度の「日本センチュリー交響楽団のテーマ」

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