野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ベートーヴェンの呪縛

本日は、自宅にて、作曲。「Beethoven 250」というアコーディオンとピアノの新曲。2017年に、ルー・ハリソンの生誕100年に、「Homage to Lou Harrison」というヴァイオリンとバリガムランの曲を書いた。2018年には、ドビュッシー没後100年だったので、「Debussy 100」という鍵盤ハーモニカ二重奏の100小節の曲を書いて、これは、すべてドビュッシーの「前奏曲集」からのコラージュでできている曲で、作曲作業はドビュッシーと対話しているようで、楽しんだ。さて、ベートーヴェン生誕250年なので、「Beethoven 250」という曲を書くことにして、交響曲7番を題材に作曲を始めた。

 

実際にやってみると、佐久間さんと砂連尾さんが作った「カエルとヘビの歌」を題材に作曲するのに比べると、ベートーヴェンのメロディーを題材にするのは、なかなか大変だ。なぜなら、佐久間さんと砂連尾さんが作ったメロディーの方が、断然変で面白く、触発されるからだ。ベートーヴェンは、ぼくにも苦悩を強いてくる。面白いなぁ。ベートーヴェンみたいに、こねくりまわして、道を探すことを推奨されているような感覚。

 

3月末が本番なので、1月、2月の空いている時間に、少しずつ手直しをし続けて、推敲し続けて、上書きし続けて、ベートーヴェンと色々な角度から向き合ってみたいと思う。ベートーヴェンを起点に、どこまでベートーヴェンを拡張できるか。どこまでベートーヴェンから自由になれるか。どこまでベートーヴェンを忘れられるか。そういうことをやってみようと思う。多分、ベートーヴェンは、そうやって音楽に向き合っていたのだと思う。ベートーヴェンだったはずだったのに、だじゃれ音楽になるとか。ベートーヴェンだったはずが、相撲聞芸術になっているとか。ベートーヴェンだったはずが、カエルとヘビになっているとか。ベートーヴェンだったはずが、香港のi-dArtになっているとか。ベートーヴェンの呪縛から自由になるために、いろいろやってみよう。

 

とやっているうちに、少しずつ、ベートーヴェンの呪縛が、ほどけ始める。もっともっと、ほどいて、ほどいて、ほどきまくって、作曲したい。ベートーヴェンが縛ってくれたことに感謝。ほどいてやる!