野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ヒューと再会

楽家のヒュー・ナンキヴェルが大阪にやってきた。25年前にイギリスで出会って以来の大親友。

 

25年前、ぼくはイギリスのヨークに留学した。イギリスの創造的音楽教育に興味があり、子どもたちと共同作曲したくて、イギリスに行った。その時、イギリスで出会った音楽家の中でダントツに面白かったのがヒュー。子どもとの共同作曲を研究していて、実際に小学生と作っていた音楽が素晴らしく、すぐに意気投合して、バンド「Bishop of Fish Drinks Sake」を結成し、イングランド北部で小さなツアーをした。

 

それ以降、ヒューとは、日本とイギリスで数々のプロジェクトを一緒にやった。5年前、ぼくは、日本センチュリー交響楽団と仕事を始めたのだが、同じ頃、ヒューもボーンマス交響楽団と仕事を始めていた。そして、今日からいよいよ、ヒューとボーンマス交響楽団が、野村と日本センチュリー交響楽団とプロジェクトが実現。

 

今回、ボーンマス交響楽団からは、ヴァイオリンのエマ、打楽器のエディ、マネジメントのベン、日本センチュリー交響楽団からは、ヴァイオリンのはるみさん、フルートのよりこさん、ホルンのよーこさん、マネジメントの柿塚さんが参加。

 

午前中は、日本センチュリー交響楽団の3人が高齢者施設で認知症の人々を対象に行った70分のワークショップを、野村とイギリスチームで見学。午後は、イギリスと日本の音楽家が交流しながら、高齢者とのワークショップを振り返る。

 

ヒューとの濃密な11日間が始まった。ぼくのホームページに、Hugh Nankivellとのコラボレーションというコーナーができた。ぼくのホームページは、英語は内容が充実しているが、日本語のページに情報が少ないので、これから、少しずつ日本語のページを更新していけたらと思う。ヒューとのコラボについても、少しずつ内容を充実させていきたい。

 

Hugh Nankivellとのコラボレーション

 

 

 

 

 

 

 

香港から歌が届く

香港のi-dArtのメンバーと、ネット通信で話す。一年半前に、ぼくが香港にいた時に、ハッピーハンサムさんと作った「ハッピーハンサムロックンロール」を、相変わらず続けてくれていて、新たな歌詞を作ったらしく聞かせてくれる。そして、新しい歌も作ったと言って聞かせてくれる。香港に、こんなに友達がいっぱいいて、みんなの顔を見て、歌を歌ってもらえて、なんだか勇気付けられる。香港のみんなは、とても元気だ。

 

「千住の1010人 in 2020年」に向けて、作曲。作曲と言っても、1010人で演奏している様子を、様々に妄想している。

 

例えば、金管楽器での「ファンファーレ」について考える。ファンファーレは、ファ ファーレと演奏するのかと、考え始める。

 

例えば、「ドミノだおし」を1010人で演奏することを考える。一人順番に一音ずつ鳴らすと、1010拍必要になる。では、途中でどのように分岐していけば、もっと短い時間で済むか。

 

例えば、「間奏曲」について考える。「完走曲」だったら、走り手が必要になる。

 

例えば、「ボロボロボレロ」について考える。「ボレロ」がちゃんと演奏できる人には参加資格がない。

 

船の上での演奏について考える。佐久間新さんが、船の上にいたら、きっといいに違いない。

 

タイのアナンとチャットしながら、インドネシアのメメットとチャットしながら、日本の佐久間さんとチャットしながら、作曲している。

 

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千住の1010人 in 2020年のための新曲を作曲中

「千住の1010人 in 2020年」を来年の5月31日に開催する。そのための新曲を作曲しているわけだが、1010人で野外で演奏した経験は、過去に一度しかなく、2014年の「千住の1010人」での体験が参考になる。

 

というわけで、2014年に作曲した「千住の1010人」を下敷きに、そこで良かったところを生かしつつ、改善すべきところを改善し、この5年間に新たに浮上したアイディアをトッピングして、それを音楽的に展開するのはもちろん、だじゃれ的にも展開していく。そんな作曲作業をしている。とりあえず、まずは、2014年の動画を見てみよう。

 

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ということで、作曲中。とにかく、野外だと、金管楽器は音量が通るけれども、ギターやウクレレなどの弦楽器は音量が弱い。そう思って、2014年には、ウクレレは100人とか、音量バランスで人数考えて募集したものの、実際には、そんな都合よい人数バランスで参加者は集まらなかった。だから、今回は、そうした楽器の音量と人数のバランスには、ばらつきがあるという前提で作曲している。音の小さい楽器も聞こえるシーンがあるように、構成したい。そうしたアンバランスも楽しい。

 

 

 

弦楽四重奏曲「アートサーカス」、「ズーラシア」の音源を聴いて思う

2006年に、弦楽四重奏曲を2曲作曲した。1曲目が「アートサーカス」という曲で、15分近い長い曲。小学生と横浜トリエンナーレ2005を訪ねて、その様子をもとに、子どもたちに、アイディアをスケッチしてもらった。そのスケッチを、子どもたちと音楽家で、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのモチーフにしていって、それを組み合わせて野村が作曲したのが、「アートサーカス」。今でも、コンサートの録音をよく聞く。演奏家の権利があるから公開できないのだが、この曲の譜面や音源が公開できる状況をつくり、他の人にも聞いてもらいたいなぁ、と思う。弦楽四重奏曲第2番は、「ズーラシア」という曲で、1)フンボルトペンギン、2)シロフクロウ、3)テーマとなんちゃって変奏、4)エミュー、5)レエロレロ、6)セスジキノボリカンガルー、という短い6曲から成る。これは、動物園で行った大人のためのワークショップをもとに作曲した。これも、自分で家で聞いて楽しんでいる以外に、他の人に聞いてもらえる機会がない。音源や楽譜を公開できるようにしたい。

 

そもそも、こうした作曲作品の音源は、ほとんど野村が個人で持っている秘蔵音源で、そうした秘蔵音源を聞く会とかも、聞きたい人がいれば、開催したい。

 

2015年に出した「音楽の未来を作曲する」という本のあとがきに、

 

未発表の音源を聴いてみたければ、未出版の楽譜を演奏してみたければ、直接、ぼくに問い合わせてみるのも良いと思います。

 

と書いた。しかし、野村の作曲作品の譜面を見たいとか、音源が聞いてみたい、という問い合わせが殺到することもないし、問い合わせが滅多に来ない。それは、本当に寂しい。とりあえず、ここで、寂しいと書いてみる。この状況をどうやって打破していいのか、わからない。何か、アドバイスもらえる人がいたら、教えてください。

 

野村誠をアーカイブする

里村真理さんと、野村誠アーカイブ・プロジェクトを始動するためのミーティングがあるので、そのための叩き台の資料を作成。野村誠の作曲作品の楽譜のうち、ほとんどが未出版で作曲者に問い合わせないと入手できない。野村誠の作曲作品のほとんどの音源が、未公開。野村誠の作曲作品がどのような意図や経緯で作られたかについては、ブログなどを念入りに読まない限りは、整理されて文書化もされていない。野村誠の多くのプロジェクトは、その場にいて体験して人以外には、追体験するためのものが、あまりにも存在していない。例えば、昨年、香港に3ヶ月レジデンスしたが、その意義について議論する場をつくることも、怠ってきた。まぁ、要するに、作るのが好きだから作るのだけど、作りっぱなしで、アクセス可能な状態にしていない。

 

こんなことを、ダラダラ書くのは、イベントの前には、企画書を書いたり、企画会議をしたり、議論したり、準備したり、練習したりするけれども、終わった後に、そのことの意味を、時間をかけて考える場が、なかなか持てないことへの苛立ちを、ずっと持っているからだ。そして、作曲作品の楽譜や音源へのアクセスしやすい状況を作りたいし、そうした作品が生まれた経緯もできるだけ説明していきたい。そうした強い欲求がある。

 

今日は、2014年に開催した「千住の1010人」というコンサートのことを、ずっと考えていた。このコンサートは、何が成功だったのか?何が改善すべき点だったのか。色々、考えているのは、来年「千住の1010人 in 2020年」を開催するからだ。1010人という大人数で音楽をすることの意味、野外で演奏することの意味、街の中で音楽をすることの意味、千住で8年間続けてきて培われてきたこと、などについて、ああでもない、こうでもないと考える。そして、タイのアナン・ナルコンとチャットでアイディア交換をする。

 

そして、里村さんとミーティング。野村誠のウェブサイトは、英語のページはそこそこ更新しているものの、日本語のページまで更新する作業が追いついていない。引越して、新たな気持ちで始めていこうと思えているので、丁寧にやっていきたい。

 

 

 

千住の1010人 in 2020年

来年5月31日に開催する「千住の1010人 in 2020年」に向けて、雨の中、千住の町を4時間ほど歩く。小さな路地も多い。商店街も多い。公園もある。荒川、隅田川と川があり橋がある。10人ほどのメンバーで歩いてみて、狭い路地や商店街では、10人程度でも、十分に団体が移動しているような存在感がある。今日は傘だったけれども、これが、楽器を奏でたりしていたら、なおさらだろう。だんだん、200人とかでパレードすると存在感は凄いけど、結構、通行の妨げになるし、そうなると千住の町の魅力が埋もれてしまうなぁ、と思った。逆に、15人くらいずつの楽隊が、10グループくらい、それぞれが別個に移動していて、同じエリアを蠢いてみると、場所によって、違った音楽のl組み合わせが聞こえてきて面白いのかも、とも思った。

 

その後、芸大のキャンパスで、作曲に向けての最後のブレインストーミング。だじゃ研(だじゃれ音楽研究会)メンバーと議論を重ねて、構想が練られる。第1部は、10のグループが町の中で音を奏でながら移動していく野外での移動型の音楽。第2部は、タイとインドネシアのゲストによる室内のコンサート。第3部は、出演者全員が結集する1010人の大アンサンブル。第4部は、石だけを演奏するフィナーレ。

 

ということで、いよいよ1010人の作曲にとりかかります!

東大と音楽の未来をつくる

東京大学という大学があり、日本の中では最も研究費が潤沢にあり、様々な研究が行われている研究/教育機関がある。今日から行われている東大駒場祭という学園祭での東京大学新聞の主催でのシンポジウム/コンサートに出演してきて、大変、刺激を受けた。

 

それにしても、会場が東大。モデレーターが、東大の現役の学生である円光門さん。

パネラーが、東大教授の小田部胤久先生、東大卒のピアニストの園田涼さん、東大大学院生でピアニストの角野隼斗さん、そして、野村誠。つまり、ぼく以外は、全員東大関係者。完全にアウェー。

 

控え室で小田部先生とお話する。なんでも、「こどもと音楽の未来をつくる」というシリーズを東大で開催したそうで、その話をいろいろ聞かせていただく。面白そう。東大を面白く活用することもできるし、東大生を面白く活用することもできるし、東大教授を面白く活用することもできる。東大や東大生や東大教授が、東大らしいイメージを払拭できないでいる必要はない。これまでの高々100年ちょっとの歴史で築かれた東大なんていうイメージなんて関係なく、これからの未来の東大になっていったらいい。「こどもと音楽の未来をつくる」と同時に、「東大と音楽の未来をつくる」もあり得るなぁ、と思う。

 

こどもと音楽の未来をつくる

 

14時に始まったシンポジウムは、休憩のないまま16時半くらいまで2時間半突っ走り、様々な話題を突散らかして、これから議論が深まっていくところまでで時間切れ。第2部のコンサートの前の10分間の休憩の間に、小田部先生とお話しし、印象に残った言葉が、「未来のコンセンサス」という言葉。つまり、未来で合意を得るために、様々な文化的な接触、交流などをしていくことに意義がある。合意に達した上で交流をする場合は、現時点で合意できる間柄しか交流できなくなってしまう。その辺の話、面白かった。

 

16時45分ごろにようやく第2部のコンサートが始まり、角野さん、園田さん、野村とそれぞれ、20分ずつ演奏。それぞれが即興演奏をした後に、レパートリーを演奏したのが印象的だった。そして、角野さん、園田さん、ともに、ショパンを弾いた。(園田さんはジャズアレンジの)。ぼくは、自作の「たまごをもって家出する」をボロボロな演奏で弾ききった。来月、ポーランドフレデリック・ショパン音楽大学でコンサートするし、フレデリック・ショパン高校でワークショップするし、その時にも「たまごをもって家出する」を弾くつもりなので、今日は、ポーランドに向けても、触発されることが多かった。そして、急な思いつきで、角野さんと「相撲聞序曲」を連弾したが、本当に素晴らしいピアニストで、共演していて、本当に楽しかった。最後は、園田さん、角野さんのピアノ連弾に、野村が鍵盤ハーモニカで加わってのセッションで終了。

 

懇親会でも、いろいろお話ができて良かった。角野さんは、大学院でAIと音楽に関する研究をしている。ぼくは、バッハは素晴らしい作曲家だと思うし、現時点では人類最高峰の一人の作曲家だと思うが、バッハの音楽が存在し得る至高の音楽だとは思わない。それこそ、人工知能が発達して、バッハの音楽なんて稚拙だと感じられるくらいのとんでもない音楽を作曲してくれたっていいし、そうした音楽の存在を想像している。何十年かして、人工知能がバッハなど人間の作曲を遥かに凌ぐ音楽を作った時に、その音楽の価値をぼくは味わえるだろうか?人間には難しすぎてチンプンカンプンなのか。それとも、そうした音楽に触発されて、人間ももっといろんな音楽がつくれるようになるのか?そんなことを想像しながら、ぼくはこれからも、そうした音楽に辿り着くために、アリクイと音楽をしたり、人工知能に音楽を教わったり、子どもたちと音楽を創作したり、様々な共同作曲を試みたり、世界の色々なところを旅したり、していくのだと思う。

 

それから、東大という日本の中では知名度も高く、研究費も多い大学が、音楽や芸術の領域横断的な研究をする場として、機能できる可能性は十分にあるのだから、そこをどんどんやっていって欲しいと思う。

 

それにしても、2時間半のシンポジウムの後に、さらに二人のピアニストの演奏を20分聞いた後に演奏する、というのは、なかなか他では得難い体験で、このような機会をいただいたことに、本当に感謝!円光くん、ありがとう!みなさん、ありがとう!多謝!!!

 

そして、宿にチェックインして、ポーランドのアルベルトと打ち合わせ。12月16日のワルシャワでのレクチャーについて。