野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「四股1000」3周年/木レンジャーのテーマ/俳諧のこころ

四股1000を開始して3周年。JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)で四股を1000回踏むというオンライン稽古を開始して、3年間踏み続けた。鶴見幸代は毎日ホストとして踏み続けている。コロナが収束に向かうにつれて、外出など予定が増えて参加できないことも増えて、一人で踏んでいることが多いが、3年前に比べると明らかに重心が安定してきた。3年前はこんな感じだったんだ。

 

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1月に行った公演『どんどん日田どん!』の中で演奏した《木レンジャーのテーマ》の音源を、今後の木レンジャーの活動でも使いたいとのことで、髙村木材さんに音源を送るとともに、ピアノで簡単に弾ける譜面を作成してお送りする。こうして、公演後にも展開していくのは嬉しいことだ。

 

ガムランの新作を考えている。と同時に、ホセ・マセダの1997年の作品の譜面を読んでいる。マセダは、俳句について、そこまで深く考えずに題材に選んだと思うし、曲を聴いたとしても、5つの俳句の世界を感じ取るのは難しいほど、言葉が断片化されている。「だじゃれ」と「俳諧」は近いんだ、と気づいてしまって、「俳諧連歌」と「しょうぎ作曲」も近いんだ、と思ったら、俳諧の方にぐっとスライドしたくなった。

 

プロデューサーの三輪眞弘さんの言葉に(https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/article/detail/001156.html

 

すぐにまた「西洋音楽」として回収されてしまうとしても、今回の委嘱初演を僕は無意味だったとは思わないだろう。

 

とあるけど、コンサートで新作やって「西洋音楽」として回収されてしまう前提で書いてるけど、回収される気なんてない。コンサートホールを路上に変え、芝居小屋に変え、祭りの広場に変え、人々の集う座に変えることがあって、いいではないか。そう思ったら、ホセ・マセダは、「俳諧」ではなく、切り取られた「俳句」を歌詞として扱ったけど、ぼくは「俳諧」にアプローチしたいし、切り取られる作品だけではなく、そこにある人と人との繋がりまで含めた音楽・芸能・場を作りたい。そのために、俳諧はキーワードになると思えてきた。