野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

展覧会はプロジェクトの一部だなぁ

塔本シスコ展の音楽《おかえりなさい、シスコさん(讃)歌》ができあがり、サントリーサマーフェスティバルのための新曲に本格的にとりかかりたい。明日は、大阪に行きガムラングループ「マルガサリ」と色々音を出すので、そのためのスケッチを色々している。

 

シスコさんのお孫さんのミアさんが(ご夫妻で)いらしているので、里村さんが、新麹屋さんへの取材をアレンジしていて、ぼくも同行させていただいた。大阪でシスコさんと同居していた子ども時代に、シスコさんから子ども時代の話を聞いていたであろうミアさん。そして、シスコさんの残してくれた絵から想像できる当時の暮らし。そうしたことと、実際のこの土地の人々の証言が重なっていく。それは、シスコさんのルーツを探ると同時に、ミアさんのルーツを探る旅のようでもあった。フリーマーケットで売られていた昔の(とても味わい深い)子どもの絵を見て、目を輝かせていたミアさんの姿が印象的であった。

 

それにしても、すごい展覧会になった。イキイキしている展覧会で、参加したくなる展覧会だ。本展を企画した里村真理さんは、リニューアル・オープンからずっと、

 

未完成

みんなでつくるミュージアム

 

という2つのテーマに取り組んでいる(KOSUGE1-16の展覧会は、タイトルも『未完星』であったし、市民から寄せられる未完なモノが日々増えていきアップデイトされていた。展覧会が始まって以降も、中野裕介のインスタレーションは日々更新され続けていた)。今回も、その姿勢は一貫していた。だから、今回も(良い意味で)未完成で、動きがあり、すぐに評価が定められないことがいっぱいある展覧会になった。

 

荒井良二さん、itiitiさん、野村誠の3人は、シスコに触発されて作品を作る、というだけのお題で創作したわけではない。作品を完成させることよりも、現在進行形でシスコと関わり、市民と関わる中での創作を期待された。そこには、美術館(里村さん)の強烈なこだわりや思いがあったと思う。だから、ぼくたちは展示作品を作っるためにワークショップを行ったのではなく、シスコに関わり、人々と交流することに最大限の重点を置いた。もちろん、その交流の結果として、「なにか」が生まれてきて、その生まれてきた「なにか」から展示ができあがった。

 

美術館は、評価の定まった美術品を収集し、資料として展示する場所と思われることも多い。展覧会は、一度始まったら、静的に不変であることも多い。今回、宇城市に寄贈された15点のシスコ作品は、20〜30年前に描かれたもので、そうした資料を解説などとともに展示する静的な場であれば、展覧会初日に展示は完成する。

 

そういう感じじゃないんだ。シスコでうねりを起こそうとしているんだよ。町の様々な場所でシスコについてのアクションを起こし、そうしたアクションが色んな相互作用を生んでいるんだ。町全体でシスコさんを「おかえりなさい」と歓迎するムードを作ろうとしたんだ。そのための歌であり、絵であり、プロダクトであり、そのうねりが交差する場として美術館があり、展覧会がある、ということ。

 

人口6万人の市にある美術館が、どうしたら市民の場になれるのか?を試行錯誤するプロジェクトだ。シスコの作品を、お披露目して、その後に美術館の収蔵庫で永久保管することがゴールではないよ。市民の財産になったシスコの作品を、これからどの活用していくことができるかを考えること。それがないと、作品が寄贈されても宝の持ち腐れになりかねない。だから、市民一人ひとりが自分ごととして考えるための展覧会をやらないと意味がない。里村さんは、そういう意識で熱く動き回った。10年後、50年後、100年後に、シスコの絵をどうやって活用できるか?という問いを、各自が抱くこと。

 

100年前にはあった十五夜綱引は、市内のいくつかの地域では現在でも行われているし、多くの地域では伝統が途絶えた。でも、伝統が途絶えていた底井樋祭りは平成になって復活したし、そのためにシスコの絵も一役を担った。100年前の自然環境や生活はどうだったのだろう?と絵から想像することもできる。荒井良二さんが描いた《フレーフレーフレ川綱引》を描き始めた場所は、市内の屋外で、PLAY FARMという子どもが自然環境で遊べる場所。無農薬でお米を育てる田んぼの持ち主として農業に参加できる活動なども行っている。シスコから、町の色々な草の根的な活動にどうつながっていけるのかも、大きなテーマ。

 

また、独学の画家であるシスコは、画一的になりがちな絵画教育にも一石を投じる。シスコの絵には、色々な掟破りがあるが、それがルールだと縛られていることに気づくきっかけにもなり得る。そして、誰もが表現していいんだ、と勇気づけられる。だから、今回、いわゆる上手な人だけが歌を歌ったんじゃない。いわゆる専門教育を受けた人だけが楽器をやったんじゃない。

 

だから、この展覧会はオープンで完成するようなものではなく、オープンでスタートしたものである。未完な部分は、みんなで力と知恵を寄せ合いながら補完していけばいいし、未完だからこそ補える。展覧会が始まってからも、少しずつアップデイトしながら、更新されていくといいと思う。オープニング曲のタイトルも《シスコいのぼり》と今日決まった。ハンドアウトの追加作業も始まった。会場での音源の音量も、お客さんの様子を見ながら、少しずつ調整している。まだまだ更新されていくよ。

 

圧倒的にマンパワーが足りない小さな美術館で、これだけの人を巻き込むプロジェクトを行ったのは無謀としか言いようがないかもしれない。でも、強い意志を持ってそれを敢行した里村さんに大拍手!5月4日には、荒井良二さんと野村によるライブパフォーマンスもあるので、是非是非、お越しください。。