野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

2023年度がどんな年になるのか全然わかんない‼︎!

今日も音源編集。琵琶による語りと、子どもの歌が交互に登場する。なんだか、この1年、知らないうちに塔本シスコに巻き込まれて、シスコの音楽を作っている。今、これをやっていることは、ぼくの音楽人生の中で何か大きな意味がありそうな気がしている。何かの序章なのかもしれない。でも、それが何だか、全然わからない。

 

今日は、仏教の「他力」について考えた。2020年5月に『千住の1010人 in 2020年』を計画していて、何年もかけて準備してきて、開催の間際にコロナになってしまい、中止になった。どんなに準備しても、できないことはできない。逆に、コロナになったから、オンラインの実験ができた。音質も悪いし、タイムラグもあるので、それまで音楽で大切にしていたことが全て否定されているような感覚だったけれども、あの時にしかできない体験ができたと思う。

 

そうして、今、コロナによって中断されていたことのほとんどが再開している中で、2020年に行く予定だった香港行きが3年遅れで5月に計画されたりしていて、2023年をどういう年として過ごしたらいいのだろう、と当惑している。2023年に作曲する音楽は、自分の中でどういう文脈で、どう位置づけられるものなのだろうか?突然、色々なことが再開し始めていて、ぼくは困惑していて、世の中は通常運行をしている。

 

ゆっくり空気を吸って考えたい。で、2004年11月20日の日記に出てくる「他力」について、読み返した。

 

「それは、仏教で言うところの、自力から他力、っていうことなんや。自分でやろうとしてしんどいのが、自分でやろうと思わないと、どうしたらいいかが、勝手に見えてくる。そして、この状態のことを、安心、と呼んだんや。」
と説明してくれた。
「つまり、野村さんは、人から見ると、いつも危ない橋を渡っているように見えるけど、それが唯一の方程式で、その道を選ぶからこそ、たどり着ける風景があるし、その道を選ぶことが、本人にとっては安心なんや!」
このフォーラムも、危ない橋を渡りながら、安心で行きたいし、野村さんはそうしてくれるだろう、それを楽しみにしているよ、と橋本さんの目は訴えていた。

 

ああ、そうか。やろうと思わなかったら、勝手に見えてきて、それが危ない橋のようで「安心」なんだなぁって、なんとなく勇気づけられた。今年はどんな年になるかわかんない。これから作曲するガムランの曲もどうなるのか全然わかんない。荒井良二さんの展覧会のために作曲する音楽も、どうなるか全然わかんない。色々、全然わかんない。わかんないってことは、安心だ。ああ、それでいいんだ。やったー。全然、わかんない。2023年度、面白くなるなぁ。どう面白いかは、全然わかんないけど。

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