野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「安心」とは何か〜ワークショップフォーラム前夜

群馬県の前橋へ行く。2泊3日の「第3回全国教育系ワークショップフォーラム」に参加するためだが、ゲストという立場で関わるので、前日入り。

高崎駅で乗り換えの電車を探していると村上千里さんに声をかけられた。「持続可能な開発のための教育の10年推進会議」の事務局長をやっている方で、環境教育などの話を聞かせてもらう。環境教育もつきつめていくと、人間との関わりや、ネットワークや、色んなことがいかに想像できるか、というところに行きつくようで、コンビニでペットボトル入りのお茶を購入した時に、その過去(製造過程や、その途中で運送してくれるトラック)とか、その未来(ペットボトルをゴミ箱に投函した後、そのゴミを運搬してくれる人、運搬されたものを処理する人、、、)などを、想像する力があるかどうか、にかかってくる、と思う。そういう意味で、過去と未来を想像する力が重要になるし、「持続可能な」という形容詞を使うのは、現在は何とかなっても、これを10年、20年と「やり続けて」も大丈夫なのかどうか?問題の未来への先送りになっていないか、ということを、問い直すために、敢えて付け加えた形容詞なのだろう。しかし、そんなことを彼女の自己紹介で頭に巡らせながらも、聞き上手な村上さんに乗せられて、だいたい、自分のことばかりをペラペラと喋っていたら、前橋駅に着く。

「国立赤城青年の家」の職員さんに車に乗せられて、町を抜け、山を登り、数十分後に到着。あ〜あ、来てしまった。ワクワクするのも半分だが、とにかく4日間ココに監禁されるのだ。こんな山奥の宿泊施設から逃げ出すことができない。周りの人が、みんな苦手な人だったら、どうしよう?そんな気持ちもどこかにありながら、でも、いい出会いもあることに期待して、到着。

夕食後、講堂にピアノを発見。ピアノを弾いていると総合監修の中野民夫さんが即興で踊り出す。中野さんにさっきもらった名刺では、博報堂勤務、「ワークショップ」(岩波新書)の著者、日本環境教育フォーラム理事、などの文字を見て、どんな人なのかな?好感も嫌悪感もまだ持てずにいたが、ここで彼に対する信頼がぐっと増した。無理せずに自然に踊っていたのだ。自然に楽しんでいたのだ。だから、ぼくは彼の踊りに対して、即興でピアノを弾き、もっと場が楽しくなった。そこには、2、3人の聴衆がいただけ。そんな場が創出したので、このフォーラムへの期待が高まった。

その後のミーティングに、ぼくは期待していた。今年のテーマは、「創造」。そのテーマについて、主催者にどんな思い入れがあるのか?どんなフォーラムにしたいのか?各自がどんな関わり方を目指しているのか?当然、そういう話し合いの場になるのだろう。だからこそ、ぼくらは前日入りしたのだろう、と思い込んでいた。

ところが、ぼくの期待は、一気に萎んでいく。3日間のタイムスケジュールの段取りを、丁寧に説明していくだけなのだ。そんなのは、進行表を見れば分かることだ。全員が一同に会している、この貴重な時間に、なぜ?なぜ?なぜ?2時間近くに渡って、行われたミーティングは、ずっと、その進行についての説明だった。ぼくは、どんどん息苦しくなった。

最後に、質問タイムがあって、そこでやっと質問した。
「これって、今説明された時間はあくまで、目安ですよね。この時間通りに正確に進行していくわけじゃないですよね。」
これは、ぼくの確認のつもりの質問だった。この通りに進むのならば、あまりにも息苦しい。あまりにも窮屈。議論が動き始めた時に打ち切ることになるのが、容易に予測がつくが、それでは、あまりにももったいない。
「この時間通り、進めます。保育との関係などで、時間を守らないと混乱が生じます。」
これには、がっかりした。このフォーラムは時間を厳格に守りながら、内容を充実させなければならない。これは難しいことだ。

その後、さらに全体ミーティングがあった。ミーティングの数の多さに疲れ始める。

お風呂を目指して歩いていたら、立ち話。やっとフォーラムらしくなる。この隙間こそがフォーラムだ。立ち話をしていたら、子どもフォーラム担当の韓さん、保育士さん二人(オズマ、たんぼ)と出会う。なんか一緒にやりたいね、とその場で、
「じゃあ、ぼくのワークショップで、途中子どもフォーラムと合流しましょう。」
と即断する。

大浴場に入浴。あれだけ一緒にいながら、言葉を交わすことのできなかった松原高校の先生たち(吉村さん=校長、檜本さん)と浴槽でやっと会話が成立。立ち話やお風呂が、フォーラムになっていく。

ロビーに着くと、実行委員会の人が、飲み物を用意して、飲み会の場ができていた。ここもフォーラム。ぼくと同じくゲストという立場で来ている橋本さんとも、初めて話ができる。ミーティングなどでも、ずっと一緒にいたのに、一度も会話ができず、何を考えているのか意見の交換ができなかったが、やっと話ができた。

橋本さんは、高校の先生をしていた時に「教えない授業」というのをやっていて、その後、大学でカウンセラーをやり、今は「プレイバックシアター」というのをやっている。この経歴だけだと、面白い人かどうかが伝わりにくいが、話をしてみて、すごく面白いと思った。彼の活動は、すべて体験に基づいているからだ。「教えない授業」というコンセプトが先にあったのではなく、授業がうまくいかないから、どうしようと、生徒に問いかけるところからスタートした結果、行きついた道だからだ。

この日記で港大尋の文章の批評で書いた「表現=表に現わす」ではなく、「表現=表に現れる」という考え方を、橋本さんは、
「それは、仏教で言うところの、自力から他力、っていうことなんや。自分でやろうとしてしんどいのが、自分でやろうと思わないと、どうしたらいいかが、勝手に見えてくる。そして、この状態のことを、安心、と呼んだんや。」
と説明してくれた。
「つまり、野村さんは、人から見ると、いつも危ない橋を渡っているように見えるけど、それが唯一の方程式で、その道を選ぶからこそ、たどり着ける風景があるし、その道を選ぶことが、本人にとっては安心なんや!」
このフォーラムも、危ない橋を渡りながら、安心で行きたいし、野村さんはそうしてくれるだろう、それを楽しみにしているよ、と橋本さんの目は訴えていた。明日からの3日間、本気で行くしかないね。