野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

具体の「作品」たち/香港からの友人/釜ヶ崎芸術大学の校歌

大阪に行く。国立国際美術館と大阪中之島美術館の2館同時開催の『GUTAI 分化と統合』を見る。1960年代前後に関西からヨーロッパに発信した前衛美術ムーブメント「具体」に関する展覧会。ぼくが関西で学生生活を始めた1987年は、具体が解散して15年が経過していたので、ぼくは直接「具体」に触れたわけではない。でも、具体は間接的には、ぼくに大きく影響を及ぼした(と書いたのは、関東で育った里村さんと鑑賞したので、やはり具体との距離感は違うと、再認識できた)。

 

学生時代、具体の後期のメンバーだったヨシダミノルさんのお宅には何度もお邪魔したし、1989年の大晦日にはミノルさんの自宅(大空ライブ美術館)で行われた1990年代へのマニフェストというイベントで、ぼくもピアノを弾いた。バブル全盛時代で、広告業界が華やかで全てのアートが商業主義に回収されそうな中で、具体のメンバーでもあった堀尾貞治さんが時代の流行などと無縁な活動。20歳の頃に出会った詩人の上田假奈代は早熟な天才少女で、高校時代に既に「具体」のメンバーだった嶋本昭三さんと交流があった。なんとなく関西で過ごした時間の中で、断片的に得た情報から、自分の中で勝手に「具体」の像を描いていた。だから、今回、一挙にこれだけの作品を見ることができて、面白かった。

 

今回の展示は、ほとんどが作品であった。ごく少数の書簡や写真などの資料もあったけれども、それは、ごく僅かで、とにかく夥しい数の作品があった。しかも、その多くのタイトルが「作品」だった。村上三郎の紙を破るアクションや、白髪一雄の足で描く絵画など、行為自体が有名だったし、ヨシダミノルさんもパフォーマンスが有名だったけれども、今回の展覧会のフォーカスは「作品」である。具体の人は、様々なアクションを起こしたが、「作品」を作り続け、絵画を自由に開こうとしたし、絵画の枠の中で勝負しようとしていたようにも見える。その間でのせめぎ合いが見えてくる。それでも、数少ない映像資料の中で、舞台での美術公演や、デパートの屋上で開催した風船に絵をつけて行う空の展覧会などが、面白かったし、空の展覧会に出展を募る英文の手紙などの資料も面白かった。でも、展覧会を企画した方々も具体も、そうした舞台裏を見せることよりも「作品」に最も雄弁に語らせたいようだ。

 

2館の展示を見るのに5時間近くかかって、ヘトヘトになって後、里村さんと1月9日の不知火美術館のトークに関する打ち合わせ。

 

www.museum-library-uki.jp

 

その後、ココルームに行く。香港のCCCDのスタッフでソーシャリー・エンゲイジド・アートの研究者のナンシーと再会(ナンシーと一緒にコレクティブをやっているマイケルにも会う)。ナンシーとはコミュニティミュージックのオンライン会議、香港とのオンラインワークショップの時などに、オンラインでは会ったけど、対面で会うのは4年ぶりくらい。香港のこと、デモのこと、コロナのこと、彼女たちが始めたコレクティブやジーンのことなど、いろいろ話す。

 

ココルームの方々や宿泊の方々と交流する。ココルームの人々が、以前、釜ヶ崎芸術大学のワークショップで作った歌(「校歌」、「釜ヶ崎オ!ペラのテーマ」など)を、ぼくがいない間もずっと歌い続けてくれていて、歌を作った当時はスタッフでなかった若い新しいスタッフも、自分達の歌として歌ってくれている。感激。こんな変な校歌、作ってよかった。

 

cocoroom.org