野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

きたまりダンス公演《棲家》

きたまりダンス公演《棲家》(@京都芸術センター)、2回目の公演が無事終演。おつかれさまでした。本当に、贅沢な時間と空間だった。コロナのこの時期に、中止にも延期にもならず無事に公演が行えて、本当に良かった。

 

これまで、ダンサーとしてのきたまりと共演してきた。振付家/演出家としてのきたまり作品も何作品か見たことがある。今回、初めて、彼女の演出/振付作品で音楽をすることで、彼女の舞台が総合芸術であることを肌身で感じた。さらっと「総合芸術」などという安易な言葉で書いたが、これは実はなかなか容易には実現できないことである。

 

歌舞伎や能は、音楽もあり舞もあり劇でもある。日本の伝統芸能を見ていけば、ダンスと音楽と演劇が切り離せないものである。歌舞伎にしたって、元を辿ると出雲阿国のかぶき踊りから始まったと言われるし、能だって、物真似芸であった猿楽とか、さらにはサーカス芸のような散楽に遡れると言われる(さらに遡ると相撲にたどり着くと折口信夫は言う)。

 

音楽には楽譜があり、演劇は戯曲があることが多い。きたまりは、マーラー交響曲(それらは100年以上前に楽譜に書かれて残ったもの)に振付、今、太田省吾の戯曲に振付している。こうした楽譜や戯曲をダンス化するプロセスを経て、彼女はダンス人として作曲家とガチで向き合い、ダンス人として劇作家とガチで向き合ってきた。だから、今回の作品《棲家》は、単に戯曲をダンス化した公演ではない。戯曲をダンス化すると同時に、楽譜もダンス化されるし、ダンスを音楽化もしている。音楽が単なる手段として使われることはなかった。彼女から音楽に対する演出(注文)も非常に具体的で明確で、音に本当にこだわっていた。最後のシーン、ぼくと嵯峨さんは舞台裏で演奏したのだが(歌舞伎の黒御簾音楽を連想させるが、また違った効果があった)、舞台裏のもう一台のピアノをどこにどの角度で置くかなど、音の聞こえ具合に本当にこだわってくれて嬉しかった。現実世界と異世界の絶妙なバランスの綱渡りをするために本当に重要な違いがあるはずだが、それを理解して言語化できる演出家は(少なくともぼくの経験上は)稀である。

 

《棲家》が書かれた日本がバブル経済に突入していく1980年代、夢の遊眠社が大人気だった。高速で喋りまくるエンターテインメント性の高い野田秀樹の演劇が新時代を生み出している若い感性だと、脚光を浴びていた。小劇場ブームだった。言葉が優位の演劇が全盛であった。情報が溢れかえる時代。新製品が次々に消費されていく時代。人々が気配を忘れ、間を忘れ、沈黙を忘れた時代。あれから30年以上経って、ぼくたちは気配を、間を、沈黙を取り戻しただろうか?

 

《棲家》は気配の公演だった。音の気配、舞踊の気配。映像には映らないオーラ、振動、波動。コロナで、なかなか劇場公演が行えない時代、無観客動画配信など、色々試行錯誤の時代が続く(そのこと自体、面白いし有意義でもあったが)。でも、劇場でしか味えない体験に喉の渇き、今や限界に達している。そんな今、これほど映像で残しにくい気配の公演、ライブでしか体験し得ない微細な波動が充満する公演が実現できたことは、本当に救いだった。この上なく贅沢な時間と空間であった。自分自身も出演者としてピアノを弾いたけれども、この時間にいたことが幸せであり、この時空にいるはずなのに、いつの間にかタイムスリップし、異空間にワープしていたけれども。

 

ああ、ここからもっと公演したいなぁ。終わっちゃった。余韻を噛み締めます。出演者、スタッフ、関係者、ご来場いただいた皆さん、本当にありがとうございました。