野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

自虐ネタでないコントラバス/門限ズ+ボーイズ+九大

《ことばコントラバス(仮)》を作詞・作曲中。テキストを考える上で、委嘱してくれたコントラバス奏者の近藤聖也さんの文章を読み、主役になれずに通常低音で支えるコントラバスという楽器とコントラバス奏者の愚痴やボヤキのようなものに興味を抱き、そうした視点で作詞・作曲を始めていた。近藤聖也さんに薦められて、溝入敬三さんの『コントラバスとらの巻』という本も買って読んでみた。すると、次々にコントラバス奏者の愚痴やボヤキが出てくる。ジョエル・レアンドルの《タクシー》というコントラバス曲は、コントラバスを抱えているためにタクシーに乗せてもらえないという語りがついている。コントラバスの愚痴やボヤキは、ある種の定番で、そういう作品が数多くこれまでにも作られてきているようだ。

 

だから、当初は虐げられているコントラバスの声を聞きマイノリティの声を届ける作品にする、と思っていたが、今日から方向転換。定番の自虐ネタに回収されてはダメだ。自虐ネタに加担するのではなく、他の楽器にできないコントラバスならではの魅力を最大限に引き出すのが、ぼくのできる仕事だ。だから今日は、また「言葉」から離れて、コントラバスの美しい独奏を書いていた。

 

夜は、門限ズとボーイズと九州大学のリハーサル(このプロジェクト名が欲しいなぁ)。身体、テクノロジー、障害、リモート、舞台などなどのキーワードで、クリエーションをしている。福岡で電動車椅子を操作しているアユキチがいて、北九州で別の電動車椅子がシンクロして動いている、みたいなことも可能なのかもしれない。九大の学生さんによれば、そうした操作情報などは容量が少ないから、通信のタイムラグもないかもしれないとのこと。こうやって集まって動いたり話したりすると、誰かが思いついたり提案したりして、また誰かが何かを言って変わっていったりする。見学の人とキャストの境界、キャストとスタッフの境界、介助する人とされる人の境界。それぞれにはそれぞれの役割があるのだけれども、そうした役割がありつつも、境界があやふやになると、クリエーションが面白くなってくる。生身の身体でコラボレーションしてきたメンバーたちが、リモートやテクノロジーとコラボする機会を得て、戸惑いながら新しいコミュニケーションの可能性を探っていて、だんだん創作の場が形成されてきつつある。やっぱり面白くなってきた。年度末にはどうなってるんだろう?