野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アーティストというマイノリティ/コントラバスのことば

畑に大根とかぶの種まきをした。ほうれん草は順調に発芽している。

 

社会的なマイノリティの当事者の声を伝える機会は、以前より格段に増えてきている。しんどいことでもあるが、マジョリティの論理に流されないために、カミングアウトして、自分たちは「存在しているのだ」と訴え、少しずつ社会のあり方を変える。

 

こうして、セクシャルマイノリティ少数民族、障害者、大勢から存在を無視されるケースはたくさんある。今回、《コントラバスのことば》を作曲した。コントラバス奏者にだって、満員電車に乗る権利はあるし、バスに乗る権利もある。バスの扉はコントラバスが通るくらい大きいだろうか。バスの構造は、コントラバスを抱えて乗れるようになっているだろうか?そもそもコントラバスを抱えた状態でトイレに行きたくなったら、入れるだろうか?車椅子へのケアが進んできている中、コントラバス奏者は勝手にコントラバスを選んでいるのだから、自力でなんとかすべきと、人々は冷ややかな目で見る。おそらく、コントラバス奏者の立場からしたら、理不尽な世の中なのだと思う。

 

そもそも、アーティストという存在自体、マイノリティで、ついつい生きていく上で本性を隠したり、自分の性癖こそがアーティストとしての個性なのだが、それは他者からは病的な病みにも見えてしまうので、それを隠したり封じ込めたりすることも多く、それで息苦しくなっているアーティストもいっぱいいる。ぼくだってそうだ。そうしたことをカミングアウトする場って、意外とないんじゃないかな。そうやってカミングアウトすると、アーティストって変人だ、と思われちゃうんじゃないか、と恐れている人もいっぱいいると思う。

 

ぼくなんか、毎日、誰に聞かせるでもなく、一人でピアノを弾いている。それは、練習するとかではなく、自分の心の中のモヤモヤとか苦しみとか、言葉にならないものを自分なりに消化するための儀式のようなものだ。それは作品でもないし、表現でもないし、日々の営み。発表を前提としないアウトサイダーアートの作品が日々量産されていくように、ぼくは毎日、その日の気分で即興演奏をしている。もし、誰かがこれを隠し撮りしてどこかで発表したら、ぼくはどう思うだろう。他人に聞かせるために演奏したわけではないが、それを誰かが聞いて喜んでくれるならば、それはそれで嬉しいかな。

 

新幹線で本州に移動。新曲《コントラバスのことば》の譜面を完成させて送る。滋賀県近江八幡に宿泊。びわ湖アーティスツみんぐる2021『ガチャ・コン音楽祭』。緊急事態宣言のために中止になった「さんぽと歌」を、明日、関係者のみで実施する。