野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

身体が語る人類の歴史/ヴェトナムの子守唄

アップリンクが、映画60本を2980円で3ヶ月間自宅で見られるサービスをしているとのこと。早速、申し込んで、昨夜も夜更かし。完全に昼夜逆転。でも、出かける予定もないので、どんどん体内時計が狂っていく。

 

「冬のロンド 戸島美喜夫ピアノ曲集」をぱらぱらめくって、ピアノで弾いている。「ヴェトナムの子守唄」は本当に美しい曲で、何度も弾いて味わってしまう。戸島先生は2月に旅立たれて、もう戸島先生にお会いすることはできない。なのに、戸島先生の手書きの楽譜を見て、戸島先生の音楽をこうして奏でることができるのは、なんということだろう。

 

東京にいる片岡祐介さんと京都にいる鈴木潤さんが、ネットでつないで二台ピアノをするというので、聞いてみた。お互いにタイムラグがあったりして、コミュニケーションがとれない状況で共演している音楽が、どんな音楽になるのか、そのずれ具合に興味があったからだ。あと、実は、「千住の1010人 in 2020年」では、隅田川を北上する2艘の船で演奏をする。この時も、船と船は距離が生じるので、それぞれの船に乗った楽団はタイムラグがある別の楽団と共演し、対岸で聞く人も、それぞれの船との距離によって、違ったずれ具合で聞く。こうしたずれを前提にして、ずれを意識した音楽を、この二人はどうやってつくるのだろうと画面の前で待ったが、実際には、配信が始まってから、テクニカルなトラブルが続いて、どちらかの音が聞こえなかったり、どちらかの音が聞こえたりする。結局、機材調整が1時間ほど続いて、最後に、少しだけ共演があった。ZOOMが会議用に作られていて、会議では複数の人が同時に発話しないので、合奏する音楽という形態とは、なかなか合致しないらしい。

 

京大理学部在学時代にお世話になった片山一道先生の「身体が語る人間の歴史:人類学の冒険」(ちくまプリマー新書)を読了。かつてあった「人種学」がいかにあやふやなものだったか、「人種」などという概念などあり得ないほど、人間は違わないし多様。そして、人間ほど移動が好きな生物はいないと、ホモモビリタスなどと語られる。ポリネシア人ラグビーの親和性について、など、どこを読んでも面白い本だった。学生時代に先生の講義に出席して、ポリネシアの島の美しい風景のスライドを延々と見せていただいたことは印象深い。大学卒業に必要な書類に教授のサインが必要だったのだが、数学の教授が「君は数学をちゃんと学んでいないから、サインしない」と言われて困ったぼくは、人類学の教授の片山先生の研究室を訪ねた。「好きなことをやることはいいことです。頑張ってください」と言って、快く書類にサインしてくださり、ポリネシア音楽のカセットをいただいた。ポリネシアの小さな島々には、さすがに新型コロナウイルスは到達していないのではないかなぁ。

 

香港から連絡があったり、タイから連絡があったり、インドネシアから連絡があったり、イギリスから連絡があったりと、いろいろ世界のあちこちから、日本のコロナウイルス 大丈夫か?近況はどうだ?と心配してくれる。ありがたい。家にこもっているのに、ちょっと世界を旅したような気分になれる。昨年の今頃は、イギリスから帰国して、日本に1日いて、また香港に飛んだりしていた。今では、そんな一年前が嘘のように遠く感じるけど、一年しか経ってない。

 

相変わらず、ヒンデミットの「実用音楽」の時代のことと、現在の日本センチュリー交響楽団のコミュニティプログラムのことを考えている。そもそも、集中して作曲する時は、自宅に引きこもることが多いのだが、新型コロナウイルス のおかげで、今は〆切にも追われず、のんびり自宅に引きこもっている。それによって、できなくなったことがいっぱいあるのだが、そのおかげでできることだってあるはずだ。ということで、調べ物をする時間がいっぱいできた。じっくり、ヒンデミットのことを調べてみることにする。ネットで探しているうちに、杉浦康則「群衆演出の観点から見たベルトルト・ブレヒトの理論とその実践」という論文に行き当たる。そこに、90年前のヒンデミットの過激な発言を見つける。

 

1929 3 月にもヒンデミットは次のように述べている。「私達は他の音楽演奏の形態、 他の音楽受容の形態に向かわなくてはならない。[...]今日の形態のコンサートがより早く死 滅すれば、私達はそれだけ素早く音楽生活を革新する可能性を手にするだろう。」

 

世界大戦から10年ほど。スペインかぜの大流行から10年ほど。世界恐慌の起こる直前。ヒンデミットは、ブレヒトは、どんな芸術を理想としていたのだろう?そして、世界恐慌ナチス独裁などがなかったら、彼らは、どんな芸術を続けたのだろう?それは、現在、日本センチュリー交響楽団がコミュニティプログラムとして行なっている活動と、何が共通し、何が違うのだろう?もちろん、当時は、マルクス主義など、現代とは違う考え方や文脈があっただろう。ぼくたちは、今、ヒンデミットブレヒトと論戦できるだけの哲学や理念を創出できているだろうか?90年前の人々の考えと似たところで、堂々巡りしていないだろうか?そうした検証をすべく、デスクワークをするのも楽しい。

 

それにしても、いきなりヒンデミットのことを調べるとは、思っていなかったなぁ。これも、ベートーヴェンをテーマに新曲を作ったからだなぁ。ベートーヴェンを題材に作曲してみて、最後に観客参加の場面を組み込んでしまって、ベートーヴェンからヒンデミットに繋がってしまった。ヒンデミットブレヒトがコラボした「教育劇」について、もう少し、掘り下げてみたい。なんだか、すごく遠回りなことをしているような気もするけれども、勉強したり調べ物できる時間があるのが嬉しくって、まずは調べている。ポスト資本主義、ポスト新型コロナウイルス 、を生きていくための哲学を模索するために、まずは、こんな回り道から始めている。

 

それにしても戸島先生の曲は美しいなぁ。こちら、ギターアレンジ版の戸島美喜夫「ヴェトナムの子守唄」

 

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そして、こちらは25絃版。

 

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