野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

愛に満ちた音楽家/DVがなくなる日のために

1月7日のコンサート(中川賢一・野村誠 ピアノ・コンサート「愛と知のメシアン!!」 | 自主事業 | 愛知県芸術劇場)で当日配布するパンフレットの校正をしているのだが、中川賢一さんの書いた文章が、本当に愛に溢れていて感動する。

 

「愛を持って」と楽譜に指示する作曲家はどれくらいいるでしょうか? 

 

という文章に始まり、中川さんのメシアンに対する愛や誠意が伝わってくる文章。そうした文章の中で、メシアンの音楽の魅力を平易な言葉で解説する。素晴らしいなぁ。それに引き換え、野村の文章は曲の解説や作曲の経緯の説明に終始。ぼくも、中川さんのように、愛に満ちた文章を書きたいと思った。

 

メシアンが愛をテーマにした「ハラウィー愛と死の歌」や「トゥーランガリラ」などの作品を書いていた1940年代は、戦争もあったし、メシアン作品の批判が炎上したりもしたし、さらには妻が精神を患い介護を続ける日々でもあり、敢えて「愛」と言葉に出さなければ、生きていくのが辛かったのかもしれない。そんな精神的な過酷さを跳ね除けるようなエネルギーを放つメシアンの音楽は、現代の我々の精神にも、多くの自由と勇気を与えてくれる。だから、メシアンの音楽を弾く/聞くと、何か生きる力をもらう気がするのは、ぼくだけだろうか。

 

こんな文章を書きながら、DV問題に取り組み続けるカウンセラーの草柳和之さんの精神的なタフさについても、思い出す。彼は、DVの過酷な被害者、加害者に向き合い、カウンセリングを続けている。対面での接触が難しいコロナの時代に、彼のようなカウンセラーが活躍する場を、どうやって守っていくべきか、考えていきたい。ぼくができることは、彼の委嘱で作曲した2曲《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ(間奏曲)》と《DV撲滅ソングーDVカルタを歌にした》を演奏したり、知ってもらうことだと思う。DVのない世界に、少しでも近づきたいと願いながら、今日もピアノを弾く。

 

今日もピアノの練習というか譜読みを一日中していた。メシアンの曲よりも、野村誠作品の方に苦戦している。自分が2年前に作曲した曲で、2年前は作曲した直後だったから、曲も頭に入っていて苦労しなかったのが、2年経って忘れていて、どうやったら弾けるのかを、一つずつ確認中。面白い響きだったり、リズムだったりして、うまく弾けると楽しいのだが、音やリズムをちょくちょく外してしまっていて、体に覚え込ませて、打率をあげていかないと。今日、いっぱい練習したのは、野村作曲の《異国の鳥とインドの古文書のまなざし》、《逆光不能な鐘のまなざし》、《時の終わりと瞬間の時間のまなざし》の3曲。

 

午前中に四股1000で四股を1000回踏んだが、夕方、四股1000メンバーのやっちゃんに「JACSHAフォーラム2020」冊子を届け、一緒にカフェでお茶を楽しんだ。毎日のように四股で遠隔では会っているけれども、対面で会って話す時間は、また違った楽しい時間だった。

 

アーツ前橋での展覧会「聴く-共鳴する世界|展覧会|アーツ前橋」が昨日より開始している。以前、アーツ前橋が開館する以前に、アーツ前橋の所蔵作品の絵画を楽譜として演奏するワークショップを行い、そのワークショップに基づいて「アーツ前橋」という9曲のピアノ曲を作曲し、岡野勇仁さんにピアノのレコーディングをしてもらったのは、6−7年前のことだ。今回の展覧会で、この作品が聴ける。「聴くー共鳴する世界」という展覧会だったら、新作を作って発表したかったなぁ。でも、7年前のワークショップがこうして今に繋がってくれているのは、嬉しい。

 

北海道のMemu Earth Labのレジデンスが終わり、あの自然の中にピアノを置いて弾いてみたいなぁ、と思い始めている。Aneea Lockwoodという人のサイトに行くと、ピアノを燃やしたり、庭に置いたり、池に置いたり、浜辺に置いたりしていて、ピアノは火と出会ったり、水と出会ったり、している。

 

Piano Transplants | Annea Lockwood

 

ピアノと氷が出会うとどうなるのだろう?