野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

日常と幻想の境を旅するゲキジョウ実験

ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」の3回目、4回目の公演が無事に終了し、全公演が終わる。

 

ツアー形式で始まり、出演者と観客が日常空間を一緒に旅をするところから始まる。そこにいるツアーガイド達と観客の間に境界線はなく、同じ空間を旅をする。そうして旅をしていくうちに、気がつくと舞台と客席が分かれていき、観客は舞台を鑑賞し、出演者は幻想世界を演じる。しかし、途中で観客席と舞台の間の境界がこわれる。現実と幻想の間が交錯する。生と死の間を、現実と幻想の間を行き来する。そして、出演者が舞台上からどんどんいなくなって、裏方スタッフとして動いていた舞台美術の藤さんと、舞台監督の大野さんが、一瞬、俳優になる。主役になる。そして、最後に、全ての観客が俳優になる。気がつくと、幻想の世界から現実の世界に戻っている。この世とあの世の境界線、あそこの野原とこちらの境界線、いろいろな境界線を時々、いつの間にか越えて旅をする。そんな舞台をすることができた。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んで、ぼくたちが舞台化したのは、そうした旅だった。

 

さて、現実世界に戻ってきた。門限ズも鳥取から去って行き、鳥取の人々の日常生活が始まっていく。門限ズがいなくなった後に、どんな日常生活が残っていくのだろう。宮沢賢治の原作「銀河鉄道の夜」では、

 

ジョバンニはいろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早く牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走り出しました。

 

と結んでいる。もし、ジョバンニが、こうへい君であり、かよちゃんであり、ゆきちゃんであり、むらさきちゃんであり、はなちゃんであり、藤さんであり、あなたであり、私であるとするならば、胸がいっぱいになった上で、それぞれが一目散に走り出して、また何かが始まって行くのだろう、と思う。

 

現実世界で分からないことや困難なことがあった時に、幻想の世界の中で考えてみたり感じてみたりすることもできる。幻想の世界と現実の世界は、地続きにつながっていて、それは全く切り離されたものではない。その行き来を何度もしたので、これを真剣にやっていたら自分は本当に死んでしまうのかもなと、途中では思ったりもしたけれども、だんだん現実世界に戻る戻り方を見つけられて、死ななくてすんだ。これからも、生きていけるので、今後の人生を楽しんでいきたい。再出発。

 

13年ぶりの共演もあった。13年前につくったテレビ番組「あいのて」の最終回を思い出す。このプロジェクトの終わるけれども、違う形で続いていく。それを思いながら、深夜まで語り続けた。

 

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