野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ハレルヤ ハレルヤ

本日は、ピアニスト/作曲家の方に即興のピアノを教える個人レッスンの日。レッスンと言っても、ピアノを弾いてもらうか、一緒に弾くか、野村の作品の譜面を見てもらったり、初見で合奏したりする。教えるというよりは、触発するということだと思うが、こういうものは、一方向ではないので、こちらも触発される。ピアノ連弾で、マショー、フレスコバルディ、パーセル、バッハなどの音楽のピアノ連弾譜(クルターク編曲)を初見で弾いたりもした。

 

これで触発されたので、その後は、ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」のために、鳥取市少年少女合唱団が歌う「いつの間にか銀河ステーション」の編曲/作曲作業を進める。とりあえず、合唱団が歌う曲の譜面を書くんだなぁ、と漠然と作曲しているうちに、11月の本番、9月と10月の通し稽古の様子が突如イメージされてきて、うわーーーと一人で脳内で勝手に体験して感激し興奮する。そこで合唱団が歌っている光景が、脳内で再生され始めると、ワークショップでやったアイディアを起点とした合唱曲なのだが、その起点からどんどん宮沢賢治の宇宙に飛んでいく。それは、宇宙であり、宗教であり、生活であり、日常であり、人生であり、祈りであり、喜びであり、夢であり、現実であり、生であり、死である。うわぁーーー、これを譜面に書くのか、今、ぼくは。

 

銀河鉄道の夜」と鳥取の人々の日常を掛け合わせる舞台だなんて、口で言っていたけれども、今、ぼくは、ワークショップで受け止めた鳥取の人々のメッセージと、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」に込めたメッセージの両方を自分の身体の中に入れて、音楽を書こうとしている。本当は、鳥取のみんなと、賢治と、一緒に作曲したいくらいだが、期限が迫っているから、ぼくが代弁者として、一人で作曲しているのだ。賢治の言葉を借りれば、今ぼくがやっていることは、

 

まことのみんなの幸せのために、私のからだをおつかい下さい。

 

 

なのだ。

 

ほんとうのさいわいは一体何だろう

ハレルヤ ハレルヤ

あすこの野原はなんてきれいだろう

ハレルヤ ハレルヤ

 

ぼくは讃歌を書いていたのだ。人々のささやかな日常を賛美する。ハレルヤ、ハレルヤ。絶対的な神を讃える歌ではない。葛藤し、悩み、苦しむぼくたちの、ちっぽけで不完全な生き様を讃える歌だ。ああ、ハレルヤ、ハレルヤ。ぼくは、そうした讃歌を書かせてもらえることに感謝する。ハレルヤ、ハレルヤ。