野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

クリスチャン・ウォルフとお話したい

鳥取での滞在を終えて、京都に戻る。例によって、移動中に読書。政治と作曲の関わりについて、考え実践し続けてきた作曲家クリスチャン・ウォルフに関する論考集「Changing the System: The Music of Christian Wolff」を読んでいる。クリスチャン・ウォルフが、ジョン・ケージにどんな影響を与えたか、というMichael Hicksの論お面白く、クリスチャンが1972年と74年にダルムシュタットで政治と作曲についてレクチャーをし、どんな反論に合ったかを綴った論も面白い。

 

クリスチャンは、政治的なメッセージを歌詞にしてメッセージ性の強い音楽を作曲するケースもあるが、通常とは違う関係性の合奏の仕方を考え、社会の仕組みを思考するように、合奏の仕組みをつくる。今から25年前、ロンドンで、クリスチャンのBurdockという曲を作曲者自身を含めた約100人で演奏した。ぼくは鍵盤ハーモニカで参加したのだが、その時に、クリスチャンから鍵盤ハーモニカという普通じゃない楽器で参加していることを、評価された。上流階級の楽器ではない庶民の楽器を演奏していることが、彼のツボだったのかもしれない。ちなみに、近年、彼は鍵盤ハーモニカを時々演奏しているらしい。難解な音楽を、一部のエリートだけが理解できるアクセスしにくい音楽とみなすのか否か、全ての人に開かれた音楽というのは平易で親しみやすい音楽なのか、読みながら、いろいろ考える。

 

税金を使っている公的な文化事業は、平易で親しみやすいものであるべきなのだろうか?藤浩志さん曰く、未来の芸術文化を創造していくためには、既にアートだと思われることをするのではなく、まだアートになっていないようなことを実験をしていくこと必要。そうした実験をする権利、実験をする自由も保障されるべきだ、とぼくも思う。そして、そうした実験ができない(しにくい)空気感(や圧力)があるとすれば、それは、それは、20世紀半ばに、ソ連や東欧諸国でプロレタリアのための芸術として、社会主義リアリズムを推進し、前衛をブルジョワ芸術として排斥したのにそっくりな危険なことだ、と思う。クリスチャン・ウォルフとは、25年前に会って以来、遭遇するチャンスがないけれども、25年前にもっと話しておけばよかった、と後悔した。いつかお話したいし、鍵盤ハーモニカで共演したい。

 

京都に戻り、8月25日の野村誠+大田智美のデュオコンサートに向けて、野村誠作曲「動物の演劇組曲」の練習。「オオアリクイ」が、全く弾けないし、記憶になかったのだが、12年前に弾いていたので、弾けるはずと、練習する。アコーディオンとピアノの曲を練習していたら、ドイツでアコーディオンを学んでいる中国人アコーディオン奏者が、ぼくの「誰といますか」を練習中らしく、作曲の背景を教えて欲しいと、連絡が来る。いろいろ演奏していただけるのは、嬉しいことだ。

 

以下の動画の中でも、クリスチャン・ウォルフは鍵盤ハーモニカを演奏している。

 

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