野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

青少年のためのバリバリ管弦楽入門、ブラボー世界初演

現代音楽は、現代音楽の世界から飛び出さねばいけない!そんな風に肩肘を張らなくても、今日、野村誠作曲「青少年のためのバリバリ管弦楽入門」は、昭和歌謡ショーや、小学生のエイサーなどの後に、同じホールの同じステージ上で演奏された。それは、すごく嬉しいことだ。2週間前は、野村誠作曲の「ポーコン」が、ハイドン交響曲と一緒に演奏された。現代音楽は現代音楽の世界だけに隔離されていてはいけないんだ。現代音楽は時にはクラシックコンサートの中に、時には市民文化祭の中に、時に路上に、時に銭湯に、あらゆる場所に登場すべきなのだ。そう思って、今までずっと活動してきた。

 

ソーシャル・インクルージョン、社会包摂などという言葉を、近年よく聞くが、そもそも現代音楽の作曲家なんて、社会から(無自覚に)排除されている存在だと思う。だから、自分たちの市民権を訴えていいはずだ。現代音楽の世界だけに留まっている方が、安心で安全かもしれないが。

 

のだめカンタービレ」という漫画を読んでショックだったのは、音楽大学を舞台にした漫画の中でさえ、作曲の学生が全然と言っていいほど登場しなかったことだ。つまり、音楽大学の中でさえ、作曲家は存在しないことになっている。だから、作曲家の市民権を獲得することは、ぼくにとって大きな仕事であり続けている。

 

さて、今日の「青少年のためのバリバリ管弦楽入門」は、普通の西洋のオーケストラなんかじゃない。プロモアマチュアも混在し、東洋西洋の楽器が混在し、子どもからお年寄りまで年齢層も幅広く、障害や生きづらさも含めて、多様な人々が参加するオーケストラだった。インクルーシブな(排除しない)オーケストラとも言えるかもしれない。そうした多様なオーケストラと聞くと、人は混沌とした音響に違いない、と先入観を抱くかもしれない。ある種のカオスが魅力であると。

 

しかし、今回は、敢えて、そうしたカオスな音響は目指さなかった。共鳴や調和を志向し、しかし誰も排除しない。そのような形で音楽の美的体験が可能なのだろうか、というのが、チャレンジだった。

 

美しい調和を目指すのであれば、プロだけでやり楽器の初心者など排除した方がよい、と考える音楽家もたくさんいる。というか、そういう考えは圧倒的多数だと思う。でも、ぼくは違う。誰も排除しないからこそ、より美しい調和が生み出せると、考えたい。そして、それを理念ではなく、現実に音楽体験として、実行しようと思った。楽器の初心者が多く、できることが限られているが、安易に奇を衒うことをせずに、限られた音で、精一杯オーケストラを響かせようと思った。ある種の愚直な正攻法で、作曲してみた。少なくとも、「管弦楽入門」とタイトルに付けたからには、出演者にも観客にも、精一杯オーケストラを体感して欲しかったのだ。

 

結果は、大成功で、反響も大きかった。客席からブラボーが何度も連呼される歓声となったし、出演者の打ち上げ(交流会)は盛り上がり3時間にも及んだし、関係者たちが昨年までとは違った達成感や満足感を感じるなどのコメントもいただいた。もちろん、この成功に甘んじずに、ますます精進したいと思うが、今日は、本当に嬉しい初演だった。

 

来年も継続したい。来年があれば、来年はまた全く違った切り口でやり、インド音楽にフォーカスを当てた新作を発表するつもりだ。インドの音楽理論をワークショップの中で教わり、そこから新しい音楽の欠片を拾い集めていきたい。

 

なにはともあれ、出演者、関係者のみなさん、会場に足を運んでいただいた皆さん、本当に本当にありがとうございました。ブラビッシモ。

 

田中峰彦さんの新作の初演も、至福の時間だった。皆さん、おつかれさま。

 

結局、その後、センチュリー響のヴァイオリニストとの別の打ち合わせがあったり、さらには、帰宅後に深夜に、イギリスとの打ち合わせもあったりして、興奮したまま、夜が更けていきました。多謝。