野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

受賞しました

香港での暮らしもそろそろ2週間。朝食後、i-dArtのオフィスに顔を出し、みんなと雑談。すると、ベリーニから、スタッフ全員に重大発表があり、i-dArtのアートコースが香港文化芸術協議会(だったかな?名称うろ覚え)の芸術教育部門賞の受賞の報告。5月中旬に授賞式。おめでとう!

美術スタジオで絵を描いているアートコースのメンバーのところに顔を出す。昨日は、一緒に音楽をしてもらったので、親密感が全然違う。そこに座って、絵を描いている様子を、長時間傍観させてもらう。この人たちは、昨日も、今日も、ほぼ同じ様式で同じ題材の絵を描き続けている。継続と反復。これをやめずに続けていくと、長い年月で様式が濃密になって、自己のスタイルがさらに強化されていくに違いない。

i-dArtのスタッフが、ぼくを香港の色々なエリアに連れ出したり、食事に誘う計画をしている。メキシカは、5月13日にナマ島へのツアーを計画中。イェンは、今度の日曜日に、地元のローカル食堂に連れて行ってくれる、と言う。今日の午前中は、予定がないので、オフィスでスタッフと雑談している。個人的な悩みなども、人によっては、ぼくに話せたりすることも出てきていて、2週間経って、みんなとの関係が深まり始めている、と思う。とにかく、こうして事務所でスタッフと雑談する時間は、結構、大切で、そういう隙間の時間にみんなが心を開いて言ってくれたり、何か本音が聞こえたりする。

ベリーニから事務所に電話がかかってきて、野村が呼び出され、5階から2階の会議室にエレベーターで移動。そこでは、6月に開催する予定のイベントの打ち合わせ。JCRC(野村がレジデンス中の福祉施設)と別の2つの福祉施設が共同で開催する「アートを楽しむ日」の打ち合わせ。

Fさんとの音楽セッション2回目。鍵ハモで共演。Fさんは数年前に脳性麻痺になる前、健常者だった頃に、この施設にボランティアで多くのサポートをしてくれていた人らしい。その方と音楽セッションをする場が与えられるのも有り難い。また、彼の様々な思いも、言葉でもいずれ聞かせてもらいたいと思う。ドレミの3音だけを演奏するが、そのタッチの微妙なニュアンスで、そこに色々な表現がある。それにどう伴奏するのか、色々試行錯誤する時間になり、良い瞬間もたくさんあった。

平沢よーこさんが、香港に来ていて、訪ねてきてくれる。ベリーニ、平沢さんとランチ。その後、平沢さんを連れて、陶芸のワークショップを見学に行くと、さっそく楽器づくりを始めてくれていた。レゲエが、ウドゥを持ってきてくれたので、少し叩かせてもらう。楽しい。平沢さんがマレーシアで買ったという竹のスライド笛も吹いた。事務所に戻ると、ベリーニは、また別の施設の人と打ち合わせをしたところだったようで、その方々を紹介される。

今日はベリーニと夕食。一緒に町に出かける。施設にいる時は、ベリーニは事務仕事や会議も多く、あまり彼女と話す時間はない。本当は、彼女こそ野村といっぱい話したいはずだし、こうやって、外に出る時が一番話せる時間だ。例えば、Think International Academyから中学生にワークショップをして欲しいと、野村に依頼が来ている。そこに、ベリーニも一緒に来てもらい、野村がJCRCの外で何をするのか何を語るのか、をベリーニとシェアする。そこで、ベリーニにもi-dArtのことを語ってもらう。できるだけ、ベリーニを施設の外に連れ出し、話したり意見交換をする時間を設けること。野村が香港にいるたったの3ヶ月の間に、ぼくが彼女に伝えられることは、惜しみなく伝えたいと思う。

ベリーニがリンナン大学でアーティスト・イン・レジデンスをした時に、何をしたの?と聞いてみる。Leftというテーマで、学生たちともプロジェクトをした。右と左のレフト。置き去りにされる場所としてのレフト。その時は、学生たちに体験させるという口実で聾学校を訪問した。本当は、自分が行ってみたかった場所だった。聾学校に行くと、手話ができない自分たちがマイノリティになることに気づき、マイノリティとマジョリティの反転を自覚した。それから、学生たちを連れて、墓地に行った。身寄りのない人の入る墓。名前が記されずに、番号がふられている墓がある。さくら苑の墓のことを思い出した。様々なレフトを探す旅。

ベリーニは、i-dArtのもう一つのギャラリーに連れて行ってくれる。ここでは、アートコースの学生たちの作品展が開催されていた。そこで上映されている映像で、ワークショップの様子が見れたのが、ぼくにとって最大の収穫だった。特に、人文コースの授業で、ホームレスの人に食事を届けに行くワークショップが興味深い。教室内で、くじびきで食べ物が配られる。チキンが当たる人、おやつが当たる人、何ももらえない人。さあ、じゃあ食べましょう、となった時に、何ももらえなかった人が悲しむ。じゃあ、どうするの?みんなでシェアして食べたら、みんながハッピーになる。経済の不公平さを体感した上で、お弁当をホームレスの人に届けに行く。「経済効果が感じられない人は運が悪い人だ」と言うような人にも体験して欲しいワークショップだ。

今晩はベリーニと二人で夕食の予定だったが、メーリンが加わりたいと名乗りをあげてきて、ギャラリーでゆっくり展示を見ている間にてメーリンが到着合流。タクシーで移動。ベリーニは、メーリンが来ると、メーリンが野村と話す貴重な機会と思っていて、メーリンに話す機会を譲っているように見えた。メーリンは、東華三院は香港最大のチャリティグループで、お寺も経営していて、香港最古の寺も、経営していて、そこのリノベーションをする際に、i-dArtのアートコース卒業生カヤンの作品をお寺の装飾にし、facebookにアップしたところ、伝統的な場所にこんなアートをするとは何ごとか、とネガティブコメントが続々と寄せられた、と言う。でも、そこに行って、喜んで記念写真を撮っている人がいっぱいいるんだ、と言う。「people with disability(障害者)」という言葉を使わずに、「people with different ability(違った能力をもつ人)」という表現を使う彼女たちは、香港社会の中で、存在しないことになっている「違った能力をもつ人」の存在を、観光地のお寺という場所に露出させる。施設の中で、安全に管理することだけが福祉活動ではなく、隠蔽されている存在を、社会の中にどう開くかの挑発的な挑戦なのだと思う。

メーリンは、駅に向かう途中で、「あなたは作曲家なんでしょ?だったら、香港をテーマにした曲を作るべきよ。」と言ってくる。彼女は、人の背中を押し続ける人だ。ベリーニが成長してくる過程にも、メーリンの存在は大きかったに違いない。