野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ホセ・マセダ生誕100年

フィリピン大学へ。音楽学部でのホセ・マセダ生誕100年記念シンポジウム1日目。会場で、作曲家の田口雅英さん、民族音楽学者/作曲家のアナン・ナルコンと会う。アナンと会うのは2年前にタイで会って以来だから、2年ぶり。数百人から数千人で演奏するホセ・マセダ作曲の「ウドゥロ・ウドゥロ」(1975)は、フィリピンで初演して後、1978年には、バンコクで初演している。実は、このバンコク初演の時に、バンコクで演奏のための竹楽器の製作をしたのが、アナンのお父さん。アナンのお父さんは彫刻家なので、竹楽器づくりを頼まれたらしい。ホセ・マセダとアナンのお父さんがつながっているなんて!世界は本当に狭いと思う。

朝8時半からのオープニングセレモニーで、いろいろ挨拶があった後に、クリンタンの生演奏がある。東南アジアのゴング音楽も、インドネシア、マレーシア、タイ、カンボジアと現地で聴く機会があったが、フィリピンのゴング音楽も、また特有の音楽であり、興味深く聴く。教授たちの演奏は、さすがに素晴らしい。

9時半からの基調講演1で、作曲家のRamon P Santosによるホセ・マセダのレクチャー。2002年に作曲の4台ピアノによる韓国宮廷音楽「Sujeichon:a Korean Court Music」が聴いたことがない曲だったので、音源を少し紹介してもらえて、興味深い。

10時40分からのパネルディスカッションでは、カンボジア民族音楽学者のSam Ang Sam、イサン・ユンに作曲を師事しベルリンに30年強住んでいた作曲家のConrado del Rosario、そして、タイの民族音楽学者で我が親友のAnant Narkkongが登壇。サムさんが語るAsian Traditional Ensembleでのflexible diatonicの話、アナンが紹介するアジア各地の様々な作曲家(野村のことも写真つきで紹介して下さりました)の話なども興味深い。

昼食時に話したアメリカの大学院留学中の美術史研究者の女性は、70年代のフィリピンでのハプニングについて研究しているらしい。70年代の美術家などとホセ・マセダの関係について尋ねると、「カセット100」の初演の時に、舞台セットを作った美術家がやはり、そうしたハプニングなどに関わっている人であったり、別の作品の上演に、振付家が関わったり、とマセダと多ジャンルのアーティストの交流も、その時代にもいっぱいあったらしい。

午後1時からの基調講演2は、Ricardo Trimillosによるもの。ハワイ大学名誉教授の民族音楽学者のMusic of Asia, Music in Asia, Music from Aisaなどを考え、アジア音楽、さらにはその研究者とは、と自問自答する講演。日本音楽とは何か?という質問とも通じるものだと思う。そこには、人種や民族間の対立や共存の問題も常にあり、消えいく伝統文化と近代化の問題もありつつ、しかし、排除や争いを越えて、現代に我々は現存する多様な音楽文化をどのようにシェアしていくか、という課題の再認識する場でもあるのです。

2時からは、パネルディスカッション。シンガポールからJoe Peters、フィリピン大学からElena Mirano、アメリカからNeal Matherne、タイよりAnak Charanyanandaの4名。ホセ・マセダの残した文化的遺産を、どのように開いていくか。それは、大学教育や美術館/博物館や、図書館など、様々なありようがあり得る。ホセ・マセダのような風通しのよい音楽を作曲し、多くの人々がアクセスし参加可能な音楽をつくった人の研究資料や楽譜などは、一部の研究者の手の届く範囲にとどめて管理されるよりも、多くの人々のアクセスできる開かれた存在であるべくだろうと思う。

キュレーターのDayang Yraolajと再会。サウンド・アーティストの森永泰弘さんと再会。音楽家/キュレーターの恩田晃さんと再会。売店で販売中のフィリピンの作曲家のCDなどを購入。

いい加減、座り続けるのに疲れてきたが3時半よりパネルディスカッション。タンザニアから音楽教育と民族音楽学研究のKedmon Mapana、タイから音楽教育のThiyi Panyain、そしてフィリピンからJocelyn Timbol-Guadalupeが登壇。学校教育における民族音楽の話。タンザニアで音楽教育にンゴマをどう活用するか。しかし、この音楽は単なる太鼓ではなく、それは、音楽であり、動きであり、歌であり、コミュニティであり、村の中で育まれるものであり、それを学校教育でどう展開するのか。学校教育では、西洋音楽が中心に教えられ、それとどう折り合いをつけていくのか。それは、アフリカでも、フィリピンでも、タイでも、日本でも、似た課題になっている。もし、ぼくが音楽教育のカリキュラムづくりを一任されたら、どういったカリキュラムをつくるだろうか?そうしたことを考えてみたりもした。そして、ここでは、全く論じられなかったが、伝統文化の習得、多文化共生/異文化理解、創造性ということをどう両立させていくのか、ということも、大きな課題になってくる。

夕食前の空き時間に、恩田さん、田口さんと日本語で話していたら、大学生が「日本の方ですか」と声をかけてきた。フィリピン人と日本人のハーフで、ここの大学に入学したばかりで声楽を学んでいるという。

夕食前のスペイン系ポピュラー音楽の演奏があり、夕食後に7時半よりホセ・マセダ作品3曲の演奏会。演奏はフィリピン大学の学生、指揮は作曲家のJosefino Chino Toledo。マセダさんらしい音楽。2台ピアノと4人の打楽器。ヴィオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエクラリネットファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、そして、巨大なゴングを含む様々なパーカッションによる室内オーケストラは、これらの楽器がバラバラに配置されグループ分けされている。最後の曲は、竹の打楽器群、トロンボーン10、ヴァイオリン10という極端な編成。どれもマセダ色の強い音楽。竹の楽器が、本当にいい音色。

1 2 Pianos and 4 Percussion Groups(2000)
2 Exchange for chamber orchestra(1996)
3 Siasid(1983)

1989年に高橋悠治編訳の「ドローンとメロディー」という本でホセ・マセダという音楽家に出会い、翌年、京都に来日した時に、「ウドゥロ・ウドゥロ」や「カセット100」などの日本初演に遭遇し、1997年には、京都でマセダさんと3回も一緒にコンサートをさせていただき、やはりマセダさんの音楽に大きな影響を受けたことは間違いありません。マセダさんがいたことで、現在の野村の歩みの背中を大きく押してもらえたと思うのです。マセダ作品を3曲続けて聴いて、マセダの残した遺産を、若い人々に伝えていきたいと強く思いました。そして、もっともっと作曲したいと思えました。マセダさん、ありがとう。

無事、ホテルに戻り、明日に備えて、ゆっくり休むことにします。