野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

山形ビエンナーレ千秋楽

山形ビエンナーレ最終日。荒井良二さん、いしいしんじさん、とのコラボレーション。当初予定の室内から変更して、野外に。快晴で、本日の予想最高気温が29度。山形のこの時期にあり得ない気温。暑い。

東北芸工大まで楽器をとりにいく途中で、大橋文夫さんの展示を見る。東京在住の山形県人による芋煮会。具材を彫刻刀などで削って、彫刻をつくっていくワークショップの映像。山形らしい野菜による彫刻が、できていく。彫刻をグツグツして、みんなで食べる。

東北芸工大学にて、トーンチャイムなど、いろいろ楽器を選び、会場に戻って後、時間があるので、少し展示を見に行く。トゥルーリ・オカモチェックさんの「スゴロック」というゲームは、飛び石を飛んでいく「すごろく」。数字の6の代わりに「ロック」と書いてあるサイコロ。「ロック」では、進む代わりに「ロックカード」を引いて、そこに指示されるパフォーマンスをしなければいけない。面白いゲーム。荒井良二さんと高校生のワークショップ「絵本の学校」の展示もある。

いよいよ「その場小説」。川村亘平斎くんも、飛び入りで入りたいとの短い打ち合わせ。始めは静かに始まりたいと、いしいしんじさん。15時、文翔館の中庭に置かれた等身大の巨大なパネルの本に、いしいさんが小説を書き始め、荒井さんが本の表紙に絵を描き始める。ぼくは、それを静かに聴く。いしいさんが文字を書く音が鳴り響く。荒井さんが絵を描く音が重なる。もう、これだけで音楽。山に登って行くと、目が見えなくなる話が始まっている。物語に耳を傾けながら、既に小さな子どもが楽器のところにやって来て、勝手に音を出し始める。ハンドベルを鳴らす子どもがいたのだろうか?ぼくは、子どもの音楽に呼応するように、または、子どもの音楽がパフォーマンスとして成立するように、気がつくと、ハンドベルを鳴らしている。荒井さん、いしいさんのパフォーマンスを外から見て/聞いて、奏でている。だんだん、二人のパフォーマンスそのものと合体したくなって、マレットを持って、いしいさんが書いている巨大なパネルを叩いていて、いしいさんの文字を書く音と共演していた。マレットで叩きながら、山を登っていくつもりで、奏でていた。そんな風に始まってから、気がつくと、子どもが木琴をやっているので、木琴のところに行ったり、鍵盤ハーモニカを吹いたりする。巨大な本に、両側から取り組む荒井さんといしいさん。二人を傍観するのではなく、二人と一体化したく、本の中に音楽が入り込みたくなり、鍵盤ハーモニカを吹きながら、本の中に入ろうと、文字通りコンタクトしに行く。と同時に、本から飛び出し、この空間の外へ外へと世界が広がっていきたくなり、本の世界は大きい世界だ。広い広い中庭の周りを走り回った。空を見上げ、雲を見て、音を思いっきり放り投げていく。音で空間と相撲をとる。トイピアノトイピアノ。川村くんの顔を見ると、彼は目を瞑って聴いている。もう一度、川村君を見ると、目を開き、目が合う。子どもたちも楽器を勝手に始めている。川村くんも楽器で加わる。太鼓、スチールパン、鉄琴はガムランのように響く。いしいさんは3ページ目に入って、小説がつづく。声を出したいが、小説の言葉をかき消してしまうのではないか、と躊躇していると、川村くんが声を出す。いしいさんが、「音楽はBGMじゃない」と始まる前に言っていた。小説が聞こえなくなってはいけないけれども、小説が聞こえなくなったとしても、小説に波動を送り、小説と波動を交換するべく、音を発するために、今、ぼくらは息を吸って息を吐いている。川村くんは、いい演奏をしている。音。音。音。音。音。音。ことば。ことば。ことば。ことば。ことば。色。色。色。色。色。形。形。形。形。形。声。声。声。声。声。ざわざわざわざわざわざわ。ざわめき。ぼくは、音楽を子どもたちに委ねてみた。ぼくは演奏をやめてみる。子どもたちを信頼してみる。彼らは、素晴らしい音楽で、小説に応えている。

気がつくと、世界がざわめき、小説は4ページ目の後半にさしかかる。楽器を観客に手渡し始めたところで、いしいさんが「オワリ」と言った。それと同時に、音楽はオワリを迎えるのではなく、離陸を始めた。小説から離陸をした。閉館時刻があるので、着陸しなければいけないが、子どもたちは永遠に音楽を続けたいようでもあった。何がなんだか分からないまま、「その場小説」は終わる。と同時に、「第2回山形ビエンナーレ」も閉幕する。この時間にいられたことを、有り難く、切なく思う。

そのあと、たくさんの交流があり、色々な方々と話をしていたら、気がついたら深夜の3時を回っていた。