69回目の終戦記念日。1995年8月15日、イギリスで迎えた終戦記念日は、50回目のVJ Dayでした。それが日本に勝利したことを記念する日で(victory Japan)で、日本人が如何に戦時中に酷いことをしたか、をイギリスのテレビで特集をしていたことが、本当に印象に残りました。1990年8月15日は、韓国で迎えました。韓国では「光復節」という名の祝日でした。日本が敗戦した日は、光が戻った日として記憶されているのです。ちなみに、インドネシアの独立記念日は、8月17日です。何にしても、8月15日の意味は、国によって、全然違うのですが、玉音放送が流れた時には、凄いセミの鳴き声だったそうです。2000年にガムラン曲「せみ」を作曲した時のことも、思い出します。今日は、それほどセミは鳴いていません。戦没者の方々の霊も、お盆で帰って来られているのでしょうか?命について、戦争と平和について、考える季節です。合掌。
午前中は、畑に出かけました。伏見トウガラシとレモングラスを収穫。空心菜とモロヘイヤの摘心。ナスが良い感じで実をつけている。雑草は元気に伸びているので、草刈り。
本日もディディエ・ガラスとのリハーサル。こうしてフランス人と創作をしている今があることを、69年前に玉音放送を聞いた人々は、想像もしなかったでしょう。戦争で全部焼けちゃった後から、色々なことを始めるのは、決して悪いことではなかった、と高橋悠治さんが以前おっしゃっていた。その体験をしていないから、体感としては分からないのですが、ディディエと「ことばのはじまり」を作りながら、「民主主義のはじまり」や「国のはじまり」などを試行錯誤した戦後の日本の先輩方のことを思う。
ディディエの稽古は、抽象化と具象化の間を行き来する。意味と無意味の間を行き来する。動きから感情を抜き取っていくと、どんどん無機的になり抽象化されて幾何学的になっていくし、そこに意味を見出し、感情移入をしていくと有機的、劇的になっていく。音楽も同じで、抽象的、機械的な音になるのと、有機的,情緒的な音になるのとは、本当に紙一重。ディディエのやりたい方向性や役者の思い描く世界と、音楽のバランスを探るのは楽しい。
「あとはキャストと言葉の作業をするから、音楽家は、いつもよりも30分早くあがっても良いよ」、とのことなので、今日はいつもよりも30分早く家に帰り着く。帰宅直後から、土砂降りの豪雨。30分早くあがらせてもらえて、助かりました。それにしても真夏らしからぬ天気が続きます。