野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

八橋検校生誕400年に

タイのアナンを藝大に歓迎タイ。「千住だじゃれ音楽祭」のコンサートです。今年度は11月にインドネシアのメメットを、3月にタイのアナンを招聘してのコンサート。

コンサートの冒頭は、お客さんの後ろから登場したい、というアナンの意向に従い、客席後方から「ごはんソング」を歌いながら登場。アナンは、いきなり観客にハミングさせ、その後も、観客にタイの歌を歌ってもらったり、さらには、鼓の小川さんとの即興セッションでは、客席の子どもの笑い声を即興の中に取り込んでいきます。とにかく、観客参加の要素の多いコンサートでした。

それにしても、最も得意な楽器であるタイの胡弓や木琴などが今回準備できなかったわけですが、この環境でも、歌、語り、笛、弦楽器、パーカッションなどで、フルに活躍。アナンのコミュニケーション能力と、音楽力、即興力の高さには、脱帽です。

パワーポイントと鍵ハモ吹き語りによる「だじゃれ音楽の歴史」も、初上演。これも、練り上げていきたいです。

個人的には、八橋検校生誕400周年企画でもあった「ごんべえさん」。ぼくが20代の最後(98年の7月)に作曲した作品です。当時は小学生であったはずの邦楽の大学院生(+学部生)の方々と、だじゃれ音研の皆さんが、素晴らしい演奏をしてくれて、本当に幸せでした。何が幸せって、人々がこうして育っていることを体感できることほど、幸せなことはありません。この世界には、ポジティブなことから、ネガティブなことまで、幸せなことから不幸なことまで、本当に色々なことがあります。しかし、こうして人々が育っていること、芽が出ていることを、本当に幸せに思いますし、こうした芽は何があったも潰したくない。大切に育んでいきたい、と心底思います。そのことが希望です。

希望と言えば、つい先頃に成人したばかりの若いスタッフが成長していることも、大きな大きな希望です。曲の中で出てくる「もう一生、会われへんかもしれんな」という台詞は、実際にごんべえさんが仰った言葉です。その後、ごんべえさんにはお会いしていませんが、こうして曲の中で再会できることを、本当に嬉しく思います。

98年の5月、ごんべえさんと9日間に渡って会ったのは、(八橋検校のお墓がある)黒谷の境内です。その体験をもとに、箏の入った「ごんべえさん」という作品を書いたのですが、作曲した当時は、黒谷に八橋検校のお墓があることも知りませんでした。不思議なご縁です。八橋検校の生誕400年の今年、黒谷にご縁のあるこの曲を演奏できたことは、本当に嬉しい。モールス信号で、ごんべえさんと交信しているようでもあり、八橋検校とも交信しているようでもあり、だじゃれの神と交信していたのかもしれません。クラッポン(了解)、ロタム(やって下さい)と交信が飛び交うのです。黒谷に眠る八橋検校にゆかりのある聖護院八つ橋を、出演/スタッフの皆様と一緒に食べたのも、そんな気持ちがあったから。ちくわとビールで世界を引っくり返して交信する音楽体験は、特別な時間でした。アナン、みなさん、本当にありがとう。

2月のワークショップが東京の記録的大雪のために吹っ飛んでしまったため、「だじゃれ音楽研究会」の皆さんにかけた負担は、相当だったと思います。もっと、ゆっくり/じっくり時間をかけたかったですが、、、、、。次年度は、もっと一緒に時間をかけて丁寧に進めていくつもりですので、よろしくお願いいたします。