野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

吉野さつきさんの文章

いよいよ明日、「砂連尾÷野村誠」の幕開けです。ゲネプロでした。「復興ダンゴ」を一月に愛知で見た人が、再度見たいと観に来てくれて、「私は普通、音楽で泣いたりしないタイプなんですが、あなたの音楽はどうして泣かせるのですか?」と、いたく喜んで下さりました。また、砂連尾さんの「家から生まれたダンス」について、「次に何が来るか、全く予測不可能でした。」とのこと。

当日パンフを準備中。全部で16ページになりそうです。砂連尾さんによるお灸の図解、足ツボの図解なども入りました。そして、吉野さつきさんから寄せられた素敵な文章も入っています。いよいよ、明日開幕です。

「ダンゴの串として思うこと」
横浜にある特別養護老人ホームさくら苑で、野村誠さんが不定期に続けているお年寄りとの共同作曲活動に、私が参加し始めたのは確か2002年の秋頃だった。それからずっと野村さんと一緒にさくら苑に通って、いつの間にか、さくら苑との連絡係みたいなことをするようになって、気づくと10年を越える月日が経ち、さくら苑に行くことは私にとってとても大切な、人生の一部みたいになっていた。そしてその間に、二つの舞台作品がこの活動から生まれた。老人ホームRemix#1と#2の『復興ダンゴ』。

この二つの作品について、私の立場を説明するのは、改めて考えてみると難しい。いわゆる公演の制作的な部分を担当したりもしたけれど、作品を創るプロセスにも参加して、でも、アーティストではない私が、なにか特別なことをしたわけでもない。野村さんには、私の役割、コーディネートが、「ダンゴの串」であると言われた。音楽と映像とダンスの三色ダンゴをつなぐ串。そう言ってもらったことはとても嬉しかったけど、串として自分がどういう役割を果たしているのか、やっぱり説明が難しい...。

でも、この難しさというか、役割や立場の境界が曖昧なところが、この作品の特徴の一つなのかもしれない、とも思う。関わったメンバーたち全員が、演出的なことも制作面も、いろいろ意見を言い合い、話し合いながら試行錯誤を経て作品が出来上がっていった。だれもが自分の作品でありみんなの作品でもあると思っているだろうし、映像を通じて共演するお年寄りの方々もきっとそうだと思う。お年寄りの一人は、さくら苑で『復興ダンゴ』の試演をした時に、「ギリギリ感が足りない。」と鋭い意見を述べてくれた。

私は客席から本番を観ている時に、心の中で、映像に映るお年寄りたちと一緒に歌っているし踊っている。自分も作品の一部であると感じられる。そんな風に関わることができた作品は他にない。

野村さんは、老人ホームRemixのシリーズを80才になるまで続けると言っている。つまり映像のお年寄りたちと同じくらいになるまで。だから、彼と同い年の私は、丈夫で柔軟なダンゴの串として、健康で長生きできるようにしないといけない。その時、日本はどんな状況になっているのだろう?さくら苑のお年寄りたちから、私たちが受け取ったものを、ちゃんと次の世代に手渡して、放射能や戦争に怯えずに暮らせる社会を創れているだろうか?いや、そうでなくては、80才の私たちによる老人ホームRemixは実現しないはずだ。そのために、今、私たちはここにいるのだから。

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吉野さつき/ワークショップコーディネーター
愛知大学文学部メディア芸術専攻准教授。シティ大学大学院(英国)芸術政策経営学修士課程修了。公共ホール文化事業の企画運営に携わり、平田オリザによる演劇ワークショップや、野村萬斎と英国ナショナルシアターのワークショップリーダーによる共同ワークショップなどを手がける。平成13年度文化庁派遣芸術家在外研修員として、英国で演劇のアウトリーチやエデュケーションプログラムの研修と調査を実施。フリーランスとして教育、福祉、ビジネスなど幅広い現場でのアーティストによるワークショップをコーディネート。各地の公共劇場や大学などでの人材育成事業にも数多く携わっている。豊田市文化芸術振興委員会委員。文化経済学会〈日本〉会員。