野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

上田謙太郎さんのめまい

アイホールでの「砂連尾÷野村誠」公演に向けて、仕込み中です。照明の仕込み、音響機材の仕込み、サウンドチェックなどが進行しております。初日まで、残り二日です。ロビーでは、砂連尾さんの絵画の展示が完成。当日パンフのために、原稿が続々と集まっております。こちら、映像作家の上田謙太郎さんの文章です。

 今から5年くらい前、まだ僕が映像を始めた頃のこと、野村誠さんと初めて「REMIX」作品を作った。それは特に何の意図もなく撮られた、特別支援学級の児童と野村さんの音楽セッションの記録ビデオから、音楽的に面白いところを抜き出し、それを4回ずつループさせて楽曲を作るという手法だった。僕は「REMIX」され、ループされたピースを初めて見たとき、何か「めまい」に似た感覚を覚えた。自ら編集オペレーションをしていながら、目新しさと気味の悪さを同時に感じる不思議な現象だった。後々考えると、その「めまい」は時間の概念についての秘密が関係していた気がする。というのも、われわれの目と耳そして意識は、現前する世界を局所的に取捨して、欲しい情報を優先的に取り入れている。しかし、ビデオカメラは撮る人の意図もそこそこに、溢れ出るように豊かな、そして想定外の運動とサウンドを冷静に記録している。撮影素材には、その場に立ち会った人間も知り得なかった、ビデオカメラだけが見つめていた細部が含まれている。僕はそれを「余剰」と呼んでいる。「REMIX」作品は、そのような過ぎ去っていく時間の中で零れ落ちて行く「余剰」を発見し拾い上げ、音楽やダンスと共に、その時間を舞台に再現出させている。そして「REMIX」することにより、撮られた映像は、撮られた時間の地平に立ちながらも、新たな意味を持ち、新たなタイムラインに乗り始める。主題として提示され、そして再現されるソナタとなる。私が考えるに、「REMIX」のプロセスにおいて、時間がこのように再び現れ「巡る」ことが、回帰回転のモチーフとして私の三半規管を錯覚させ、形而上的な「めまい」を引き起こしたのではないかと思っている。
 『老人ホーム・REMIX#1』のときはピアノと映像だけだったが、『#2復興ダンゴ』では写真とダンスが加わった。映像の撮影と同時並行で撮られた杉本文さんによる写真は、巡り来る時間をより多層的にしている。写真とは不思議なもので、世界には「点の時間」は存在しないが、写真は「点の時間」を形にする。「線の時間である映像」と「点の時間である写真」がひとつのオペラ作品に同居することで、作品を体験する人には、そこに時間のコントラストが見えるかもしれない。そして、止められた時間=彫刻的ストップモーション=写真の次元の中にいるお年寄りたちが砂連尾理さんの身体を借りて立体化するシーン14「声」は私がこのオペラの中で一番好きなシーンである。そこもぜひ注目して見てほしいと思う。
 『復興ダンゴ』では老人ホームさくら苑のお年寄りたちと野村誠さんのセッションの記録から作られる。「REMIX」と時間のことをどうしても書いておきたかったので書いてしまったが、本当はそんなことより、とても独特で美しいお年寄りたちの身体のフォルム、動きや話し声、所作の細部をじっくり見てほしい。そして独自の発見をしてほしい。
 


上田謙太郎 映像作家
1984年、神戸生まれ。神戸育ち。二十歳から上京し、2008年より映像制作を始める。2012年東京芸術大学映像研究科映画専攻編集領域修了。照明技師と編集を担当した修了作品映画『虚しいだけ』(今橋貴監督)が第6回田辺・弁慶映画祭でグランプリを獲得。個人作品としてドキュメンタリー映画『調律師とピアニスト』、短編映画『東京物語』など。映画、アート、教育、広告など様々な映像制作に携っている。現在、東京の下町、亀沢四丁目の人々と暮らしを記録したドキュメンタリー映画を制作中。

そして、上田さんによる「復興ダンゴ」世田谷美術館公演の予告編が完成いたしました。世田谷美術館の空間でのこれまでの取り組み、学芸員の塚田美紀さんのコメントなど、大変興味深いです。


公演詳細は、こちらをご覧下さい。
2月21〜23日 伊丹アイホール
http://www.aihall.com/lineup/gekidan76.html
3月1、2日 世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/list.html#pe00419