野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

杉本文さん

「DVカルタ」の作曲をする時間がなかなか取れないのですが、本日、午前中に少し作業を進めました。ここのところ、砂連尾さんと「家から生まれたダンス」をリハーサルしていて、そこでは家という場所が肯定的に扱われているわけですが、ドメスティック・ヴァイオレンス(DV)の場合、家庭というのは暴力の場で、非常に苦しい場であります。そうした言葉達を題材に歌を作っているわけですが、同じ家でも全く違うのですが、どちらも家がテーマではあるので、表裏一体だと思いつつ、譜面を書いておりました。

そして、家の補修といいますか、ちょっと裏の部屋を直す作業をして後、砂連尾さんとのリハーサル。いよいよアイホール公演本番まで3日です。当日パンフのために、杉本文さんから素晴らしい文章が届いております。(アイホールでは、公演以外に、ロビーに杉本さんの写真と砂連尾さんの絵画を展示する予定です。)

 2010年3月、横浜へ『老人ホーム・Remix1』を観に行った。映像の中のお年寄り達の演奏に合わせて野村誠がピアノを弾く、という公演だった。お年寄り達と野村君の共同作曲の舞台である「さくら苑」には、1999年(約15年前)の秋に一度きり足を運んだことがあったが、その頃から彼らが10年以上続けていた「野村活動」(さくら苑ではこう呼ばれている)から生まれたものが、何とも名付けようのない魅力に溢れた音楽として、老人ホームから、外へ、届けられたのだった。
「これは何だろう?」というワクワクした気持ちと同時に、この映像に静止画(写真)を挟みこんだものを見てみたいなぁ、という気持ちがふつふつと沸いた。老人達の、凝縮された重層的な時間を何とはなしに夢想してしまい、自分が見たいと思ってしまったのだから…と、二ヶ月後、私はさくら苑までの最寄り駅、二俣川の改札口にいた。
 とはいえ、ホームで遠慮なく老人たちに写真機を向けるのは憚られたし、ともかくその場に一緒にいて歌ったり音を鳴らそう、という軽い気持ちでもあった。予想に反して、そして野村君の飄々とした誘導により、初回は太鼓をドカドカ叩くお年寄り達とのトランス撮影セッションになった。終わった頃には体温もポカポカと上がり、まるで温泉に入ったかのようで、「老人浴」と勝手に合点した。それ以来、不定期にこの「さくら苑温泉」に通っている。

 さくら苑の活動では、なーんにも起こらないこともしばしばである。静かに時間が流れ、お年寄り達に呼吸をあわせれば、身体は緩み、こっくりと眠りに落ちそうになる。かと思うと、ハッと驚くほど、他では生まれない美しい一音が鳴り響くこともある。病み付きになるライブだ。お年寄り達は声も大きくないし、出す音も小さい。その分、どうもお互いの音や言葉をつぶさに聞いている。聞き間違えてもいる。妙なのだ。一般に不自由と見えることはどうやら放たれた自由につながっている、と思えた。
 以前、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』にいたる作曲の過程をTVで観たことがあった。無音の状態のことを「滲む間」と呼び、「聞こえてないけど、聞こえてるんだよ」と言うことであった。恐れ多くもそれを引き合いに出すならば、じっと座っているお年寄り達の醸しているそれは「豊穣な間」であるし、可動域の少ない身体からは「動いてないけど、動いてるんだよ」と言いたいような、熱い微振動が伝わってくる。コーディネーター吉野さつきにかぶせて『メイ・ステップス(5段ーダンゴ)』と、これまた勝手に呼んだ。

 震災から数ヶ月後、「何も出来ないけれど、僕は話を聞くことなら出来るんだなぁと思った」と、日本に帰国したばかりの野村君が言った。誰もが緊張の中で生きる手だてを模索していた頃、『復興ダンゴ』はそんな風にスタートしたのではなかったか。
 さくら苑に通いだしてからの2〜3年、シャッターを押したり押さなかったり。「もしかしてこういうことか…」という兆しが見えたのは実はごく最近である。そんな心許なさではあったが、それまでたまっていたもの全てに砂連尾さんは目を通し、振付け譜としての写真を選んでくれた。
 時間を止め、断片になった写真から、透過体のような砂連尾さん、野村くんの身体、音を通して、お年寄り達の今まで過ごしてきた時間や記憶がまた滲み、溶け合い、踊り出す時、胸の中で静かに快哉があがる。そこには野村=砂連尾=お年寄り、そしてもう見えなくなってしまった人達の声が、幾重にも重なって聞こえてきてやしないだろうか。そのステージに向けてまたシャッターを押すと、一度に何人もの人になるような感覚がやってきて、ダンゴの循環は終わらない。
 それぞれの人生を経て、現在過去未来の時間をするすると移動しながら喚び起こされる記憶、それを語るお年寄り達の今の存在そのものを私は希望に感じている。へこたれそうになったら、やっぱりこのおダンゴを食べたいと思い、力みそうになったら、ヒノウエさんの両手Vサイン「これがほんとの『ニブイ』」を思い出して笑おうと思う。



杉本文/写真家
出版社勤務を経て、1997年より活動を開始。雑誌、書籍、個展等で写真や文章を発表する他、音楽家、美術家との共同作業にも携わる。近年はロマの人々の魅力を探り東欧を取材撮影、写真展やトークイベントを展開。著書にクレオールの島国を取材したフォトエッセイ『セイシェルー光と風が遊ぶ島』(京都書院刊)がある。彼此を超えること、生における小さな恩寵の感覚を頼りに、新作「海を渡る(仮)」を制作中。


公演詳細は、こちらをご覧下さい。
2月21〜23日 伊丹アイホール
http://www.aihall.com/lineup/gekidan76.html
3月1、2日 世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/list.html#pe00419