野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

マレーシア6日目

CD「ノムラノピアノ」が本日発売になりました。ご注文は、「とんつーレコード」のページで。ぼくは、まだマレーシアにおりまして、現物を見ておりませんが。

http://03150.net/tontuu/2013/08/31000039.html

さて、トッカータスタジオでのショーイング2日目。今日は、チョーグヮンと二人でトークしながら進行。しかし、チョーグヮンがそんなにお喋りではないので、ぼくがいっぱい喋ってしまう。

まず、幸弘さんとの映像作品で2011年の冬の台湾での映像を紹介。中華系の人が多い地域にあるトッカータスタジオと、台湾でのセッションは、ちょっと親近感がある。だから、逆にクアラルンプールと台湾の差が浮き彫りになり良かった。お客さんも、色々笑ってくれた。

その後、マレーシア人4人だけでセッションをしてもらう。日本人に遠慮せずにやるとどうなるのか、を見たいという悦ちゃんのリクエストで。昨日と違ったテイストというわけではないが、異文化が混在しない安心感はあったように思う。

昨日の即興の中で初めて喋りのインプロをやったという箏奏者の悦ちゃんからの提案で、喋りと演奏による即興「Introduction to Koto music」をやることに。これは、本番をやるまで、どうなるか不明だった。いきなりダテ眼鏡で先生役になってレクチャーを始める悦ちゃんに、それを英語に通訳する国際交流基金のミオさん。そこにピアノや鍵ハモで共演。急に、越天楽が出てきたり、六段になったり、春の海になったりするレクチャーに、なんとか鍵ハモで「なんちゃって尺八」をやったり、英語の語りで補足したりしながら、応じる。これは、竹澤悦子のレパートリーになるなぁ。こうした作品が誕生するきっかけは、マレーシア人との交流の賜物。感謝。

そして、その後、その場で作曲。2分の短い即興から曲を作っていく作業。ちゃんと思い出せないが、Stone speaks, Stone eaters, normal day at work, everyday war、というような4つのセクションができて、それを構成して、一曲を作った。この曲を、来年のマレーシアでの公演で再演してみたい。映像をもとに、アレンジしていくことは可能かもしれない。

最後に、チョーグヮンとのデュオ。鍵ハモとテルミンのデュオで、最初は離れて演奏していたが、そのうち、ぼくも演奏しながらテルミンに近づいてテルミンも演奏。次第に、チョーグヮンとの距離が縮まり、彼もぼくの鍵ハモの鍵盤に触れて交わり合う。ぼくは、鍵ハモ、ピアノ、箏、テルミンを演奏し、彼もホルンとテルミンとピアノを演奏。交差した後に、テルミンがスタンドから離陸し、スタンドはヘリコプターになり空を飛び、そして、気がつくと、ぼくはマレーシアの独立50周年の記念日である今日のことを思い出し、「独立」、「独立」と叫んでいた。自由について、ぼくらは音楽の中で自由であること、何でもやっていいこと、を歌っていた。歌は訴える。そうして後に、それまで、ずっとずっと、所謂メロディーっぽいことを決して演奏せず、一貫してアバンギャルドな演奏スタイルであったチョーグヮンが、突然、ホルンでマーチを吹き始めた。ぼくは行進した。行進したが、交信していて、マレーシアの音楽シーンが更新されていくことを祈る行進をした。

マレーシアにおける先鋭的な音楽シーンは、決してアクティブとは言えない。非常に小さな動きだ。その炎は小さくて、いつ消えてもおかしくないように見える。大切に守らないと消えてしまうような微かな炎を、チョーグヮン達が絶やさないように、地道に活動している。ぼくは、そこにエールを送るべく、この小さな炎に油を注ぐ役割を引き受けた。油が注がれれば、一瞬、炎が大きくなった気がするが、この火を燃やし続けるには、薪がいる。それは、マレーシアの人達の仕事だ。お節介この上ないけど、ぼくは彼らにそれをやり続けて欲しいと願ってやまない。だって、そうなれば、ぼくはマレーシアにまた来たくなる。そうでなければ、マレーシアに用事はなくなる。

チョーグヮンは、イギリス留学を経て、マレーシアに戻ってきて、ここで活動を再開した。マレーシア国内にいる人は、マレーシア国内のことに目が行き、海外に目が向いている人は海外に出て行ってしまうのが、マレーシアの現状だと言う。

マレーシアという国は、マレー人と、インド系のマレーシア人と、中華系マレーシア人だけのものではないはずだ。そこには、日本人もいて、韓国系アメリカ人もいて、ニュージーランド人もいて、マレーシア人でない人達もマレーシアの一部を形成している。マレーシア管弦楽団には、外国人がいっぱいいるらしい。主要3民族以外の様々なところにまで視野を拡げ/開きながら、マレーシアの中に居ながら新たなマレーシア文化を作っていくこと。そこに、ぼくは未来を見る。

概念に囚われると、いつまでも「さんすくみ」状態に留まってしまう。目の前の現実を見つめること。ニョニャ料理が生まれた歴史を持つ国なのだ。3つの民族に囚われると、それ以外の現実が見えなくなるのではないか?何でもありなのだ。日本文化と中国文化がマレーシアで融合して新しい物が生まれたっていい。概念に囚われないこと!現実を自分の眼で見ること!

楽家に大切なのは、発信するだけではない。発信すると同時に、聴くことだ。自分の前に広がる世界を聴くことだ。現実をありのままに概念に囚われずに聴くことだ。人々がどんな思いで今生きているのかを聴くことだ。どんな未来に向かって微かな芽が発芽しているか、その気配を聴くことだ。頭で考えず、概念に惑わされず、その場に存在する現実を聴くことだ。

聴くことだ。

もっと、もっと、もっと、聴くことだ。

ぼくも、精一杯聴こうと思う。

ふれー、ふれー、チョーグヮン。

ふれー、ふれー、チョーグヮン。

ふれー、ふれー、チョーグヮン。