野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ブッダダーサの思想と瞑想

BIAというところで、アメリカ人の音楽家ガリーがやっている「音と瞑想」のセッションがある。アナンの紹介で、ゲスト参加することになった。BIAが何かもガリーがどんな人かも分からないまま、BIAに行く。行って分かったことは、Buddhadasa Indapanno Archivesの略だということ。ブッダダーサ・インダパーニョとは、誰か?どうやら著名なお坊さんらしい。バンコクの町中に広大な公園が広がり、その前にコンクリートのモダンな3階建ての建築。まず、ショップが目に入り、入ってみる。Tシャツなどのグッズ、お経のCDなどもあるが、ほとんどは本。ブッダダーサの著作がほとんどで、タイ語なので、お手上げ。英語に訳された本のコーナーに行く。ガリーによると、ブッダダーサは、20世紀タイで最も影響力があった革新的な僧侶であり、思想家であり、写真家であり、アーティストであり、多くの人々に多大な影響を与えた人物。個々人の生活の中で、修行をすることを説き、仕事をしていることも瞑想である、という広い瞑想の理念を提唱した。タイの小乗仏教の中で、大乗仏教キリスト教イスラム教などに肯定的な態度を示した非常にオープンな仏教を展開した。仏法社会主義を提唱した、とのこと。これは、ブッダダーサの思想を勉強したいと思い、英語の本を購入。売店のカウンターに行くと、バーコードでピッとやると値段が表示される。普通はその金額を払うのだが、横にドネーションの箱があり、そこに自由にお金を入れて下さい、と言われる。つまり、お金持ちの人は、定価よりも多く払ってもいい。お金がなくてどうしても払えない人は、こっそり少ない額でも構わない。そういう仕組だ。ぼくは、定価より若干多い金額を入れた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/プッタタート
http://en.wikipedia.org/wiki/Buddhadasa
http://www.suanmokkh-idh.org/idh-bia.html

2階では、高名な尼さんによる講演が終わったところだった。3階には、ブッダダーサの資料が閲覧できるアーカイブがあり、手書きのノートや、本人の写真など、様々な資料があるようだ。ブッダダーサは、タイのアーティスト達にどのような影響を与えているのか、彼の思想はどのように継承されているのか、非常に興味深い。今度、アナンに聞いてみよう。だんだん、状況が理解できてきた。「音と瞑想」は、ブッダダーサの「瞑想」の概念を体得するために行われているプログラムの一つで、月に2回、第1、3金曜日に開催される。ガリーは、ボランティアでラップトップでの演奏に来ている。仏教の瞑想に、ラップトップによるエレクトリックな音はないだろう、と思ったが、ブッダダーサの提唱する瞑想は、個々人が日常生活の中で、常にできることで、こうやって日記を書いていても、書きながらにして瞑想状態になることができる、と言うわけだから、演奏していても、ご飯を食べていても瞑想できる、というわけだ。その奥義に簡単に辿り着けないかもしれないが、今日は、ぼくなりに演奏することで瞑想する、という体験をしてみたい、と思った。

アメリカ人のガリーは、50歳になる頃まで、音響機器の会社で働いており、様々なループ機能のある機種が出る遥か以前に、ループの機能を開発した先駆者であるらしい。湾岸戦争の頃に、友人達が戦争に賛同しているのが信じられず、アメリカ人をやめることはできないが、アメリカに住むのを止めようと思い、退職金と貯金で東南アジアでの暮らしを開始した。たまたま、条件が合致したのがタイで、そのまま10年ほど住んでいるらしい。

瞑想のセッションは、尼さんがスタートさせる。参加者は30名ほど。各自が自己紹介をして、そして、ガリーからは瞑想のルールを告げられる。耳に聞こえてきた音を聴く、ただ、それだけがルール。尼さんが鐘を数回鳴らすと、黙想が始まる。ぼくは、演奏しながら瞑想になる、ということを考えながら、音と空間に耳を傾けた。そういうことを頭で考えていてはいけない。森の中で暮らしたブッダダーサの暮らしを想像した。バンコクの街の様々なノイズが現実に引き戻す。楽器によって、これらの現実音を隠してしまいたい、または、何か違った空間に行きたいと思い、演奏を始めた。それでも、瞑想について考えている自分がいる。考えないということについて、考えている自分がいる。そんな試行錯誤の時間が経つうちに、まぁ、無理せずに、自然な自分でいよう、と瞑想を諦めた。そして、ただ、そこにいて、ただ演奏した。気がつくと演奏することも考えることも忘れて、空っぽのような自分になっていた。何をどう演奏したかは、全然思い出せないし、録音もしなかった。半屋外の空間は、蚊が飛び交い、徐々に暗くなり、気がつくと夜になっていた。どれくらいの時間が流れたのだろうか。気がつくと、ぼくもガリーも音を出していなかった。いつの間にか街の騒音も、違った響きに変わっている。人々は相変わらず、黙想を続けている。尼僧が三たび鐘を鳴らし、セッションは終了した。

その後、感想をシェアし合う時間がきた。これは、毎回やっているのかと思ったら、今日、初めての試みだったそうだ。参加者の中には、弁護士だったが大失恋をして仏門に入ろうと思ったが、親の反対で思いとどまり、アメリカに留学し経営学を学んだが、現在はタクシー運転手をしているという人がいた。帰りは、彼のタクシーに乗って、住まいに戻った。ブッダダーサの非常に柔軟でオープンな仏教に、興味を持った一夜だった。