野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

釜ヶ崎芸術大学

結構、お疲れですが、快晴なので、何とか起きると、ラジオでは、林光さんが23歳の時に書いたラジオオペラとかやっている。たまっているメールの返信を、ぶっきらぼうに。最近は、2月3日のコンサート関連で、13人の作曲家から、交代で次々に、メールがきて、演奏の注文やら譜面の変更やらの指示が来る。それに、丁寧にお返事したいけど、しているうちに、次が来るので、ぶっきらぼうに「了解です」と返信を続ける。

2月24日の音楽療法ワークショップのレジュメの〆切が今日なので、〆切を守る誠意を見せて、メールの返信を一通りした後、レジュメを書き始めているうちに、ああ、もう大阪へ出発の時間だ。いってきまーす、と飛び出したら、途中で、お隣の由紀ちゃんにすれ違い(かわいい笑顔で会釈され)、京阪電車の中で、ずっと譜面と睨めっこして、鍵ハモトリオの練習をしているうちに、大阪。今日も、釜ヶ崎芸術大学なのです。

http://www.kama-media.org/japanese/geidai2012/

4回目なので、すっかりお馴染みになってきましたが、本日は、鍵ハモの修理という話題からスタートして、実際にドライバーで分解して、リードに直接口をつけて、ハーモニカみたいに吹いてみたり、色々、調律の仕方とかも解説したりして。その後、いろいろ即興音楽のグループ発表大会して、表題音楽と絶対音楽ということで、タイトルをつけてみたりして。「暗黙の了解アンサンブル」という新企画も登場。質問コーナーも充実して、「暗黙の了解アンサンブル」もやってみて、最後に「あなた」という歌の合唱練習などもしました。DVに関しての話などもあり。その後、ココルームでも、まったり過ごす。

それにしても、この釜ヶ崎芸術大学ですが、すごい回数やっておられて、参加されている方々も、なんだか表現分野の初心者ではなくなっており、明らかに熟練してきておられます。これは、凄いことのような気がします。

釜ヶ崎という場所で、日雇い労働などの現場の視点から日本の社会を見た時に、色々な矛盾や問題が、はっきり見えるはずです。しかし、そうした矛盾や問題について、表現する術を持たなければ、それを人に伝えていくこと、訴えていくことは、なかなか難しい。でも、こうして、釜ヶ崎で、詩を作ったり、歌を作ったり、哲学したり、表現したりしていくことで、表現力が高まると、本来表現したかったことが、もっともっと表現されてくると思うのです。釜ヶ崎芸術大学を続けていくと、これは、これは、凄いことになるなぁ、と実感しました。

(過去3回の音楽講義の講義ノートは、こちら。)
http://www.kama-media.org/japanese/blog/2013/01/post-1685.html
http://www.kama-media.org/japanese/blog/2013/01/post-1690.html
http://www.kama-media.org/japanese/blog/2013/01/post-1691.html

ということで、ココルームでまったりと、スタッフの方々と1時間半ほど、色々なお話をする時間がとれて、なかなか幸せでした。色々な可能性も感じることができました。そして、京都に戻る電車の中で、またまた、鍵ハモの譜面を読んで、2月3日のコンサートに備えるも、途中で眠くなってきて、電車の中で熟睡。

ガムラングループの代表で中学校の美術の先生をしておられる友人と、妻と待ち合わせ。ご飯をご一緒させていただきながら、いろいろ、お話させていただきました。

家に帰って、3月16日の千住のコンサートのチラシの校正チェックなどをしている間に、妻が作成中だった鍵ハモケースが完成。かわいいヒツジのボタンもついています。

ということで、2013年の最初の1ヶ月が、バタバタと終わっていきました。

鍵ハモトリオの15曲連載 第15回 諸橋玲子「おとなひ2」

譜面を一見した時に、今回の15曲の中で、最も硬派な「現代音楽」に見えました。ソプラノ2台とアルト1台による高音域の響きの音楽。単音の持続が、減2度で重なっていき、徐々にトーンクラスターになっていく響きの変化など、細川俊夫アコーディオン作品を、少し思い出したりもしました。静謐で、厳しく、背筋が伸びる。現代音楽協会主催にも関わらず、こうした作風の作品は、諸橋さんの他に応募がありませんでした。多分、鍵盤ハーモニカという楽器は、こうした作風に合わないと思われたからかもしれません。ところが、諸橋さんは、鍵盤ハーモニカに、これは適している、と書いてきてくれたのです。これは、鍵盤ハーモニカ君にとっては、なかなかな要求です。ピッチは不安定、音色はチープで、さらに和音の音が増えるほど、息が分割されて、アコーディオンでやるようなクラスターにはならず、ちょっとぼやけたような和音になっていきます。でも、それを期待してもらえるのは、本当に嬉しい。結果として、弦楽器や、アコーディオンや、笙にはできない、鍵盤ハーモニカならではの響きの空間が、創出されるのです。

http://www.jscm.net/?p=1777