野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

メリークリスマス&パフォーマンス能力

適当なこと言います。きちんとした調査に基づくことではなく、ぼくの感覚としての単なる印象を述べるだけで、非常に乱暴な物言いですが、何も言わないよりも、言ってみようと思いますので、あくまで一つの意見として読んでみて下さい。

ぼくは、イギリスでも、インドネシアでも、日本でも、子どもの音楽ワークショップを結構いっぱいしておりますが、日本の子どものパフォーマンス能力の水準は、この二つの国と比較して、かなり悪い気がします。ちょっと即興でリズム遊びみたいなことをした時のリズム感もノリも、ちょっとした即興の芝居やダンスをする時も。これは、小学生もそうですけど、イギリスの音大生、インドネシアの音大生、日本の音大生を比較してみても、明らかにそう思います。何かが欠落している、というくらい違います。

これは、日本人がシャイだから、というだけの問題ではない気がします。インドネシア(特にジャワ人)とイギリスは、島国なので、あちらも、かなりシャイな気質なのです。ということは、この欠落は何なのでしょう?

イギリスの小学生もインドネシアの小学生も、基本的に塾なんかなくって、日本の子どもが塾に通っている時間に遊んでいるので、その分の違いなのでしょうか?それとも、イギリスやインドネシアの教育や環境の方が、コミュニケーション能力や自己表現力が高まる教育をしているのでしょうか?

極端な言い方をすると、パフォーマンス能力やコミュニケーション能力が、イギリスの小学生よりもインドネシアの小学生よりも欠落しているように見えるのです。そして、日本で知的障害の子どものパフォーマンスがかなり注目を浴びているのも、その欠落を補うためのような気さえします。

池田邦太郎さんは、長年小学校の先生をされていた方ですが、彼は近年、「障害児とのセッションが理想の授業で、普通学級の授業も障害児の授業のようにしたいんだ」という趣旨のことをよく言っておられます。池田さんの主張を聞くと、何でそこまで障害児、障害児と言うのかなぁ、いいのは分かるけど、健常の子ども達だっていいでしょう、とぼくは思っていたわけですが、彼の主張ももっともな気がしてきました。池田さんは、小学生全般のパフォーマンス能力やコミュニケーション能力の低下を肌で感じて、そうした遊びの側面の必要性を彼なりの方法で訴えているのだ、と思いました。

パフォーマンス能力やコミュニケーション能力が低くても、別に悪いことじゃないのかもしれませんが、何だか世の中から、遊びや笑いが減少していくような気がして、ちょっと寂しい気持ちになります。そんなのは、単なる杞憂だとは思うのですが、ちょっと警鐘を鳴らしておいてもいいのかも、と思って。クリスマスイブに、全国の子ども達がプレゼントをもらうのですが、ぼくがサンタさんだったら、子ども達に思いっきり遊べる時間と場所をプレゼントしたいなぁ。そのために自分に何ができるんだろう?、とただただ、こんな日記を書くのでした。