野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

推理小説を読んでる気分

ビザなどの関係で、何度もバスに乗って入国管理局に出かけていた関係で、読書が続いています。アメリカ人の書いているガムラン音楽に関する本を読んでいます。これが面白くって、推理小説を読むように、次が読みたくなって、読み進む。ガムラン音楽には、「バルンガン」と呼ばれる骨格になるものがあり、これから、それぞれのパートが複雑にしたり変形してできている、ように語られるのですが、これが、近代的なコンセプトで、実はそうではないのではないか?オランダ植民地時代に、ガムラン音楽を楽譜に記録することが始まった結果、また、ヤープ・クンストやマントル・フッドといった民族音楽学者によって定着した説で、そうなったけど、実は違うのではないか?実際、グンデルやルバブなどが演奏するパートが、バルンガンとは全然違う音に分岐していくことが、バルンガンでは説明がつかないが、それは、なぜか?実は、バルンガンをベースにして演奏しているのではないのではないか?などと、著者が疑問を呈し、そこから、実は、演奏されない内なるメロディーがあって、それをもとに、全てのパートが生成されるのではないか、といったことを、様々な実例を挙げ、数々のガムラン演奏家のコメントを引用しながら、論じていくわけです。これは、本当に面白いのです。

こんな体験をすると、アメリカ人が日本の音楽についた本を読んでみたい、という衝動に駆られてきました。どうして、日本人がアメリカ人の書いた日本音楽の本を読まなければいけないのか?と、普通は読もうと思わないのですが、アメリカ人は日本音楽を、どう理解して、どう誤解しているのか、そのずれを楽しみたいと思うようになってきました。ジャワ人からではなく、アメリカ人が理解しているジャワ・ガムランを知るのは、新鮮な体験です。

ジャワ・ガムランは、ジャワ人だけの物ではありません。インドネシア人だけの物ではありません。アメリカ人の物でもあるし、日本人の物でもある。そういうことを意識すると、ジャワ文化を多角的に感じられて面白いなぁ、と最近、つくづく感じています。そして、日本人のぼくは、どんな風に今後ガムランと関わっていこうか、ということも、考え始めると同時に、7月に行われるガムランフェスティバルや、子どもの想像芸術祭でも、ガムランの関するプロジェクトをやろうと、現在、準備中です。

ちなみに、この本です。

Unplayed Melodies: Javanese Gamelan and the Genesis of Music Theory

Unplayed Melodies: Javanese Gamelan and the Genesis of Music Theory