野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

インドネシア語でレクチャーをする

ジョグジャの芸大の大学院にて、レクチャー。大学院生の他、芸大舞踊科教授で作曲家のスボウォさん、ジョグジャ初の鍵盤ハーモニカ奏者で芸大の作曲科のギギー君、芸大でガムランを学んでいる薮さんなども、聴講。できる限りインドネシア語で、時々英語を混ぜながらのレクチャー。以下、講義の内容の概略。

1)野村誠です。日本から来た作曲家です。私の作曲は、邦楽の作曲、西洋音楽の作曲、ガムランの作曲の3方向やっています。例えば、Jepang(日本), Jawa(ジャワ), Jerman(ドイツ)の3つのJで、三角形を作って考えてみましょう。この三点は、バラバラな点ではありません。相互作用のある3つの線になります。

2)例えば、ガムランは、ジャワの音楽ですが、日本にもジャワのガムランが伝わり、ガムラングループがあります。大阪で中川真さんが結成したマルガサリやダルマブダヤなどが、それで、日本独自のガムランを追求していて、私もこのグループと何曲もガムラン作品を作りました。ガムランは日本の音楽でもあるのです。

3)また、西洋にもガムランはあります。イギリスにもガムラングループがあって、イギリス人の作曲家がイギリスのガムラン音楽を作っていますし、2007年には、エディンバラ大学で佐久間新さんとガムラン創作のワークショップをしました。イギリスで、日本人が、ガムランの作曲のワークショップをしているわけです。ガムランは、ジャワの音楽であり、日本の音楽であり、西洋音楽です。同様に、西洋音楽が日本やインドネシアに来て相互作用がありますし、日本の音楽についても同様です。

4)こうしたことを、前提として、私は、邦楽、西洋音楽ガムラン、、、、といった音楽を、全く別々のものと分けて考えるのではなく、こうしたもののチャンプル(混ぜ合わせ)としたところを、自分の作曲のフィールドと設定しています。つまり、世界の音楽であり、人々の音楽であり、全音楽、が私の作曲のフィールドと考えます。

5)もう一つ、別々に分けて考えないことに、作曲家と演奏家というのがあります。作曲家と演奏家の間には、相互作用があるので、私は、作曲家ですが、同時にピアノや鍵盤ハーモニカの演奏家でもあり、演奏から発想し作曲にフィードバックし、作曲から発想し、演奏にフィードバックします。以上が私の基本的な立ち位置です。

Q)そういう複数の文化が影響し融合していく考え方は、哲学としては成立しても、技術/テクニックという点で、長年の伝統を理解し、それに基づいたものを作る困難さがあるのでは。それについては、どうしているのですか?

6)ここで、先ほどの演奏する、という部分につながるのです。「演奏する(bermain)」という言葉は、インドネシア語で「遊ぶ(bermain)」という意味の言葉と同じで、英語でもplayという言葉で共通しています。日本語では、古語では「遊び」という言葉は演奏する意味でしたが、現代語では、「遊ぶ」という言葉は演奏するという意味ではありません。しかし、この遊ぶ、というのは、私のアプローチの基本なのです。つまり、初めての文化、初めての楽器に出会った時に、子どもが遊ぶように、楽器/文化に接するようにしています。

7)ジャワの優れたガムラン奏者のテクニックに達するのは、日本人の初心者の私には無理です。しかし、ガムランの楽器を、子どものように楽しみ、思う存分に遊ぶということは、できます。そこには、テクニックはないけれども、創造性はある。そこから、新しい音楽を創作する、というのが、私のアプローチです。日本で、ガムランで思う存分遊んで、そんな遊びの中から、伝統とは違った変な新しい演奏技法が生まれたりします。それが、日本独自のガムラン音楽を創造になっていくのです。

8)もう一つ、テクニックについてですが、イギリスの作曲家で、子どもと音楽を作るエキスパートのHugh Nankivellという人がいます。彼の理論では、作曲とは、発案(Invention)+アレンジ(Arrangement)となります。ぼくは、ここに記譜(Notation)を追加して、作曲=発案+アレンジ+記譜としてみようと思います。

9)ナンキヴェルは、発案は誰でもできる。誰もが創造的で、発案はできる、と言います。例えば、メロディーを作る、リズムを考える。曲の形を考える。シンプルなアイディア、何でも良いのです。ところが、こうしたアイディアを曲としてアレンジしていくのには、テクニックが必要だ、と言うのです。それこそが、作曲家の仕事だ、と言うわけです。

10)そして、そのアレンジした物を、記譜するわけですが、これは、伝統的な記譜の技術を持っていても良いし、新たに記譜の仕方を考案しても良いのです。ですから、この「遊ぶ」という部分を重視することで、創造ができていく。その遊びの創造性に着眼し、作品にアレンジしていくことこそ、作曲家の仕事になるわけです。

Q) 楽譜についての質問、五線譜、ジャワ・ガムランの記譜法、日本の口三味線や唱歌と言って唱えて覚える方法など、様々な方法があることの確認

Q) ジョグジャに来た作曲家は、ドイツ人のディーター・マックやアメリカ人のヴィンセント・マクドモンドがいる。あなたの考え方は、ドイツよりはアメリカに近いと思う。

11)アメリカの現代音楽の父とも言うべきヘンリー・カウエルが、アジアの民族音楽に関心を寄せたり、ジョン・ケージが日本の禅の影響で偶然性の音楽を始めたり、ルー・ハリソンガムランの作品を数多く作ったりしたアプローチなどに、親近感を覚えます。と同時に、歴史が浅い国だから、アメリカは伝統とコンテンポラリーの関係について考えることは少ないかもしれない。そういう点では、クラシック音楽とコンテンポラリーをどう関係づけるかを模索するドイツとも、表面上の音楽は違っても、問題をシェアしているとも言える。

12)では、2005年に作曲した「ウマとの音楽」(アコーディオン:大田智美、ピアノ:野村誠)を聞いてみましょう。

13)この曲の作曲プロセスも、実は、「発案+アレンジ+記譜」のプロセスを経ています。発案は、イギリスで行われました。ぼくがウマと即興演奏をし、野村幸弘さんが映像で撮影したのです。少し、映像をご覧下さい。野村誠野村幸弘「ウマとの音楽」上映。

14)このように、発案の部分が、この映像でのセッションで、これを、ぼくがアコーディオン+ピアノの作品としてアレンジして、それを楽譜として記譜したわけです。映像と、アコーディオン+ピアノ版が、メロディーなど共通しています。映像のメロディーと同じで同じ構造になっています。

Q) こうやり方で作品を作ったのは、これだけですか? 
A)他にもあります。

Q) スラウエシの伝統音楽をやる者です。スラウエシの伝統芸能に、楽器を演奏してウマが踊る、というものがあり、映像を見て、伝統か作曲かという違いはあるものの、共通することがあって、面白いと思いました。(その後、インドネシア語が速すぎて、聞き取れず、それに対して、ロイケ先生が、答えて、質問には、答えが出てしまう)。(ウマとの楽器セッションの映像を、今度見せてもらうことに)。では、次の質問、映像の中で出て来るメロディーは、そのまま同じようにアレンジしていますか?鍵盤ハーモニカだと同じにできますが、カエルの鳴き声とかを、楽譜に書こうとしても難しい。どうしたら良いでしょう?

15)楽譜に書くという行為も、その人の創造的な行為で、独自性です。1000匹のカエルの鳴き声を、正確に記述することは、不可能です。でも、大雑把に記録することはできる。その時、何をどれだけ厳密に記述したり、だいたい記述したりするか、どこを大切と思って取り出すかが個性だと思います。

16)続いて、2006年作曲の弦楽四重奏曲ズーラシア」(ヴァイオリン:松原勝也鈴木理恵子、ヴィオラ:井野辺大輔、チェロ:安田謙一郎)をスコアを見ながら、聞いてみましょう。この曲も、「発案+アレンジ+記譜」となっている曲です。動物園で、音楽家ではない大人の人とワークショップをして、そのアイディアをもとに、ぼくが弦楽四重奏を書きました。つまり、発案は、ワークショップ。アレンジと記譜をぼくがやっているわけです。まずは、「フンボルトペンギン」です。

17)続いて、「シロフクロウ」です。この曲は、フクロウが首を回すタイミングを動物園で観察して、その秒数に従って曲が展開します。楽譜上で、Hと書いてあるところは、高音域を演奏。Mと書いてあるところは中音域、Lと書いてあるところは、低音域。数字のかいてあるところは、心の中でその数字を数えて、数え終わったら、一音ピチカートをします。演奏は、コルレーニョバット(弓の木の部分を弾ませて)演奏します。

Q) 作曲や即興演奏の前に、既に何を演奏するかを、想像しているのではないですか?

18)「作曲=発案+アレンジ+記譜」と言っても、そもそも、このプロセスを意識して、完成形をイメージして、どんな人と、こんなシチュエーションでワークショップをしようと決めているので、当然、既に想像しているわけです。ところが、その想像が裏切られるところが、コラボレーションの面白さです。ぼくが想定しない発案がされるので、最初に予想した完成形とは全く別の物ができあがります。想像通りに進むのならば、コラボレートする必要はないわけです。

19)また、ウマとの即興演奏の場合、そもそも、羊とやろうと思って行ったのです。ところが、羊は関心を示さず、逃げて行った。ウマが予想外に関心をしめしたのです。そして、そもそも、この映像作品をアレンジしようとは、考えていませんでしたが、この映像を2004年に、タイのマヒドン大学で見せた時、この曲は誰が作曲したのか、という質問がありました。映像を編集した野村幸弘さんによる作品の構成が、作曲の重要なポイントになっているのです。ですから、映像の構造を生かした作品を作ってみたわけです。ソナタ形式ロンド形式で作るのとは、全く違う映像的な時間の構成法を学ぶことができました。

20)既に開始してから2時間以上の時間が経過しています。今日、準備してきた音源や楽譜のほんの一部しか紹介できませんでしたし、ピアノも演奏していません。また、次の機会に、この続きを紹介したいと思います。今日は、こんな貴重な機会をいただき、ありがとうございました。

ロイケ先生)今日は、新しい考え方をいっぱい聞いたので、一度、これで日を改めた方が良いと思います。また、日を改めて、「しょうぎ作曲」を体験するとか、また、違った話を聞く機会を設けましょう。本日の講義の内容を報告し、正式な講義として開始できるように提案してみたいと思います。貴重なお話、どうもありがとうございました。

大学院の学生達は、非常に熱心で意欲満々。ぼくの作曲の方法や知識を、ジョグジャの人々に、いっぱい伝えていきたい、と思った。そして、そのことを起点にコラボレートにつなげていきたい。