野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ReReRe(まことクラヴ)

非常に面白い公演でした。

スパイラルで遠田誠振付のダンス作品「ReReRe」を見る。このタイトルは、ぼくの1993年の作曲作品「ReReReNoRe」というテープ音楽を想起させる(Re-cycleとか、Re-mixとかのReから、様々な音源のコラージュで作った音楽をもとにした作品)。同じという名前で親近感がある上に、タイトルもそうなると、また勝手に親近感を覚える。

スパイラルガーデンで開催中の美術展と勝手にコラボ、とチラシに書いてあったので、まずは開演前にそちらの展覧会場に行ってみる。そこで、まことクラヴが密かに踊っているかもしれないと思ったから。で、行ってみたが、特にまことクラヴの痕跡は見当たらないので、公演中に、観客を誘導してここに移動してくる可能性は考えられるかも、と思いつつ、どこで踊るだろうとか、その場合、どの辺りで見るといいだろう、といったことをある程度、作戦を立て、ホールから展覧会場までの導線をチェックして、ベストの状態で鑑賞できる対策を練る。

最近、あいのてさんの公演などをしていて思うのが、やる気のある観客ということ。例えば、こちらでお願いしていないのに、あいのてさんの観客がレジ袋を持参でやってきて、一緒に音を鳴らす気満々でやってきたりする。チャンスを見つけては客席で(コンサートの邪魔にはならない範囲内で)演奏していたりする。こっちが想定しない観客の積極性に、出演者も刺激を受ける。

プロ野球の応援などは、観客側もただ試合を見るだけではなく、勝手に鳴りものなどを持ち込んで、別な形で試合に参加している。さらには、子どもの頃、父に野球場に連れて行ってもらった時など、父は「試合が始まる前の練習が一番面白いんだ」、と言って、試合開始のプレイボールの遥か前に球場に行って、練習を見たりしていた。観客参加型というのは、出演者から「はい、どうぞ」と勧められてやるというより、観客の側の積極性があって、出演者と観客のコミュニケーションが生まれて、この程度はどうぞ、いやそこまでは困ります、というやりとりもあって、その中で色々な鑑賞のスタイルが生まれてくるのかもしれない。そう思うと、「まことクラヴ」の公演を見に行く側としては、ひょっとしたら開場時間の30分前くらいに、美術展会場で踊っている可能性くらいは想定して、そこを見に行くくらいの積極性はあってもいいか、と思うのです。

で、開演前には、実は展覧会場(スパイラルガーデン)を上からカメラで映していて、ホールに投影していたので、ぼくが展覧会を見に行った時、ぼくの姿はホールの方に投影されたはずではある。そういう意味では、まんまと勝手に出演させられてしまったし、まんまと無自覚に出演したとも言える。

で、公演プログラムを見ると、ダンサー以外にリポーターと解説者がいる。実況と解説がいる、というフォーマットは、スポーツ中継ならば当たり前ですが、芸術公演ではまずやりません。ぼくは、かつて「しょうぎ作曲」を実況と解説つきでやったことが何度かあるので、またまた親近感を覚え、解説者席を探す。客席後方に発見。

ちなみに、ぼくのやったアプローチは、その場で生まれていることをその場で解説する即興の解説者です。ダンサーのダンスがどこでうまくいき、どこでミスしたか、やゲネプロではうまくいかなかったところが本番ではうまくいったなどという解説が入るのかも、とも想像しましたが、解説者の負担はそれほど厳しくないところで、どちらかというと、舞台のテクニカルタームを説明する役割でした。

舞台袖や楽屋や裏方を見せるということについて、つい先日、原稿を書いたところなのですが(フィルムアート社から3月刊行予定のエイブルアート・オンステージについての本)、この公演でも舞台監督、照明、音響などのスタッフが、登場しました。美術家の高嶺格くんが2000年ごろに岐阜で行ったライブや京都クリエイターズミーティングなどで、高嶺くんが楽屋や舞台袖をリアルタイムで舞台奥にプロジェクションしていたことを思い出す。観客を前にしている時と、楽屋で人の表情は違ってくる。そういった多層的な状況は、まことクラヴの路上でのパフォーマンスを冷ややかな目で見る通行人の映像を、さらに笑って見る観客という入れ子構造でもあったりする。そうなると、さらにそれを笑っている観客というものを見る、ということも面白く感じられたりして、そうした観客を見るぼくがいる。そして、そういうぼくを見ている誰かもいるかもしれない。

照明のスタッフなども、どこかで登場するのではないか、と思って、舞台上でミーティングをしているシーンになったら、照明スタッフに半分注目しながら、前を見て後ろを見て、という見方をする。すると、照明スタッフが思いっきり腕を上に上げて、伸びをした。あれっ、と思う。それから間もなくスタッフインタビューのコーナーが始まり、インタビューの一番目が照明さんだった。もうすぐ出番だ、という伸びだったのかなぁ、と思い、絶好の瞬間が見れたことが嬉しくなった。

公演の終わり頃に、「ダンサー自由型」、「ミュージシャン自由型」、「スタッフ自由型」というコーナーがあった。これは、所謂アドリブのソロ回し。夏にイギリスで「門限ズ」のツアーをしていた時、遠田誠ダンスソロ、倉品淳子の演劇ソロ、吉野さつきのレクチャーソロなどがあったことを思い出す。色んなことが遠田誠の中で消化されて違う形になって作品の中に表れている。夏のハードなツアーも色々よかったなーと思う。

「まことクラヴ」という部活が非常に密度が濃く、そこで生まれている濃厚な関係性が生み出す作品の良さや強さを非常に感じた。それと同時に、制作や舞台スタッフは、部活のメンバーとは少し距離がある。その距離を冷ややかに作品化したのが、今日の公演だったようにも思えた。そして、舞台監督も音響も照明も出演するのに、制作の高樹さんが出演しないことも、象徴的だと思う。実は高樹さんは写真家でもあるのだけど、そして、解説者が写真を撮るというパフォーマンスまで含まれていたけど、高樹さんの出番は最後までなかった。部活と制作スタッフの距離を思う。それは、門限ズに吉野さつきがいるからこそ、余計に思う。

毎週「まことクラヴ」という部活に部員として参加してしまうようなミュージシャンや音響家や照明家とかがいて、一緒に路上でパフォーマンスをして怒られてしまうような関わりについて、夢想したりもした。

これからも面白おじさんでいてください。

皆さん、お疲れさま。