野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

稚児桜/小鳥の練習曲/アンチ排除

箏曲《稚児桜》の譜面を五線譜に書き直す作業をしている。高音、中音、低音の3パートからなる合奏で、高音がいつも高音をやっているわけではなく、いろいろ絡み合う3つの箏。書いているうちに、だんだん作曲者の傾向というか癖が予想できるようになってきて、だんだん菊武先生のお祖父様の感覚やお父様の感覚がつかめてくる。

 

箏曲といえば、数年前に初心者が平調子の曲を演奏する《小鳥の練習曲》を作曲したのだが、この曲の動画を発見。小鳥たちがかわいく演奏してくれていて嬉しい。

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3月18日の門限ズ+ボーイズの2地点遠隔パフォーマンス公演の打ち合わせ。今日は北九州芸術劇場の舞台技術スタッフの方々の公演に向けての熱い思いを聞くことができ、実り多き打ち合わせだった。よくインクルージョンとか、社会包摂という言葉で語られるが、ぼくの言い方で言えばはアンチ排除。誰かの存在をないことにするのに、反対だ。だが、無意識に排除しているケースは、本当に多いので注意が必要だ。

 

例えば、観客層のターゲットを狭く限定して想定することは、まさに排除。多様な観客を想定すると、当然ながら、人によっては感動するシーンが別の人には全く退屈だったりする。では、多様な観客が、それぞれ全然違うところに惹きつけられ、それぞれが全く違うように心を動かし揺さぶる作品をどうやって作っていくか、ということに我々は取り組んでいる。門限ズで言えば、野村誠の価値観、倉品淳子の価値観、遠田誠の価値観、吉野さつきの価値観は、実はかなり違う。共通する部分はあるが、違う。ジャンルが違うだけでなく、美意識が違い、手法が違う。それぞれの価値観で生み出そうとする舞台があって、その複合体が公演となる。そうすることで、多様な観客に対応できる舞台作品としての強度を持とうとしている。だから、我々が目指す「分かりやすい」作品というのは、安易に「一般受けする」というポピュリズムの発想ではない。一般大衆という多数派を想定して、その一般大衆以外の観客の存在を想定しないことこそ、排除だ。公演のフライヤーなどを見て何らかの興味を抱いて来場する多様な観客が、それぞれの感性で入り込める作品への入り口をいくつも設けることだ。

 

と、まぁ、いろいろ言うのは簡単なんだけど、あとは実際の公演でそれを実現していこう。乞うご期待!