野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

引越〜京都から東京へ

2001年から7年住んで、本日、京都の天使突抜3丁目の自宅を引き払い、東京に移住します。

2001年に京都に移住した最大の理由は、ガムラングループ「マルガサリ」と5年がかりで「桃太郎」を作るという計画のため。結局、7年かかりましたが、今年の8月に、ようやくインドネシアツアーが実現します。

2番目の理由は、東京を離れたかったこと。96年から5年間、来た仕事は全て引き受けるけど、自分からは一切売り込みをしない、という方針で過ごしました。そこで、2000年の6月に、これまでの5年を振り返りました。じっくり腰を落ち着けて何かを作ろうと思って。それで、次の5年の計画を立てました。それが、

邦楽器の最高傑作
ダンスオペラ
しょうぎ作曲の普及と発展
老人ホームの集大成

という4つでした。何だか分からないけど、これをやろうと考えたのでした。
邦楽器の最高傑作は、まだですね。「せみbongo」、「52×51」など、箏の作品はいっぱい書きましたが・・・。
ダンスオペラは、当時、劇場を完全に離れて、路上とかワークショップとかで仕事していたので、色々やっていたノウハウから、舞台が作れないか、と思ったのでした。演劇交響曲「十年音泉」、ガムラン交響劇「桃太郎」や、エイブルアート・オンステージに関わったり、この辺は実行できました。
しょうぎ作曲の普及と発展は、相当実現できました。
老人ホームの集大成は、とにかく、何か集大成ということが起こるのでは、という期待で、こう宣言したのですが、今のところ本を書いたくらいです。他に何をどう集大成できるのか、イメージができないので、漠然と継続中です。

で、結局、5年のつもりが7年かかってしまいました。

では、次の5年の漠然とした目標を書いてみます。


鍵ハモ、ピアノのソロ演奏を、やり続けていく。
動物との音楽に、じっくり取り組み、深みにはまるまでやる。
●これまで、アマチュア、非音楽家とのコラボレーションをいっぱい試みたし、即興音楽家とのコラボレーションはいっぱいやったが、作曲家とのコラボレーションは、「十年音泉」でアレンジを頼んだり、ブログ音楽で交互に作曲するなど、まだ「はじめの一歩」。これを、もっと思い切って進めてみたい。
●子どもと音楽をする活動は、単発のワークショップとかではなく、長期プロジェクトとして立ち上げて、創作プロセス、音源、楽譜をアーカイブして、子どもシンフォニーを書き上げたい。

だいたい、こんな感じです。関東に引越した理由は、P−ブロッが東京をベースにしている、よこはま動物園「ズーラシア」が横浜にある、さくら苑が横浜にある、という3つが最大の理由です。これに加えて、子どもとの長期プロジェクトも関東で実現できそうだと思ったので、こう考えました。

こうしたことを軸にしながら、もちろん、色んなことをしていきます。

ありがとう天使突抜。