野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

遊んで遊んで!

池田邦太郎さんが、我が家を訪ねてきた。

池田さんは25年間学校の音楽の教員を勤めてきた人で、小学校の屋上で音を聴きながら昼寝をするという授業を20年続けてきた人で、ストロー笛など手作り楽器の天才で、身の回りにある音を子どもたちと楽しむ授業を追求してきた人だ。彼の手作りスライドホイッスルを100人の子どもで演奏したり、空き缶のプルタブをヒラヒラと落とす音を100人一斉にやってみたり、雨どいや机を叩いたりしてできる音楽は、これこそ本当の現代音楽じゃないか、と思うようなスゴイ音の実験だ。以前、池田さんの実践を作曲家の伊佐治直さんに聴かせたら、びっくり感激してくれたし、倍音Sの尾引浩志さんに聴かせたら、「あのおじさん、こんなカッコイイことやってたんだ」とまじで驚いていた。01年、04年には、一緒にイギリスに行った。池田さんの授業はイギリスの子どもたちにもバカ受けだった。

ちょうど、今から1年前の2月8日に、池田さんの小学校をHugh Nankivellとザウルスの3人で訪ねた。イギリスからわざわざ小学校の授業を見学に来たのに、挨拶の一つもまともにできない校長先生がいた。応対そのものが、信じられないほど失礼だった。

池田さんの独創的な授業を見学に来たつもりだったが、音楽の授業には、学級担任の先生が現われて歌の指導を始めて、池田さんはただの伴奏者のようにしていた。世界にも類を見ない独創的な音楽教師が、授業をさせてもらえず、伴奏者に徹している音楽室の雰囲気は異様だった。

実は新任の学校長が池田さんの授業を理解せず、挙句の果てに、学習指導要領通りの授業ができない無能な教師との烙印を押し、池田さんに授業をできないようにしていたらしい、ということがあとで話を聴いて分かった。それは、度を越えていたようで、明らかにいじめ行為で、世界最高級の音楽教師に学校長の指導という名のもとに、徹底した侮辱行為が続いていた。池田さんは何ヶ月も笑うこともなく、精神の病に陥っていたようだった。

(校長の権限というのが強化されて、学校から「職員会議」というものが姿を消したらしい。職員会議の代わりに、「事例伝達式」になったそうだ。つまり、教員が話し合って決める場はなくなり、上からの命令を伝える場だけが必要ということ。)

2月8日、池田さんの学校からの帰り道に、ぼくは池田さんに学校の先生を辞めるように、言った。これは、かなり思い切ったことだった。一晩かけて説得して、池田さんは学校の先生を辞めて、音楽の楽しさを伝える「音楽家」になることを決意した。

という日から1年。あの信じられないほど暗い絶望的な表情をしていた池田さんは、全く別人のような明るい表情で現われた。学校という場を離れたからこそ、学校のことがいっぱい見えてきた、と言っていた。あと、学校は訳の分からないことを排除しすぎなんだよ。もっと、訳の分からないものが必要なんだ、と言っていた。この明るい池田さんが、これから色んな場で活躍していくことになるなぁ。

池田さんは障害児のための音楽教室音楽教室というより音で遊ぶ遊び場のような音楽教室を始めようとしている。渋谷で始めるつもりみたいです。これは、お薦めですよ〜。

池田さんは、散々会話を楽しんだ後、池田さんは「遊んで遊んで!」と言って、「俺は、お金出してでも、野村誠に遊んで欲しいから、ねえ、遊ぼうよ。誘ってよ。俺も音で遊びたいよ〜。」。50歳になって、「遊んで遊んで!」と言える人はスゴイ。

それから、音楽を演奏することは、もちろん日本語の古語では「遊ぶ」、英語ではplayといって意味は遊ぶ、フランス語ではjeuといって意味は遊ぶなのに、日本の現代語では、「演奏する」になって、「遊ぶ」ことと別になってしまった。現代語でも、「遊ぶ」であるべきだと思います。バッハを演奏するは、バッハを遊ぶで、ピアノを演奏するは、ピアノを遊ぶでしょ。

遊びは音楽で、音楽は遊びです。いいミュージシャンは、みんな音で遊んでるもん。だから、ぼくは、忙しくなり過ぎないように、スケジュール調整に気を配っています。忙しくなり過ぎると、大好きな音楽が遊ぶ余裕のないただの仕事になってしまうから。遊び心を失ったら、音楽から肝心の部分が抜け落ちてしまいそうだから。だから、急に池田さんが訪ねて来て、8時間ぶっ通しで話ができる程度に仕事の量を減らして、自分に無理な仕事は若い人にどんどん回していきます。本当は自分でやりたい仕事も、極力若い人に譲って時間のゆとりを作ります。そうやって隙間を作った暮らしをしていると、いい出会いがでてきたりします。

遊んで遊んで!