野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

伊左治直の音楽をまとめて聴いた

大阪のいずみホールに、伊左治直さんのコンサートを聴きに行く。
いずみホールは、本来いかにも『クラシックのホールです』という場所。普通だったら、そこで犬塚彩子さんがボサノバを歌っている違和感などということを、意識させられる。クラシックには縁遠いホーメイの尾引さんや岡山くんが、クラシックホールという文脈で演奏するずれを、意識させられるはずなのだ。でも、いずみホールという場所を全く意識させられなかった。ただただ、伊左治直の世界があった。伊左治くんの世界がずっとそこに存在していて、いずみホールという文脈はどこかに吹き飛んでいた。そこには、イラストレーターの名倉靖博さんも、箏の西陽子さんも、ヴァイオリンの松原勝也さんも、当たり前のように自然に共存していた。違和感も衝突もなかった。
で、これを他の人がやると、ダサくなるか、臭くなって失敗する。伊左治くんだから、彼のセンスだから成立できる。本当に、ぎりぎり細い糸をつむいでいくように、でも、それを確信を持って成立させてしまうところは、伊左治直の音楽への敬愛、時間への敬愛と力量がなせる業だと思う。
伊左治直という作曲家がユニークなのは、他の人がやったらダサくなったり臭くなるようなアプローチで、美しく語れること。それは、伊左治直が抱く世界観から来るのだと思う。
多分、同様に、野村誠もユニークなのだと類推した。野村誠は、他の人がやったら単なる混沌で聴くに耐えなくなるようなアプローチをとっても、はっきり野村誠の世界を成立させてしまう。多分、他人から見たら、何もそんなアプローチをとらなくっても、と危ない橋に見えるけど、本人にはいたって平気。
だから、伊左治直のアプローチも野村誠のアプローチも、誰も真似しないし、しても失敗すると思う。
個人的に一番感動したのは、最初、映像があって暗転して、無音になっている瞬間、そこに、ギターのハーモニクスで、彩子さんが歌いだした瞬間。それと、彩子さんと伊左治くんのデュオになった時の伊左治くんのピアノの音色。最後の「空飛ぶ大納言」の演奏の後半あたりの松原さんの音。
行ってよかった。良い振動が身体に記憶されています。
ちなみに、今日は、ぼくの妹の誕生日で、中川真さんの誕生日でもあります。おめでとう。