野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

「ふりかえり」が「集い」になった夜


「全国教育系ワークショップフォーラム」2日目。やる気満々で、7時に起きて食堂に向かう。食堂で、
「昨日のフリーディスカッションの時間、野村さんの言っている『プリントを出さないのも自己表現』という意見で話したのですが、それは認められない、社会に出た時に困る、と反論され、どうやっても説得できず、3対1で負けました。」
と報告を受ける。
「それは、ある限定された社会ですよね。現にぼくが生きていられるわけで、色んな社会があるわけですよね。それに、例えば、君が代を歌わない人には、歌いたくない理由がある。それの是非はともかく、その理由を聞かずに、社会に出た時困るから、強引に従わせていいのでしょうか?」
食堂がフリートークの場として盛り上がり始める。

8時半。西田さんのワークショップに参加する。野外散策のワークショップで、4時間。ぼくは4時間歩く覚悟を持って、朝食もしっかり食べて参加。しかし、精神的なショックで、30分後には脱落してしまう。

西田さんが一生懸命考えて準備してくれたプログラムだということは、百も承知だ。しかし、辛くなってしまった。
「私が喋らないで下さいと言ったら、喋らないで下さい。私が喋って下さいと言ったら、黙らないで下さい。」
というルールの説明から始まった。このルールは窮屈に思うが、我慢、我慢。

「今日のテーマは見ることです。」
ヘレン・ケラーの話。見ることかぁ。森に入ったら、見ることも楽しいけど、聞くことも、匂うことも、肌触りも、歩く感触も、色々感じたいけど、もちろん感じていいんだけど、見ることなんだな、きっといい景色に出会わせてくれるのだろう。

「今からテストをします。合格しないと、森には案内できません。」
と言って、カラーコピーを手渡される。そこには、落ち葉の移っている写真。
「何が見えるか答えて下さい。」
そこに何を見るかは、個人の勝手ではないか、と思うのに、ここには正解がある。しかも合格しないと、森に連れていかない、と言う。結局、答えは、葉っぱによく似た虫だった。葉っぱの形に、宇宙や、海や、夢や、色んなものを見る自由はないのだろうか?

その後、目隠しをして、前の人の肩を持って歩いた。目隠しが外れそうになった。その時、ぼくは小学生の気分になっていた。活動は楽しい。しかし、ルールは厳しい。目隠しを外すつもりがなくて、ずり落ちたら、先生に怒られる、そんな気分になった。ぼくは何の悪気もないのに、先生に期待された通りの優等生になりたいのに、それでも、ぼくは優等生にはなれない。先生を困らせるつもりはないのに、先生に注意される。自分の小学生時代が蘇って来た。毎日、
「野村は授業の邪魔だ。廊下に出ていなさい。」
と授業を受けさせてもらえなかった。ぼくは真面目に授業に参加しようとしたからこそ、毎時間、教室から追い出された。

「ココからはトトロ化した地帯です。」
そこには、木の枝にトトロのぬいぐるみ、スヌーピーのぬいぐるみがあった。
「これからのコースに、トトロ化したものが、いくつもあります。いくつあるかを黙って数えて下さい。後で、いくつあったか聞きます。不合格の人は、もう一度やり直してもらいます。」
これを聞いて、息苦しさは頂点に達した。また、試験されるのだ。森に入ったのに、森を感じることを許してもらえない。ぬいぐるみを探さなければいけない。しかも、それをやらないと続きに参加させてもらえない。ぼくは、自分に我慢を言い聞かせて、ゲームに参加しようと思うが、森を感じたいと思うぼくの感性に蓋をしなければ、ゲームに参加することができない。自分の感性を押し殺すことは、ぼく自身を根底から否定することになる。もう少し我慢すれば、自由に歩かせてもらえるのかもしれない。でも、もうこれ以上我慢できない。諦めて、
「気分が悪いので、戻ります。」
と言って帰って来た。

本当に辛かった。現代の学校なら、ぼくは活動に適応できない学習障害児の烙印を押されることだろう。そして、しばらくすれば、ぼくのことを親身に考えてくれる先生によって、学習障害児の集団適応プログラムを、実践してくれるだろう。それは、ぼくにとって、さらに苦痛になるだろう。そして、ぼくは学校に行くことが、ますます苦痛になる。もちろん、授業に参加したい。しかし、参加させてもらえないし、妨害していると誤解され、拷問に近い親切なセラピーに合った結果、ぼくは不登校になるだろう。そんなことが、頭をよぎった。

脱落して、ロビーに戻る。書店コーナーのミツさんやタリホさん、サービスカウンター担当のタクさんにホウさんに、話を聞いてもらえた。こうした保健室みたいな居場所があって、助かった。ズタズタにされたぼくの気持ちが救われ、何とかフォーラムの残りで、総合監修の中野さんや実行委員長の西村さんに、ぼくのしんどさを伝えていかなければ、という勇気をもらった。

午後のワークショップの前に、ビデオ上映。イギリスのブラックプールでの共同作曲の映像、静岡県三ヶ日での「体育館の音楽」の映像を上映。老人ホーム「さくら苑」での「わいわい音頭」の歌詞を紹介。

14時、ぼくのワークショップが始まる。参加者と話し合ったりしながら、15時、「穴掘り」、「屋外のお薦めスポットを子どもに教えてもらい表現」、「人間マリンバ」、「子どもに大人の悩みを聞いてもらう」、「野外で表現」、「飛行機になって階段を飛んで、大人博物館を経て、お風呂場音楽会」というような案が出揃う。どれも実現できそうだし、それなりに楽しいだろうが、これで18時までの筋書きが決まっていくと、何だか可能性が閉じたような気がした。これでいいのだろうか?何か壁にぶつかりたいのに、壁にぶつかれない。

そんな時、子どもたちが来た。大人の話し合いが途中の時に、子どもたちが来た。これは壁にぶつかるチャンス!子どもたちに入室してもらう。見事に困った。壁にぶち当った。これでよし!楽しみになってきた。ココは、ぼくが決断すべきところだ。
「みんなこの部屋から移動して、人間マリンバをします!」
講堂に移動し、ドレミファソラシドの8人組を3つ作る。背中を触られたら、「ド」とか「レ」とか言う人間が鍵盤になった木琴を子どもたちに演奏してもらう。これに、子どもたちは大喜び。しかも、意識せずして、スキンシップがはかれる。子どもに背中を向けている大人が、次に正面を向いて対すればいいから、次は「悩み相談」だ、と思いついた。ただ、まだ早い。しばらく、人間木琴を続け、途中から、少しずつ大人にも場所を移動してもらい、空間に若干バラバラさを加えていった。子どもたちが十分木琴を楽しんだころに、
「じゃあ、大人の悩みを子どもに聞いてもらうので、大人と子どもで組になって下さい。」
大人の悩みを子どもに聞いてもらう。恋愛について、仕事について、不眠について、など大人が向けた悩みに、子どもたちが答えてくれる。こんな風にして、大人と子どもは混じり合い、全体で一斉に行っていた活動が、細かいグループに分断されていった。そして、悩み相談が終わったところが、自然に遊びを始めたり、踊りを始めたり、勝手に様々な活動が始まった。それを見ながら、ぼくはしばらくピアノを弾いた。そして、16時半すぎ、ホワイトボードに書き置きを残して、穴掘りをしたい何人かと、外に出た。
「野村は穴掘りに行って来ます。外のお薦めスポットに行って表現するなど、適当に各自で活動を続けていて下さいね。」
ワークショップのファシリテーターがメンバーを置き去りにする。あとは、参加者が勝手にやってくれるだろう、という信頼がないとできないことだ。

その後、ぼくらは穴を掘った。ここには子どもはゼロ。6〜7人の大人が穴を掘る。掘っているうちに、どんどん日が暮れる。桜の木の下に穴を掘るが、根っこが出てきて、根っこを避けて穴を掘る。個人、個人で穴を掘る。深い穴を掘る人。広い穴を掘る人。木に登る。木と同化する。だから、どうしたの?結局、このワークショップは何だったの?と聞かれても、何の答えもない状態で、ただただ掘っているが、意外に楽しい。そのうち、子どももやって来て、対抗して穴を掘り始める。

穴に入ってみたら、丁度椅子のように座れた。これは新発見。「創造」に向かって、何かが傾く瞬間。じゃあ、横に広い穴にみんなで座ってみると、どうなる?それは、せまい掘りごたつのよう。狭い穴にみんなで足を入れる。親密な関係。
「これって、石器時代の儀式みたいだね。」
「毎年、11月22日に行われる儀式ってことにしよう。」
「11月22日、いい夫婦の日だね。」
こうして、ぼくらは、「イーフーフー!」と呪文を唱える儀式を創造した。

17時45分、他のメンバーも全員集合。交互に「イーフーフー」をやってもらう。ダンサーの佐藤さんが、ダンス的な発展を加えて、穴を中心に交差する手が、花のようになる。その交差した手を交換したり、交差した手の上に人が乗れないか試したりして、17時55分。研修室に戻る。他のグループが何をしていたか、簡単に省みる。お薦めスポット「沸き水」のところに連れていれてもらい、水が美味しくなる歌を作った。その後、焚き火に行って、焼き芋などをした。また、飛行機ダンスもやったらしい。
「私達、しょうぎ作曲以外、計画したのを全部やったんですね。」
「じゃあ、しょうぎ作曲もやろうか!」
ということで、今日の全プログラム終了後の22時すぎに、希望者のみ集まって行うことにした。

夕食は、ワークショップのメンバーたちと過ごす。色んな話をするが、途中で鍵盤ハーモニカミニライブになった。そして、20時「ワークショップのふりかえり」の説明会の直前に、レポートボランティアのシカちゃんが、
「野村さんは、何をふりかえって欲しいですか?」
と質問してくれた。何でふりかえらなければ、いけないの?

説明会で、ぼくは質問した。
「ふりかえりの時間って言いますが、ふりかえらなけらばいけないんですか?」
中野さんが、
「そうです。」
と答える。
「同じワークショップの場を経験した人が、今どんな気持ちか、っていうところから自由に話すのではなく、さっきどう感じたか、さっき何を考えたかを、ふりかえる時間なんですか?どうしても、ふりかえるんですか?」
ワークショップの時間をふりかえるということは、その時間を経験した後の今の気持ちを無視して、その時間の自分の感じ方を分析し言語化する作業だ。その結果、今感じている気持ちが薄れてしまう危険性がある。それを個人が選択する権利がなく、全員がふりかえるように設定された時間。何で?
西村さんが
「じゃあ、ふりかえりという言葉をやめて、集いにしましょう。」
と言う。その後、中野さんが
「一応、用意したスライドがあるので見せます。」
と言って、「ふりかえり方」の説明スライド上映。

しかし、ゲストは、「集い」に参加してはいけない、とのことで、ゲストだけで集まった。「講師」ではなく、「ゲスト」という呼称にして、一般参加者との間に序列を付けたくない、という主催者。そのわりに、「ゲスト」を特別扱いすることが、連日続く。このことに、ぼくは納得できない。

ゲストだけの集まりで、ぼくが昨日〜今日、いかにしんどいか、ということを語った。ゲスト達も、同様に居心地の悪さを感じていたが、ある程度割り切って合わせていた、という意見が多かった。善意を信じて疑わない声ほど、恐ろしいものはない、という意見が出た。教育ほど胡散臭いものはない、という声もあった。これまで、ゲストの人の話を聞くチャンスがあまりなかったが、ぼくの感じていることと遠くない感想を聞けたし、それをもっと複雑な用語を使いながら、分析的に言語化して、議論が白熱して、11時になっても終わらなかった。ぼくは「しょうぎ作曲」の約束があったので退席した。

野村誠ワークショップの参加者の集いでは、さらに色々な活動をしたい、ということで、色々なことが起こったらしい。そんな報告を受けているうちに、続々とメンバーが集まり、ワークショップに参加していない人まで集まり、結局、ぼくを入れて24人で「しょうぎ作曲」した。楽器は特にないから、カラダや声、部屋にあるものを使った。途中、「行ってきます」とドアから廊下に出ていき、「ただいま」と部屋に戻ってくるあたりから、曲調が一気に変化した。次の手が、「行ってきます」で電気を消し、「ただいま」で電気をつける、になった。時々起きる暗闇に、高笑い、叫び、こける、かなり激しいパフォーマンス。そんな中、体育教師、ロシア語の挨拶、などなどが飛び交い、23時55分に作曲終了。せっかくなので、中野さん、西村さんに観客として来てもらい、上演。かなり、面白い曲ができたが、作曲過程を知らない観客からは、どう見えたのだろう?

ここからは、自然と話をする雰囲気に。この時点で、明け方6時まで話し続ける覚悟を決める。この後のトークについては、日付けも変わるので、明日の日記に。