野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

フォーラム(=広場)が「狭場」になっていく


朝食を抜いて、10時まで寝ることにした。前日までの疲労をなくした状態でフォーラムに臨みたかったからだ。10:15から、ぼくのワークショップに関して、担当スタッフとミーティング。とにかく、ミーティングが多い。実行委員会から志賀さん、登録ボランティアからナベっち、レポートボランティアがシカちゃん、赤城職員の石坂さん。ここで、いきなり、志賀さんから本日のミーティングで決める内容を順に決めようと進行を始めるので、ぼくは
「ひとまず、雑談しませんか?それ、5分で決められますから。」
と言って、雑談を始める。それぞれが、このフォーラムにどういう関わりや意識でいるのか、どんなワークショップにしたいか?ぼくも決めかねていることなど、話しているうちに、ビデオを見せたり、いろいろした。この時間は、ワークショップの進行を考えるワークショップみたいなものになった。その結果、2時スタートの予定を、1時20分ごろから、野村誠のビデオ上映会にして、野村のワークショップをとらない人も参加可能にすること、ワークショップの時間は完全に参加者の人達の活動に委ねてしまうこと、3時15分ごろに子どもフォーラムと合流すること、会場づくり、などもワークショップの中で参加者と一緒に考えること、などが決定していった。

そして、11時。
また全体スタッフミーティング。
だんだん、ミーティング嫌症状が悪化してくる。

ミーティングが終わると、子どもフォーラム受付に子どもたちの姿。受付の机を叩いたら異常に良い音がするので、机タタキ即興セッションが始まる。ゆーらちゃん(4年生)から、超高速手遊びを伝授される。そして、ぼくの名前を
「のむらまことだけど、何て呼んでもらったらいいかな?」
と聞いてみたら、
「うーん、じゃあ、まーくん。」
ぼくは、その場で名札に「まーくん」と書き込んだ。この瞬間、ぼくは「まーくん」になった。人生で「まーくん」と呼ばれるのは初めてだ。新しい自分に出会うチャンスでもあるな、と予感した。

昼食後、西村さん(実行委員長)から、
「野村さん、お願いがあるんだけど」
と開会式が始まるまで、講堂でピアノを弾くことを依頼される。ぼくはピアノを即興で弾き始める。そこでは、子どもフォーラムの子どもがワイヤレスマイクを持って、即興でデタラメに喋っている。だから、その空間には、即興トークと、即興ピアノ、それを聞きながら走り回っている子どもや大人。そんな風通しのいい空間があった。フォーラムとは、「広場」という意味だが、まさに「広場」に全国から集まった150人の参加者がぞろぞろと入室してくる。その光景は、なんとも言えず、素敵だった。昨日の中野さんの即興踊りからの流れが、ここに存在していた。全員が着席して、会場のざわめきが静寂へと移り変わっていった時、ぼくはピアノを弾きながら、
「ワークショップフォーラム、始まるぞ〜〜〜!」
と叫んで、演奏を完了させた。これで、開会した。

その後、簡単な開会の挨拶の後、3人組になって、お互いの自己紹介をする。この時は、まだ、ワクワク感が続いていた。可能性が開いていた。参加者全員が対等にその場を盛り上げていた。ところが、その後のゲスト・セッションの時間から、風通しが急に悪くなる。

ゲストは前に一列に並べられた。ゲストの人選は大変面白い。川喜多好恵さん(大阪府立女性総合センター、コーディネーター)、菅靖彦さん(セラピスト、作家、翻訳家)、昨日の日記に登場の橋本久仁彦さん、村上千里さん、吉村和彦さん、檜本直之さん。さらに、益田文和さん(デザイナー)、桜井高志さん(桜井・法貴グローバル教育研究所代表)、星川淳さん(作家、翻訳家)、ウェイン・エルスワースさん+佐藤静代さん(ICA文化事業協会)といったメンバーで、ワークショップの専門家という切り口で集められた感じではない。それぞれの分野での活動と「ワークショップ」という言葉が、若干交差するのだろう人物たちだ。だから、この人達の仕事と「ワークショップ」が、どんな風に関わったり関わらなかったりするのか?そこに興味が持てる。

しかし、この後の会の進行は、ときめかなかった。ゲストの人数が多いとは言え、
「各自1分で自己紹介をお願いします。」
では、何も語れない。1分ならば、何も言わない方がまし、と思ったぼくは、自分の番で、喋りたくなかったので、最初に10秒沈黙してみたが、それ以上の沈黙にも耐えられずに、口を開いた。
「言葉がたくさんで疲れたので、沈黙してみました。」
この時間で、昨日話した橋本さんの「自力や他力や安心の話」なんかの面白さが、全く伝わらない。個性が表現できない限定された時間に息苦しさを感じた。

続いて、質問に答える時間が来た。前日の打ち合わせで、
「好きな食べ物みたいな質問をします。そうしたことで、ゲストのキャラクターを参加者の皆さんに伝えることが目的です。」
と聞いていたが、最初の質問を聞いて愕然とした。
「ワークショップの日本語訳は何?」
ここには、「ワークショップ」とは何か?それの是非は?自分がそれに対する立場は何か?といった問いについて語ることなしに、いきなりこの問いを出されて、答えを強要される。
「コンビニ(コンビニエンス・ストア)の日本語訳は何か?」
と質問されて、「便利店」とか「便利屋さん」とか答えさせられるようなものだ。
「コンビニは素晴らしい」を前提に話が進んでいるような感じ。
「日本全国にコンビニが存在するこの社会状況に関して、あなたはどう考えますか?」
と質問されたら発言できる内容が発言できなくなる。この質問は、参加者が抱いている「ワークショップ」そのものに対する疑問を隠蔽する巧妙な方法、全員が「ワークショップ」というキーワードを共有しているという幻想を見事に成立させた。しかも、実行委員会に、そのような悪意がないことは明確なだけに質が悪い。

続く、2問目がもっと酷かった。
ファシリテーションがうまくいったと感じる時は、どんな時?」
という質問に、ぼくは、
「質問の意味が分かりません!」
と答えた。
「じゃあ、野村さんだけ、今日はうまくいったなぁ、というのはどういう時?という質問に答えて下さい。」
と返答が来た。

ワークショップを進行する人をファシリテーターと呼ぶ。ファシリテーション=「進行の困難を容易にすること」という意味で、ワークシップ業界では普通に使う言葉だろう。それは分かるが、参加者全員がファシリテーションをしている、という大前提のもとに発せられるこの質問に、居心地の悪さを感じた。無自覚ながら、全員がファシリテーションをする人だ、という前提を感じた。
「何がなんだかわけがわからず、でもいっぱい『?』で、終わった感じが全然しないで、何かが始まっている感じ。」
というのが、ぼくの答え。

ここでゲストセッションが終了。多彩なゲスト陣のバックグラウンドは、全く見えず、しかも、その人達が、ワークショップとどこで接点があり、どこで接点がないのか?そこからワークショップに関して、どんな問題意識があり、どんな問題意識がないのか?全く見えなかった。居心地のいい「広場」が、あっと言う間に、居心地の悪い「狭場」になってしまった。

その後、松原高校の報告があった。この状況で、講演が続くのは、会の息苦しさを持続し、ますますしんどくなるのだが、それでも、高校生がキャンプで色々な活動をしている実際をビデオで見ると、説得力があるし、そこは救いの時間だった。しかし、息苦しく、途中耐えられなくなって、講堂から出る。開会式から始まって、2時間半以上、講堂で講演会形式で続いているのだ。もうこれ以上は座って聞いていられない。でも、みんな座って聞いている。

「では、松原高校の発表のふりかえりをします。3人一組になって、話し合って下さい。話し合い方は、、、、」
3人で話すこと、話し合い方として、何を話すべきか、など細かく指示が出る。何を話したって、話したい人の自由じゃないか!と、だんだん反抗したくなるくらい、ルールを押し付けられるので、息苦しくなってきた。ひとまず、ぼくのグループ3人組は、こんな場で話していたら息苦しいので、ロビーに出て話すことにした。空気がいいし、話さなくっても許される雰囲気があった。のんびり話したら、かえって話し合いは一気に促進した。敢えてファシリテーションという言葉を使うなら、しんどいからロビーに出ることが、ファシリテーションだと思う。そうすれば、議論は進む。お茶をいっぱい飲むことがファシリテーションかもしれない。議論をしなければいけない、という呪縛から逃れることがファシリテーションかもしれない。さらに言えば、ファシリテーションという言葉を忘れることが一番のファシリテーションかもしれない。

松原高校のふりかえり。いろいろな意見が出たが、なんだか表面的、きれいごとの感は拭えない。そんな時、益田さんのいたグループでは「野村さんは、どう感じたのか?という質問をしてみたい」
という質問を考えついた、とのこと。一日目、開会後3時間で、ぼくは、この会の中で一つのシンボリックな役割を担うことを期待され始めていたらしい。そして、ぼくはその立場で最後まで存在することになる。そして、丁度そのグループがその質問をしようとしたまさにその時、ぼくのグループが手を挙げて質問した。
「自由に表現しなさい、と言われるのに、それに先生が成績をつける、っていうのは、難しい問題だと思う。」
というような質問。この質問が大きな議論になり得る時、夕食の時間ですと、うちきりタイムが来た。

ロビーで何人もに声をかけられた。
「プリントを出さない方が、自己表現している可能性だってあるわけです。ファシリテーションについての質問に答えたくない、ということの方が、イヤイヤ答えるよりもよっぽど自己表現していることになるんですよ。なのに、提出物で成績をつけるのも、疑問です。ぼくは作曲の〆きりを破るけど、いい曲を作ることに全力を傾けている。〆きりを守るけど、駄作を作るのと、どっちが大切か?」
そんな話をした。

夜の部のディスカッションには参加せず、ぼくは子どもフォーラムに行った。そこでは、自然と子どもたちと楽器で遊んだり、踊ったりして、決められていないプログラムが自発的に起こり、楽しく進んだ。ぼくは汗をかきまくり、みんなに「まーくん」と愛してもらい、受け入れてもらった。そこは、大人フォーラムよりも数段居心地がよかった。

「まーくんが音楽隊の隊長で、++くんが副隊長で、、、、」
子どもが勝手に決めていく。その後、ぼくたちは子どもフォーラムのプログラム「ナイトハイク」に出かけた。出発時刻は予定よりはるかに遅れる柔軟さが、ここにはある。

ナイトハイクに救われた後、ぼくは大人フォーラムに戻る。明日のワークショップを参加者の人に選んでもらうために。1分で内容を説明する。1分たったら、時間で鐘を鳴らされる。ここにも、時間に縛られる息苦しさを感じる。こちらも、この枠組みで話せるわけがない。ぼくのワークショップの内容の説明も当然不十分だった。23名の受講者が決まった。

全プログラム終了後、ロビーで雑談。そこから、机タタキ即興セッションが始まり、どんどん盛り上がり、橋本さんも踊るし、みんなが踊りまくるダンスセッションにも移っていった。騒々しく盛り上がったところで、制止された。宿泊棟から遠いから大丈夫かとも思ったが、近くに宿直室があって寝ている人がいるのかもしれない。

宿泊棟に戻ると、ゲストが集まって話していた。話題の中心にいたのは益田さんで、ゲイというものは、男とか女という枠組を超えた精神性の高い存在で、男とか女としての関係ではなく、人間としての関係を持つ、といったことを説明してくれていた。周囲は、酒の席ということもあって、半分茶化しながら聞いていたが、本人は誠実にしかし、茶化されても怒るわけでもなく、なんとも益田さんに好感を持った。

その後、中野さんが合流したが、もう遅いので閉会にしましょうと、1時半ごろ打ち切った。ゲストの体調管理までも、気を使ってくれるし、ある意味管理しているとも言える。総合監修という立場で、関わっているのだ。

お開きになった後、吉村校長が、
「今日の話、野村さんなんかが聞いて、きれいごととか思いませんでしたか?」
と質問してくれた。これで、ぼくの意見を言える場が持てた。こうやって、意見を聞こうとしている人が校長をしているから、松原高校には可能性がある。校長がやるべき一番の仕事を彼は知っている。