野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

無調で遊ぶ

石村真紀さんと会って、無調の即興ピアノ連弾をして遊んだ。石村さんとは、今日が初対面。音楽療法士で、相愛大学の先生で、即興が好きな人。会った第一印象から、この人は良さそうだな、っていう雰囲気があったので、楽しく過ごせた。

セラピストという職業柄なのか、自分の話をせずに、ぼくに質問いっぱいしてくる。こちらは芸術家という職業柄か、自分のことを話すと調子にのって色々話す。そうすると、情報が一方通行になるので、石村さんに質問し返して、色々話してもらう。

それから即興して遊ぶことになったら、
「私、無調なんです。」
と石村さんは断ってこら、弾き始めた。なかなか綺麗だった。それに、鍵ハモで合わせ始めたのだが、この人のピアノ、不思議と鍵ハモとマッチしないので、すぐにピアノ連弾になった。無調で、無拍節。色々なパッセージを弾くけど、そこには核になる音階とか、核になるビートはない。だから、ぼくも無調、無拍子で演奏するけど、そこに時々、(瞬間的に)ビートを出したり、(一瞬)調性感を出したりして、やや音楽を揺さぶりながら、楽しむ。

石村さんの演奏は、無調、無拍節だが、セシル・テイラー山下洋輔のようなフリージャズのような強いエネルギーではない。また、調性やビートから逸脱しようという抵抗や反逆のメッセージの音楽でもない。調性やビートを(無意識に自然に)回避していたら無調、無拍子になった、という感じか。そういう意味で、素直な音だし、繊細な部分もあるし、いいと思った。それと、無調、無拍子の即興なら、極端な強弱やテンポチェンジ、タッチの弾き分けなどで音楽を構成していく人は多いと思うのだが、彼女の場合、意外にそうではなく、強弱、テンポ、タッチなどをそれほど変化をつけず、無調の中でのメロディーやハーモニー、そういったところに表現の活路を見い出しているような感じがした。変に効果的な方法論に陥らず、やっている。
「うわぁー、私まけそう!」
「え、勝負してるわけじゃないでしょ。」
という会話が、2度あったのが印象的。別に勝負してるわけじゃないし、でも考え用によっては色んな勝負が存在するとも言える。

「どっちが思いっきり楽しんだか」の勝負
「どっちが相手を楽しませたか」の勝負
「どっちが相手の演奏にいっぱいインスピレーションを受けたか」の勝負
「どっちが相手の演奏にいっぱいインスピレーションを与えたか」の勝負

こうやって考えれば、勝者は敗者で、敗者は勝者。でも、はっきりしているのは、ぼくも石村さんもすごく楽しんだこと。汗をかくぐらい演奏したこと。演奏を通して、お互いのことを信頼できるようになったこと、などなど。だから、ぼくはまたこの人と遊ぼうと思う。遊び終わった後、
「録音しておけば良かったね。」
と石村さん。うん、録音しておけば良かったね。でも、また遊ぼう。それでいい。

家に帰る。テレビで「ためしてガッテン」の「耳」に関する特集を見る。耳は疲労する。大切にしなくっちゃ、と耳を大事にしているぼくには当たり前のことが多かったし、逆に一般の人はこれほどまでに耳に無頓着なのか、とも思った。耳を守るために、ぼくは常に耳栓を持参している。自分の耳が疲れている時などは、電車に乗ってる時の音も耳が耐えられないし、コンピュータなどのモーター音が不快な時もある。耳の聞こえで、かなり体調の判断もしているし、耳の聞こえに影響すると思って、アルコールを一切飲まないようになった。耳は消耗する。一生大事に使いたい。