野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

児童音楽→大井浩明

久しぶりに京都女子大学に行く。昨年まで教えていた京都女子大学の授業に、時々ボランティアで行っている。今日は、4回生の児童音楽ゼミの中間発表。1〜3回生まで野村誠の授業を受けていた人が、4回生だけ別の指導教授でというのは、ちょっと無理がある。だから、時々ボランティア講師として、自発的にゼミに参加している。

今日は5論文の中間発表。まず、「歌づくり」に関する研究。4歳児のMちゃんとの遊びながらの歌作り、5歳児のKくんとのお絵書きしながらできた絵描き歌などの説明。自分達の作ったオリジナルソングなどの発表。2番目は、保育園での生活を34時間に渡って観察し、その日常生活の中で子どもが何気なく行っている音楽表現についての研究。3つ目は、身の回りにあるものでの作る手作り楽器についての研究。4番目は、カラダだけでできる音楽あそびについての研究。5番目が、音楽療法に関する研究だった。

歌作りは、もっと色々ぼくのノウハウを教えたいような教えない方がいいような、、、難しいところ。幼児の観察は、最終的にそういった観察を踏まえた上で、どうやって子どもに接するといいと提案できるかどうかがカギだと思った。手作り楽器は、ペットボトルならペットボトルで全部のメーカーの全部の形状の違いまで比較して、この形のだとこんな音がする、というくらい研究できると深いと思った。カラダでやる音遊びは、どんどん実践して、面白い遊びネタを考えるといいと思った。音楽療法の研究に関しては、「自閉症の人は、〜〜〜ができないから、〜〜〜〜という活動を通して、〜〜〜〜〜を意識させる」という表現を聞いて、その反対に、「自閉症の人は、〜〜〜〜〜〜〜ができるから」という「できる部分」に視点を持ってくると、全く見方が変わるのでは、と思い、そういう視点で考えてみるように言っていた。

ゼミ後、学生たちの卒論の相談にのったりしていた。とにかく、論文なんか気にせず、とことん自分達が楽しめる実践、今しかできない実践をやって欲しい、と思い、色々勇気づけようと喋ってみた。彼女達には、力があるから、どんどんやって欲しいもの。歌作りのグループの演奏にも、ちょっとアドバイスをしているうちに、東京に出発の時間。

新幹線に飛び乗り、P−ブロッの練習。「あたまがトンビ」と「リトルネロ練馬」の2曲を練習。以前のP−ブロッよりは、明らかにレベルアップしていて嬉しい。以前は、こんな大曲、何度練習しても形にならなかったはずだ。練習はとっても楽しかった。吉森くんが、
「どっちの曲も、鍵ハモの技法を駆使した曲やな。」
と言う。別に駆使しようと思っていないが、鍵ハモを知り尽しているだけに、そういった様々な手法が出てくるのだろう。本当に鍵ハモならではの曲になっている。

終電で千駄木のアパートに戻ると大井浩明くんが宿泊している。大井浩明はシャイな人なので、世間話などを物真似などを交えてまくしたてるが、彼のどうでもいいような雑談の端々には、正論がいっぱい詰まっている。

彼は、楽譜をきちんと読む、それは、その曲の書かれた文脈(社会的なコンテクストまでも含めて)を読むこと、という当たり前のことを言っているように思う。ただ、彼の考える程度に楽譜の意味を読むことに労をさく演奏家は、決して多くはない。多くの演奏家は、自分の知っている音楽に楽譜を引き寄せて解釈しようとする。しかし大井浩明は、極力、そうした曲解を避けようとする。作曲者の意図を忠実に理解した上で演奏を構築していこうとする。それは誠実な態度で、それをクセナキスの作品に対しても、徹底して貫こうとしているのは、良い態度だと思う。従来のピアニズムに引き寄せることなく、従来のピアニズムとの差異を明確にすること。それ以前の西洋音楽に引き寄せずに、すっきり書かれていない(ブレーズなどから見れば)作曲の素人のようなゴツゴツしたポンコツ感をもはっきり浮き彫りにする演奏により、クセナキスや現代音楽の本当の可能性が見えてくるのではないか?それを妙に聞きやすく、分かりやすく、弾きやすくせず、身体に反する譜面に従ってみること。そういう可能性に期待して、ぼくは大井浩明の演奏に未来を見る。