野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

映画鑑賞/インテルメッツォ

昨年の今頃は、アップリンクの映画60本自宅で見放題というのに申し込んで、毎日家で映画を見ていた。自分では決して観に行かないような映画も、せっかくだから色々観た。コロナになる前は、映画館に行く時間がなくても、飛行機で移動中に、映画を色々観ていた。緊急事態宣言中だが、上映中なので、今朝、里村さんと出町座に映画を見に行った。「DAU.ナターシャ」という映画。

 

酔っ払い、セックス、拷問など、何でこのシーンがこんなに長いんだろうと思う不思議な映画だったが、作り方もかなりユニーク。実際にソ連の1950年代を再現した街をつくり、そこにキャストの人々が通ってきて撮影し続けたとのこと。カフェの店員役の人は毎日カフェの店員として、そこに通う。フィクションとリアルを歪ませるのかぁ。

 

DAU. ナターシャ ‹ 上映作品 ‹ 出町座

 

ロンドンのエミーロから連絡があり、音楽療法を勉強することにして、オーディション(入試)で野村誠作曲の《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ》を演奏して好評だったとのこと。インテルメッツォが好評で嬉しい。

 

憲法記念日

野村誠ウェブサイトのリニューアルに向けて、2013年で止まっていた野村誠年表を追記するために過去の日記を再読中。4年前の憲法記念日愛知大学で授業をしていた。憲法をアイドル風の歌にしようという学生のアイディアで

日本のみんなー justice!
ルールを守って love & peace
戦争、威嚇、武力の行使
3つまとめて ポイしちゃおう all right 

 

3つまとめてポイしちゃおう。4年前の日記はこちら。

 

makotonomura.hatenablog.com

ということで、日記は2017年を読み終える。残り3年分。2017年は、《ミワモキホアプポグンカマネ》、《ルー・ハリソンへのオマージュ》など、センチュリー響とワークショップだけでなく新曲を作曲するという形でも関わりが始まったり、イギリスに1ヶ月以上滞在したり、フィリピンやタイに行ったり、《うたう図書館》をやったり、新しいフェーズに入った年だった。

 

座・座に搬入/石山寺や温泉/パープルリボン音楽プロジェクト

里村さんに車を運転していただき、ながらの座・座に、楽器など荷物を搬入。5月14日から21日まで、ながらの座・座で「野村誠の動態展示 in ZaZa」という企画をする。はっきり言って、この場所、この庭、この環境は最高すぎて、国指定有形文化財である江戸時代初期の建物と滋賀県指定名勝の庭園は、通常非公開で、オーナーの橋本さんの個人宅で、本来ならば入ることも許されない場所。

 

ところが、ここをコンサート会場として開放する試みを橋本さんが続けておられて、野村も今まで何度も出演した。定員40名で味わうのも、密接な感じで楽しかったが、コロナで密がNGになった。

 

で考えた。そもそも、この建物と庭を味わうために、40人もの人が集う必要はないし、人が少ない方が、空間もじっくり味わえる。ということで、40人の観客を一度に集めるよりも、1週間に分散して集める企画にしたら、接触を伴わない広々とした環境が味わえる。

 

で、観客がほとんどいないと、楽器も広々と点在させることもできて、面白い空間を作れそう。そこに、野村一人と観客が一人か二人いて、距離も離れていて、自然に音楽が生まれてきたりする。観客が一人もいなくて、野村が勝手に一人で作曲している。そんなことを考えたら、いっぱい楽器を搬入したくなり、おもちゃのピアノも2台持ち込んだし、大正琴や文化箏、タイの太鼓、中国打楽器など、色々持ち込んだ。全部を広げたらゴチャゴチャするけれども、こうした楽器がポツポツと点在していても、いい感じになるかなぁ。

 

nagara-zaza.net

 

座座による前に、石山寺にも行った。近くは何度も通ったことがあるのに、初の石山寺を満喫。

 

帰り道に北白川ラジウム温泉に立ち寄り、座座で「徹夜の音楽会」をした帰り道に佐久間さんたちと立ち寄ったことを思い出しながら、ゆるむ。

 

草柳和之さんの新プロジェクトに向けての準備ミーティング。DVに関するカウンセラーの草柳さんは、非常に独特の発想をされる方で、音楽の世界とDVという違った世界を瞬時に跳躍して結びつける稀有な人。この方の発想に音楽家が巻き込まれていき、新たな音楽が生まれてくる。

 

 

 

 

自分も生まれるピアノ曲/DVと音楽/市長がいい人

河野有砂さんの「自分も生まれる旅」へのピアノ曲の手書き譜面を描き、一応、最後まで描き終える。タイトルを《自分も生まれる旅》なのか、《自分も生まれる》なのか、それとも別のタイトルなのか考え中。

 

野村にこれまでDVに関する作品を2曲委嘱したカウンセラー草柳和之さんより、音楽によるDV防止キャンペーンの活動報告の情報が来た。以下にシェア。

 

 

《音楽によるDV防止キャンペーンの活動報告を音楽療法雑誌に寄稿しました.

→→ご関心ある方、活動報告をダウンロードしてお読み下さい.

 

【活動報告の文献】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

=草柳和之「DV根絶を目指すコミュニティ音楽療法の活動――それは作曲委嘱から始まった」

『東京音楽療法協会30周年記念誌』(2020)

★★★ダウンロード→→https://researchmap.jp/kusayanagi/misc/25685166

この記事の投稿者・草柳和之【注】は、DV・子ども虐待・性暴力・いじめ等の被害者のトラウマケアの領域と、DV加害者の心理療法の開発と実践を主たる専門分野とする心理臨床家です。

大学で教える一方、長年、様々な領域の被害者のカウンセリングに携わるうちに、DV根絶を願う音楽の必要性を思い立ち、自らのピアノ演奏のための曲を野村誠氏に委嘱しました。それ以来、以下に記すように3段階にわたり、音楽によるDV防止キャンペーンを発展させてきました。昨年、それを音楽療法関係の雑誌に報告として寄稿しました。サイトからダウンロード可能ですので、幅広い方々にお読みいただけると幸いです。

【stage①=事の始まり、最初の委嘱曲】

野村誠「DVがなくなる日のための『インテルメッツォ(間奏曲)』」(2001)

→→曲名は「DVがなくなる日までの間に演奏する曲」という意味で、「本曲が早く演奏されないことを願う」との逆説的意図が込められています。

【stage②=第2の委嘱曲は、自ら作詞した歌曲】

草柳和之作詞・野村誠作曲『DV撲滅ソング~DVカルタを歌にした』(2014)

→→DVをテーマにカルタとして編集した《DVカルタ》の読み札を並べて歌詞とし、作曲されました。

【stage③=暴力賛成の人はいないはず~パープルリボン・コンサート開催へ】

→→広く音楽家に呼びかけて、「stop セクハラ・DV・性暴力」を目指す《パープルリボン・コンサート》を、2017年より毎年、11月末頃の日程で、現在まで3回開催しました.

→→パープルリボンは、女性への暴力の根絶を訴える国際的シンボル、演奏者は紫のリボンをつけて演奏します。被害者が出演して自ら創作の作品も演奏という、音楽を通じた交流の場ともなり、野村誠作品の演奏者を公募という企画も盛り込んでいます。

【本件に関するお問合せ】http://www5e.biglobe.ne.jp/~m-s-c/

メンタルサービスセンター:〒176-8799 練馬郵便局留/Tel.03-3993-6147

【注】《草柳和之》メンタルサービスセンター代表・カウンセラー.大東文化大学非常勤講師.DV被害者支援に携わると同時に,日本で初めてDV加害者更生プログラムの体系的実践に着手,その方法論の整備,専門家研修の提供等により,この分野をリードしてきた.日本カウンセリング学会東京支部会・運営委員.著書に『ドメスティック・バイオレンス』(岩波書店),共著『標準 音楽療法入門 下』(春秋社),他多数.日本カウンセリング学会認定・カウンセリング心理士.社会貢献支援財団より、平成27年度社会貢献者表彰を受賞。日本音楽療法学会会員。

 

 4年ほど前の日記で、豊岡の子どもたちとワークショップした時に、「市長がいい人」と子どもが言い出した。ここにシェア。

 

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ケンハモ/神泉苑/ガチャコン/相撲甚句

ウェブマガジン「メルキュールデザール」の「五線紙のパンセ」連載2回目の「ケンハモと現代音楽と私」の原稿の校正と写真選び。

 

里村さんがポーランド語のエクスチェンジをしているミハウを神泉苑に連れていく。京都に住んでいても、ポーランドの人を案内するおかげで観光ができる。ありがたい。

 

www.shinsenen.org

野田智子さんと永尾美久さんと打ち合わせ。近江鉄道沿線などで行う予定のアートプロジェクト。地域とアートのこと、コロナのこと、滋賀県と相撲のこと、相撲と音楽のこと、リサーチのこと、電車のこと、色々話しつつ、どんなプロジェクトに落とし込んでいくのか、どんな妄想を膨らませて実現させていくのか。考え中。

 

JACSHAのミーティング。昨年の城崎国際アートセンターでのレジデンスで「オペラ双葉山 竹野の段」をやったこと。そこから次の構想やプロジェクトのことやら、色々話す。

 

 

CCCDのワークショップ最終回

香港のCCCDの企画の3回シリーズのワークショップの最終回。このメンバーと会えるのが楽しみになっている。気温42度のバングラディッシュ、気温30度の香港、気温9度のイギリスとつながっている。

 

エイトエカミアーマショーバイというバングラディッシュの言葉の歌は、今や我々のテーマソングになっているので、これを歌いながらピアノを弾いて始まる。そして、バングラディッシュは42度でエアコンも大金持ちしか持ってないそうで、交通のノイズがよく聞こえる。では、暑さを吹き飛ばすために、「プールの音楽会」の動画を少し紹介。続いて、楽器で「だるまさんが転んだ」の遊び。楽器の演奏をやめると動きをやめてフリーズする遊び。ついでのオーケストラ曲「だるまさん作曲中」でオーケストラ奏者が演奏しながらステージにあがってくる動画も紹介。

 

バングラディッシュの子どもの遊びを教えてもらう。

タポー チカポカ

チカチカ 

ポカポカ

チカポカ

チンガララ チンガチュ

ソワーソワソワ ヘイ

 

お礼に、25年前にヨークでジェイムスに教わったガーナの子どもの遊びを教える。

エペエペ

ポポチュリポー

チキカンベー

 

せっかくなので、日本語の歌を聞いてもらって、記憶するように真似てもらう。「とおりゃんせ」を歌ったのは、数年前にマルセイユ(フランス)でやったプロジェクトを踏襲。真似しても似ないので、勝手に創作になる。ぼくが逆に広東語の歌を聞いて真似をする。

 

宿題で、色々なゲームを考えてもらったので、それを発表してもらう。パントマイムで何かを作りながら、それを声で表現して、誰かに手渡す演劇ゲームや、名前を言ってパスしていくようなゲーム。せっかくなので、楽器でやってみたり、工夫する。

 

以前、門限ズでやった人数をコールして、その人数の人だけがビデオをオンにするゲームも面白かった。ビデオをオンにしている人だけが楽器を演奏した。そうすると、テクスチャーが変化して、音楽としても面白い。

 

「顔体操リズム」というタイトルだけ考えていた。みんな、顔をいろんな表情にして、顔でリズムを作ってくれる。さらには、ビートボックスみたいにしながら、顔を表情豊かに動かしたりもした。3回目なので、みんなノリノリになってやってくれるし、楽しいメンバーだったなぁ。

 

最後は、水泳の動きをしながら楽器を演奏したり、歌ったり。

 

今日で終わりは寂しいけど、いつか対面でも会いたいね、と言い合ってお別れ。いい時間だった。

 

ケンハモの原稿の修正したり、四股を踏んだり、ケンハモの練習したり、いろいろな1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羊飼いの家でくつろぐ

羊飼いプロジェクトを長年続ける井上信太くんを訪ねた。里村真理さん、池上恵一さんと。信太くんに出会ったのは1990年で学生時代なので、30年以上前である。信太くんが古い民家に住んでいて、DIYの様子など噂で聞いていたので、実際に見に行きたいと訪れた。旧街道の古民家の中に入ると、そこには井上信太のドローイングがいきなり飛び出てくる。信太夫人の助川さんとも30年以上前からの仲なのだが、多分、会うのは20年ぶり。20年会わないので、つい昨日のようで、月日の流れとは不思議なもの。

 

信太くんとは、1991年12月のあひるヶ丘保育園での1日が歴史上の貴重な1日として刻まれている。自分の絵を見て、子どもが想像もしないようなことを言ったという信太くんの言葉から始まって、杉岡正章鶴と3人で「子どもやー!」と意気込んで保育園に乗り込んで、美術と音楽の融合セッションをして、子どもたちがトランス状態になった奇跡。あの体験が、ぼくらの原点になっている。

 

だから、信太くんと話す時は、30年くらいの歴史を、びゅーんと行ったり来たりしながら、52歳のぼくと22歳のぼくを行き来しながら、いろんなことを考える。実は、信太くんには息子がいて、今年大学を卒業しているので、既に出会った頃のぼくらくらいになっていて、でも、ぼくたちは息子になったり、父になったり、様々な時代を行き来する。

 

信太くんと助川さんの結婚式の写真の中に、ぼくと杉岡くんが写っている。恥ずかしく懐かしい25年前の自分たちを見る。少年だった日々のことを思い出しながら、「少年アート」という本を読んだことを語り合ったりする。30年も様々な体験を経て、相変わらず少年のまま。萩尾望都の「ポーの一族」のエドガーとアランのように年をとらずに永遠の時を生きるわけではないので、心は老いていなくても、確実に30年分年をとりながら、体の様々なところに不具合を感じながら、その不具合を池上さんがマッサージする。池上さんがマッサージ美術家になった歴史も、遥か遡ると小学校時代の体験に行き着く。

 

信太くんの息子の就職の話もしたが、里村さんの就職の話もした。そして、ぼくの記憶が間違っていなければ、前回、この家に来たのは2000年7月で、その時ぼくは大学に就職するための書類を書いていた。仕事のあり方も時代とともに変化していて、コロナによっても変化していて、旅への欲求もあり、能楽の650年の歴史に対して、新作を作ったり、美術史があったり、個人史があったり、まぁ、色々なのだけれども、そんな中を猫は自由気ままに歩き回る。植物は成長する。花は咲く。人間も植物のように花開いたり、枯れたり、復活したりする。循環する。生きていく。影響し合う。21年ぶりに訪ねてきたのに、でも、よく知っている故郷のようにゆっくり過ごした。