野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

図形楽譜と即興演奏

イギリスのペンザンスでの巨人プロジェクトが終わり、電車で5時間かけてロンドンに移動。

 

7月にロンドンのFive Years Galleryで行われる図形楽譜の展覧会The Archway Sound SymposiumをキュレーションするPhill Wilson-perkinと打ち合わせ。彼は、これまで大学での図形楽譜の講義で、野村の「しょうぎ作曲」を紹介し、それが学生たちに大変好評だったと言う。野村の「しょうぎ作曲」は、てっきり「Notations 21」という本で知ったのかと思ったら、そうではないらしく、図形楽譜について調べていたら、野村のことを知り、野村の音楽に興味を持ったのだそうだ。7月の展覧会で「しょうぎ作曲」の楽譜を展示するだけでなく、それを再解釈して演奏してみたり、いろいろやってみたいらしい。また、展覧会の内容をもとに、出版もしたいと考えてくれている。とりあえず、野村のこれまでの図形楽譜の色々を送って、展覧会にどのように貢献できるか可能性を探ってみよう。

 

Phillはおそらく以下のようなページを参照したのだろう。ここで、野村のしょうぎ作曲が紹介されている。

 

Graphic scores – halfway art & musicartmixamsterdam.wordpress.com

Using Graphic Scores in Ethnography – Anthony Lomax

 

その後、打楽器奏者のエンリコ、三味線奏者の鹿倉さん、テルミン奏者/作曲家のチョーグァンと夕食。チョーグァンとは、マレーシアで2013年と2015年に一緒にコンサートをしたが、4年ぶりの再会。携帯電話オーケストラなど、ユニークな活動で知られる。マレーシアの選挙の話から、EU離脱や、日本の新元号天皇制など政治の話、電子音楽の話、三味線の演奏や吹奏楽の話、ロンドンインプロヴァイザーズオーケストラの話、アニメの話、マレーシアの食べ物の話、などなど、4時間ほど語り続ける楽しい一夜。

 

こちらの動画は、チョーグァンとの初共演の2013年のマレーシア

 

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こちらの動画は、エンリコのために作曲した「Slapping Music -dedicared to Steve Reich

 

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山本麻紀子と巨人とミナックシアター

美術家の山本麻紀子は、写真も撮らないし、映像も撮らない。近年の現代美術は、映像を使うことが非常に多いが、山本は、潔いほど、映像記録に興味を示さない。ミナックシアターは絶景で、どうやっても絵になるのに、彼女は、そんなことをする気がない。山本は巨人という目に見えないものの絵を、人々の心の中に描こうとする。そして、彼女の活動は、伝説にもなり得るし、記憶から忘れ去られてもいく。

 

今日は、山本麻紀子の5年間かけての巨人プロジェクトのフィナーレだった。昨日の夜から、雷雨や雹が降り続ける生憎の天気。でも、今日はミナックシアターという野外劇場で巨人に向けてのパフォーマンス。今日が唯一のチャンス。

 

午前中に学校で子どもたちとリハーサルしている最中も、どしゃぶりの雨が降った。やぶさんが軽快にダルブッカを演奏し、彼女のタイでの修行の成果も体感した。外は相変わらず雨。楽器を濡らさないために、ビニル袋に入れて、スクールバスでミナックシアターに向かう。絶望的な天候の中、ミナックシアターに接近していくと、奇跡のように雨があがり、晴れ間が覗いた。

 

青い海、空、崖、岩。どこを見ても、人間の気配がしない大自然。動物の気配もしない。ただ、そこに風や雲や水や石が存在している。地の果て。巨人がいるとしたら、こんな所なのだろう。ぼくらは、巨人に向けての演奏を始めるべく、子どもたちの作った巨人の落し物をセッティングした。すると、突然、空から雹が降ってきた。天候が荒れ始めた。このまま悪天候になれば、中止にしなければいけないかもしれない。また、いい加減なパフォーマンスだと、場所と自然に負けてしまう。

 

ぼくたちは、それらに抗うべく力一杯「ねってい相撲」をした。四股を踏むたびに力が湧き上がり、ついには雨雲を吹き飛ばすことに成功した。巨人に少しだけ近づけたかもしれない。再び晴れてくる。その後、次々に楽器を演奏し、歌を歌い、あっという間に子どもたちとの演奏は終わった。巨人は姿を見せない。ぼくは英語で叫んだ。巨人さん、ここにあなたのスケッチブックがある。巨人さん、ここにあなたの鉛筆がある。巨人さん、どうして取りに来ないの?水平線の向こうに巨人がいるように感じた。ぼくらは、水平線の向こうに向かって演奏をした。

 

こんな風にして、山本麻紀子の5年がかりの巨人プロジェクトが終わった。ぼくの心の中にも、巨人が描かれた。ぼくの心に描かれた巨人は、シャイな巨人だったが、ぼくらの演奏をこっそり聞いていた。巨人にまた会いに来たいと思った。ここまで連れてきてくれた巨人と山本麻紀子に感謝。

 

 

 

 

 

ねってい相撲が大受け

イギリスのコーンウォールのペンザンスにて、美術家の山本麻紀子さんの巨人プロジェクトに参加。本日は、Alberton Schoolにて、year5(9歳)の子どもたち22人とのワークショップ。

 

山本麻紀子は、東日本大震災から間もない頃、水戸の公園で、巨人の気配を感じた。その巨人が、イギリスの巨人だと直感した山本は、すぐにイギリスの巨人について調べ始め、ペンザンスの巨人ホリバーン伝説にたどり着く。そして、協力に応じてくれることになったのがアルバトン小学校。5年間、この小学校で毎年巨人に関するワークショップを行ったし、水戸の小学生ともワークショップを行った。

 

当初、美術のワークショップを行っていた山本は、子どもたちと絵本をつくり、それを劇にした。劇にした時に、見えない存在の巨人を体感するために、音楽こそ有効なのではないかと考えて、野村にコンタクトをしてきた。

 

ペンザンスには、ミナックシアターという野外劇場がある。断崖絶壁のところに海を借景にした野外劇場だ。ここに住んでいた女性が、一人で50年間かけて、少しずつ切り開いてつくった劇場で、山本は、ここで巨人のパフォーマンスをするべきだと直感した。この人は、ほとんど全部、直感で決めている。ミナックシアターという劇場で何かをしたいと思った山本は、劇場での経験が豊富な音楽家のやぶくみこにも協力を要請した。そんな経緯で、一昨年、山本の企画で、野村+やぶで、アルバトン小学校で音楽のワークショップをした。

 

明日、山本麻紀子の5年間の総決算。ミナックシアターに子どもたちと行き、巨人に向けて、歌を歌い、楽器を奏でる。山本と子どもたちが昨年ワークショップで作った「巨人の落し物」を見せて、巨人を誘き寄せようとする。劇場でやるが、いわゆる人間の観客に向けて演ずるのではない。海に向かって、巨人に向けて演じるのだ。

 

だから、今日は巨人のために子どもたちと作曲した。巨人への歌をつくり、巨人に向けての楽器演奏を考えた。そして、日本の子どもが巨人のために作った歌も練習した。この3曲を準備し、最後に練習している時、ぼくは、思わず「ねってい相撲」をやりたくなって、急に「ねってい相撲」をした。すると、子どもたちが興奮して、真似をし始めた。みんな「ねってい相撲」が楽しくって、真似をした。盛り上がった。明日のパフォーマンスは、「ねってい相撲」から始まることになった。

 

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ペンザンスへ

ヒューとの濃密な週末が終わり、イギリスをさらに西に移動し、西の果てのペンザンスに着く。

 

美術家のまっこい(山本麻紀子さん)の巨人プロジェクトで、音楽家のやぶくみこさんと野村で、子どもたちと巨人に向かって音楽を披露する。巨人は現れるだろうか?

 

ということで、明日、明後日に向けて、打ち合わせ。

 

ポーランドから、ヒスロムの加藤くん、写真家の内堀さんも来ていて、ゲーム会社で働くポーランド人のカズンも来ていて、不思議な合宿状態になる。

 

University of the Arts Londonで教えている人から連絡が来て、これまで大学の授業で、野村誠の「しょうぎ作曲」を紹介してきてそうで、ロンドンで展示したい、とのこと。1999年に考えた「しょうぎ作曲」が、20年経って、ギリシアで紹介されたり、ロンドンのPromsの公式カタログで紹介されたりと反響があるのは嬉しい。

 

 

 

ファミリーオーケストラ「なす」

イギリスのトーキーに滞在中。エクセター大学にて、ファミリーオーケストラワークショップ。このワークショップは、エクセター大学が行う。大学として地域に還元する活動が必要なのだが、それをボーンマス交響楽団に委託している。だから、大学はお金と場所を提供しているが、大学からは先生も参加しなければ学生も参加しなければ事務員も誰もこない。ある意味、まるなげ。で、ボーンマス交響楽団がその仕事を引き受けているわけだが、ボーンマス交響楽団もそれをヒュー・ナンキヴェルという天才的な音楽家に丸投げしている。エクセター在住のヴァイオリニストのエマ・ウェルトンとヒューの二人が中心になって、ファミリーワークショップを続けていて、オーケストラの名前は、オーバジーン(なす)という名前。

 

そう考えると、「世界のしょうない音楽ワークショップ」は、ワークショップ参加者以外に、大阪音大の先生方も参加し、大阪音大の学生も参加し、日本センチュリー交響楽団の楽団員も参加し、日本センチュリー交響楽団の事務局員も参加し、豊中市の職員も

参加し、しょうないREKのメンバーが参加していて、大学とオーケストラが連携してワークショップが運営できている貴重なケースなのだと、改めて思う。

 

さて、ワークショップ自体は、ヒューの指揮に合わせて、子どもや大人が色々な楽器で即興で演奏する。ヒューから、「鍵盤ハーモニカ・イントロダクション」を披露してほしい、と言われていたので、演奏すると、その後もワークショップの進行を委ねられ、せっかくのチャンスなので、イギリスの人々と「ネッテイ相撲」をやってみる。「ねってい相撲」をイギリスの人とやってみることで、色々新たな発見もあり、発展バージョンもできそう。また、千住だじゃれ音楽祭で生まれた「ああ、こんな感じ」もやってみた。

 

エマが、瓦の音楽に興味を持ち、昨日はイギリスの瓦にチョークで図形楽譜を書き、それを観客に回すパフォーマンスをしたとのこと。日英の瓦の音楽コラボもできるかもしれない。ヒューからのリクエストで「瓦の音楽」協奏曲も考えた。これは、どんな楽器の協奏曲にもできそうなルールで、千住や庄内などでもやってみたい。

 

秋のアガサ・クリスティ・フェスティバルで再会できることを楽しみに。

 

ぼくがイギリスで初めてヒューに会った時に1歳だったヒューの息子のフランクの26歳の誕生日を祝った。

 

夜、ヒューが明後日(「音楽と社会包摂」の会議で)行う基調講演を実演してもらった。この講演は、日本でもやってほしい素晴らしい内容だった。

 

 

 

 

 

 

XTCの共同作曲

ヒューの家は合宿所のようになっている。オクスフォード大学教授のEric Clarkeがパートナーのキャサリンと来て泊まったし、ハダスフィールドでヒューがやっていたコミュニティ音楽グループDangerous Volumeのメンバーだったデニスも泊まる。エディンバラから来た音楽家のキランもいる。息子のフランクもコンサートのためにロンドンから帰省。ノーウィッチからトランペッターのクリスも泊まりに来ている。だから、エディンバラから来たデイブは昨日はホテルに泊まった。

 

今日は、Dartmoorに出かけ、2時間のハイキング。休日を楽しく過ごす。昨日の深夜2時間踊り続けた50代、60代の人々が、今日は2時間歩き続ける。体力あるなぁ、みんな。

 

歩きながら色々喋るのも楽しい。EU離脱で食べ物が国産の野菜だけになって、カブとジャガイモだけになるんじゃないの、なんて冗談、皮肉、ユーモアを語るのがイギリス人。

 

ロックバンドのXTCに関する本「What Do You Call That Noise? An XTC Discovery Book」という本が最近出版されて、その本に、デイブもヒューも原稿を書いているらしい。あとで本を見せてもらうと、なんとヒューがXTCのメンバーの一人にインタビューしていて、しかも作曲のプロセスなど音楽的なことを詳しく聞いている。オーケストラと仕事もして、XTCの音楽も分析して、認知症の人や子どもと音楽をつくる。ヒューの守備範囲の広さがあるからこそ、彼の音楽は誰も排除しないでインクルーシブになれるのだと思う。

 

ということで、ヒューの「イカ」という歌をここにご紹介しておきます。

 

soundcloud.com

 

そして、ヒューがインタビューをしている本がこちら。

 

burningshed.com

 

 

 

 

This is a transition agreement!

イギリスがEU離脱の日。

ヒュー・ナンキヴェルが4年間続けてきた実験的なコミュニティ合唱団Choral Engineersの最後のコンサートの日。

そして、ヒューのEU離脱3部作の第3作の世界初演の日。

この作品は、ロンドンのcafe OTOのような即興や実験音楽の盛んな会場で初演されるのでもなく、ハダスフィールド現代音楽祭のようなフェスティバルで初演されるわけでもなく、Lucky 7 Clubというペイントン(人口5万人の海辺の小さな町)のバーレスククラブで行われた。

今から50年前に、作曲家のコーネリアス・カーデューがロンドンでスクラッチ・オーケストラを結成した。非専門家がつくる音楽の実験。カーデューは、その後、共産主義思想に基づくプロテストソングを発表するようになる。

ヒューは、カーデューの様々な手法を受け継ぎながら、しかし、決してプロテストソングをつくらない。彼の歌は、何が正しいか、何が間違っているか、を語らない。そこで起こっていることを、歌う。老人ホームで出会った小さな物語を歌にする。小さな町で起こった何気ない出来事を記述する。正義を訴えるプロテストソングは、同じ思想の人の共感を生み、異なる思想の人を排除する。ヒューの歌は、違う思想の人が共存できる方法を模索する。人々に考えるための疑問を投げかける。彼は答えない。

This is a transition agreement.(これが、移行への合意書だ)という歌詞を歌う。それは、EU離脱への移行への合意書ともとれるし、合唱団が解散する移行への合意書ともとれる。そして、最後に、合唱団のメンバーに秘密で作っていた本を、ステージ上のメンバー一人一人に、授与する儀式が行われた。

「デイビッド、移行への合意書を受け取りに、前に来てください。メアリー、移行への合意書を、、、」

一人一人に、合唱団の4年間の歴史をまとめたり、つくった歌のいくつの楽譜が載っている冊子だ。

ヒューは「我々は、この合唱団が今日で終わりになるが、でも、続けられる方法を探ってきたし、今後また何かで活動できることを祈っている。この冊子は、そのための移行への合意書です。今から移行への合意書を渡すセレモニーをします。」

既に第1部が終わった時点で9時をまわっていただろう。休憩時間で100人の人々の長蛇の列のドリンクの販売が終わるだけで、30分以上かかっただろう。人々はビールを飲みながら、いつまでも話している。

コンサートの第2部は、きわめてカジュアルだった。一曲目のあいさつの歌は、百人の観客に25人の合唱団のメンバーが握手をしに行く歌だ。この4年間に歌ったオリジナルソングの厳選10曲。第2部が終わり、コーラル・エンジニアズの活動が終了した。23時だ。ここで、ヒューの25歳の息子フランクがDJをし、ダンスの時間が始まる。

驚いたことに、楽器の搬出もしないで、ヒューはずっと踊っていた。オクスフォード大学音楽心理学教授のエリックは、朝からリハーサルでヴァイオリンを弾き続けてきたのに、そして、60代という年齢を感じさせずに、踊り続けている。

人々は少しずつ帰っていくが、ぼくらは深夜1時まで2時間踊り続けた。きっと、今日はとことん踊りたかったのだろう。50代、60代の人々が多かったと思うが、かつて20代だった時のように踊り続けた。自分の体力のことなど、誰も気にせず踊っている。

深夜一時に搬出作業を始めた。

この夜を彼らと一緒に過ごせてよかった。貴重な体験をさせてもらった。