できちゃった音楽第8番《日田っこクラブ》を、箏+ヴァイオリン+ピアノ+色々な楽器として作曲/編曲。ウクレレで参加している子がいるので、ウクレレの開放弦が合うように、ソドミラを含む和音が変化していき、箏の押し手やヴァイオリンのポルタメントがリズミカルに入る曲にした。
木花相撲踊りの歌詞の意味を理解しようとしている。まずは道囃子(入場曲)。1番の歌詞の意味が難しいが、
りきゅうにおじゃるならわらじゅしいておじゃれ
りきゅうはいしはらこいしはら
さっさよいやさのしてきのだんだん
という文句を、
離宮におじゃるなら藁じゅ敷いておじゃれ
離宮は石原小石原
さっさ良いやさの素敵のだんだん
と理解(離宮に来るなら、藁を敷いておきなさい。離宮は石や小石の多い原っぱだから)すると、招待の歌に思え、これは異性を自分の家に誘っている歌のように思える。「だんだん」が「ありがとう」の意味の方言の地域もあるらしいけど、この「だんだん」の意味は何だろう?(歌詞が「琉球に」、「草鞋履いて」、「素敵のガンガン」となっている資料も存在するが、現在の釘元さんの発音に準じて解読している)。
2番は、恋人に対して一緒に住もうと誘っている歌に思える。
会うて嬉しや別れの辛さ
会うて別れがなけりゃ良い
さっさ良いやさの素敵のだんだん
3番は、結婚の契りを交わす歌に思える。
あなた百までわしゃ九十九まで
ともに白髪の生えるまで
さっさ良いやさの素敵のだんだん
続いて、
えー、揃うた揃いました、関取さんが揃うたよ
とこ、どすこいどすこい
秋のや えー 出穂より、こいつまた 揃うたよ
とこ、どすこいどすこい
(関取さんが揃った。秋の稲の出穂より揃った)は、力士の入場し終えて最初に歌う。この歌詞は、他の地域の相撲甚句にも頻出する。この続きがすごい。
武士で忠義は大星親子よ
武部源蔵これ忠義
加賀見山では下女お初
先代萩では政岡の掟を守る千松が
お腹が空いてもひもじゅない
おまんま食べぬが忠義なら
飢饉年のど乞食はよーほほい
えー、なお忠義かえ
これは忠義づくしである。大星親子は、『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助と力弥。『菅原伝授手習鑑』で菅原道真に忠義を尽くす武部源蔵。『加賀見山旧錦絵』で主君尾上の敵討ちをする下女お初。『伽羅先代萩』で政岡の息子千松が毒味をして命を落とす。次の「お腹が空いてもひもじゅない」は、空腹に耐えさせられる千松の「腹は空いてもひもじゅうない」という台詞を引用している。ここまで散々、歌舞伎の忠義を紹介し続けた上で、「おまんま食べぬが忠義なら」、飢饉の年の乞食が一番忠義ってことになるね、と言って、美徳化されている忠誠心を冷ややかに皮肉っているように思える。歌舞伎の外題に熟知していないと、面白さが理解できないが、幕末の頃は誰でも知っている常識だったのかな。
一反畑の空豆は
一さや走れば皆走る
私ゃあんたに着いて走る
トコドスコイドスコイ
空豆は熟し過ぎると、全部飛び出してしまう。だから熟し過ぎる前に収穫した方がいい、という歌詞は、熟した女性を早く収穫した方がいいと誘っているようにとれる。
続きの歌詞は、明日以降に。